ショート新約 テモテへの第一の手紙
「次の世代へ」 テモテ第一 1:1〜11
「テモテへの第一の手紙」はパウロが使徒行伝28章、ローマでの囚われの期間が終わり解放され、再び伝道に尽力した時期に、テモテに送った手紙だと言われます。この時テモテはエペソ教会の牧師でした。パウロは牧会に奮闘しているテモテの指導と同時に、長い伝道生涯を走り続けた今、次の世代にバトンを確実に渡さなければならないと考えていました。信仰生活における自己訓練、神の言葉を忠実に説き教えること、家庭生活と教会生活の秩序、忠実な人々に働きを委ねること等、大切な教えを記しています。殊に誤った教えとその影響を憂慮し、偽りのない信仰を土台とする清い心、正しい良心、愛を教え、「律法の役割」は罪の自覚を生じさせ「キリストへ導く養育掛(がかり)」で(ガラテヤ3:24)、正しく良いものだと教えています。(市川)
「あわれみの見本」 テモテ第一1:12〜20
パウロは、主イエス・キリストへの心からの感謝を持ってこの節を始めます。なぜなら、彼は第一に「以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった」(13節)が、神様のあわれみのゆえに赦されたことを深く感じているからです。もう一つは、「罪人のかしら」(15節)のような自分が、救いの恵みにあずかり、福音の器として神様が選んで下さったことを知ったからです。それは単にパウロ自身のためだけではなく、キリストがパウロを「今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範」(16節)とされようとしたからです。パウロ自身は、自分を「キリストのあわれみの見本」と自覚していたのです。(伊藤)
「安らかな一生」 テモテ第一 2:1〜7
パウロもテモテも、そして名前の知られない多くのクリスチャンたちも、それぞれの時代に信仰をもって生きていました。その時代特有の困難や闘いがありました。しかしパウロは「すべての人のために、王たちと、上に立つ重い責任のあるすべての人たちのために祈りと感謝を捧げるように」勧めています。それはわたしたちが安らかで静かな落ち着いた一生を信仰深く、謹厳に過ごすためです。このような祈りは良いことであり、神様のみこころにかなうことです。やがてパウロは、ローマで斬首され地上の生涯を閉じました。激しい迫害の時代でした。しかし、お約束のようにパウロの心は神様の平安で守られ、信仰と、愛に溢れていたのではないでしょうか。(市川)
「礼拝の場での男女」 テモテ第一 2:8〜15
パウロは、礼拝における男と女のあり方について語っています。まず男性に対しては、「怒ったり争ったりしないで」と前置きをして「きよい手をあげて祈ってほしい」と勧めています。テモテが牧会していたエペソ教会では、男性の体面や虚栄心のゆえに、祈りが妨げられることもあったからでしょう。次に、教会における女性の望ましいあり方を勧めています。第一は、「つつましい身なり」で、良いわざを持って、神の前に出るようにということです。第二は、「おしゃべりを慎みなさい」ということです。集会の秩序が、女性のこの2つの弱点ゆえに乱れたことがあったからでしょう。パウロが、これらのことを命令したのは、男性は祈りの戦士として、女性は従順な働き手として期待したからです。(伊藤)
「すばらしい役目にふさわしく」 テモテ第一 3:1〜7
「監督」は、5章の「長老」と同じ意味のようです。働きの面からは「監督」、立場の面からは「長老」と呼んでいたようです。「監督」とは「管理する者」「見張る者」「見守る者」等の意味がある相で、年長者が当たることが多かったので「長老」とも呼ばれました。5章には当時の「長老」が今の牧師のように「宣教と教えのため」仕えていたと記されています。ですから今で言えば教会に仕える牧師や役員、各種の責任をもって奉仕している人々に該当するのだと思います。「旅人をもてなし」(2節)とは、初代教会時代は使徒などの巡回奉仕によって宣教がなされていたという時代的背景もあったようです。 (市川)
「真理の柱」 テモテ第一 3:8〜16
監督の資格に続いて、8節からは執事の資格が記されています。最初の「執事」は、使徒行伝6章に見られます。執事の仕事は、監督のもとで、牧会の実際的な働きの補助者役割を果たす重要なものでした。こうしてパウロがこの手紙を書いたのは、パウロの訪問が遅くなっても、テモテが教会で「どのように行動すべきか」を知らせるためでした。なぜなら教会は、真理の柱、真理の基礎だからです。「真理」とは、キリスト教信仰全体の正しい教えと真実のことです。そしてこの世との関係において、人々が地上の教会を見る時、教会はキリスト教真理の証しの場であり、その真理を堅く守るべき所であるからです。(伊藤)
「神様の贈り物」 テモテ第一4:1〜10
ある人達は結婚を禁止したり、食物を断つことを命令します。彼らは「良心に焼き印をおされている」とあります。やけどをしたときの皮膚は、ヒリヒリして鋭敏に過剰反応します。彼らは良心がやけどをしたように、物事に対して過敏、過剰に反応し偽りの教えを語るのです。しかし、神様がお造りくださったものはみな良いものです。食べ物は神様が備えてくださった贈り物です。私たちは食前の祈りによって神様に感謝を捧げ、改めて恵みを確認します。みことばの教えによって、これらが神様の贈り物であることを知り、祈りのうちに感謝するのです。「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。(ヤコブの手紙1:17)」 (市川)
「信者の模範」 テモテ第一4:11〜16
テモテはエペソ教会の牧師です。この教会は歴史のある大教会でした。立派な先輩の信者の人たちもたくさんいました。そのような中で、まだ牧会も人生経験も浅いテモテにとっては、その期待の大きさに潰されそうになることが度々あったのだと思います。そこでパウロはテモテに「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい」等、いくつかの勧めを書いたのです。それはパウロが、ここで牧会者としての個人的能力や技量をテモテに求めているのではありません。牧会者が、牧者としての努めに専心して励むように勧めているのです。そしてこれらは、牧会者だけでなく、大なり小なりリーダーとなる全ての人に対する勧めなのです。(伊藤)
「家族のように」 テモテ第一5:1〜8
教会には幅広い年齢層の人々が集っています。パウロはテモテに、次のように指導しています。目上の人々には父母に対するように、若い人々には兄弟姉妹に対するように、愛を持ってみことばの教えに基づいて勧め、常に尊敬と純潔が伴うべきであること。続いて、福祉制度の整わなかった当時、教会の役割と判断基準が記されています。私たちにも意味深い教えです。ご主人を亡くしたご婦人については、子か孫が孝養を尽くすこと。しかし、真のやもめに対しては、充分に支え助けること。彼女は、主のご降誕を待ち望んでいたアンナのように望みを神において祈りのうちに過ごしているのです。また、だれでも自分の家族の必要を顧みることは、大切な責任であると同時に信仰の証なのです。 (市川)
「真のやもめ」 テモテ第一5:9〜16
古代世界においては、やもめが働いて生活費を得ることはほとんど不可能でありました。そこでパウロは教会に真のやもめを助けることを命じています。その真のやもめの条件には、肉親も身よりもないこと、年齢が60才以上であること、さらに教会の奉仕に一生を捧げたものでなくてはならないという、登録の枠がありました。年齢枠があるのは、年を重ねてきた人たちが、この世の快楽などに誘惑されることも少ないという判断からだと思います。11節以下に若いやもめのことが記されているのは、誘惑に陥らないための配慮でしょう。こうして選ばれた真のやもめたちは、教会の働きに大きく貢献したのです。(伊藤)
「長老について」 テモテ第一5:17〜25
パウロは長老について指導しています。穀物をこなす牛が足元に落ちた穀物を食べるのをとどめてはならない。同じく、職務を良く果たしている長老は、二倍の尊敬と充分な報酬を受けるにふさわしい人としなければなりません。特に宣教と教えに忠実に労している者にはそうしなければなりません。長老に対する裁判を要求する告発は、ふたりか三人の証人によって確証されない限り受け付けてはなりません。罪を犯し続けている場合には皆の前で訓戒を与えなさい。他の者達が戒めを受けて有益な畏れを抱くためです。按手は慎重でありなさい。テモテの胃弱のためには、医療的な意味で少量の葡萄酒を用いなさい。罪は遅かれ早かれ明らかにされます。善行も隠れたままでいることはありません。(市川)
「偽教師の特徴」 テモテ第一6:1〜10
牧会上の諸問題の最後は、奴隷で救われた人に、愛と尊敬をもって行動するように勧めています。パウロはこの手紙の最後に、テモテへ種々の勧めをしています。最初は偽教師の問題です。彼らは、聖書に教えられていることと違ったことを教え、キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教えに同意しない人たちです。しかし彼らの顕著な特徴は、「信心を利得と心得る」ところです。彼らは信仰の対象が第一義的に重要ではなく、信仰がいかに利得をもたらすかということでした。結局、信仰を手段とする御利益宗教だったのです。だからパウロは信仰が手段化されると、祈りや断食等が、祝福を得る条件になり、妬みや争いや裁き合いが生じ、それが絶え間なく続く結果になると警告したのです。(伊藤)
「信仰の善戦」 テモテ第一6:11〜21
信仰生活途上にはいろいろな誘惑と罪が待ち受けています。テモテへの注意と勧めはいつでも大切です。悔い改めと信仰によって与えられた永遠のいのちにふさわしく歩み、最後まで信仰を全うするために、信仰の戦いをりっぱに戦いぬくことが大切です。10節までのような誘惑と罪をすべて避けなさい。次に、義、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。主の再臨まで、主の戒めを汚されることなく、非難されないよう守りなさい。託された正しい信仰の教えを保護しなさい。俗悪なむだ話や偽りの知識による反対論を避けなさい。この世で富んでいる者は高慢にならず、不確かな富に望みを置かず、すべてを豊かに備えて楽しませて下さる神に望みを置くように。未来に富を蓄えるため、良い業に富むよう命じなさい、と記されています。(市川)