ショート新約 ルカによる福音書13章〜
悔い改めの重要性 13章1〜9 2009年1月18日
イエス様の時代の人々で、不幸や災難にあうと、その人に罪があったから神様の罰を受けたのだと考える人がいた。ある時イエス様は、ガリラヤ人が殺され、その血が神殿の犠牲の血に混ぜられたり、シロアムの塔が倒れて、その下敷きで18人が亡くなった出来事を話された。この時イエス様は、その悲惨な実態を悲しむと共に、人はすべて自分の罪を悔い改めなければ同じように滅びると語られ、悔い改めの重要性を力説された。さらにイエス様は、いちじくの木のたとえを語られた。ぶどう園とは私たちの世界、いちじくの木はイスラエルを示している。園の主人は神であり、園丁はイエス様。イスラエルは神に一番近い民族という自負のために実を結べないでいる。そのため主人から切り倒せと命じられる。しかしイエス様は一年の猶予を願い、彼らが悔い改めの実を結ぶのを期待する。(伊藤)
恵みの世界 13章10〜21 2009年1月25日
主は、十八年も病気で苦しんでいた女の人を癒してくださいました。主はこの人について「アブラハムの娘」と言われました。主はザアカイについて「アブラハムの子」と言われています。アブラハムが神様を信じる信仰によって恵みにあずかったように、この人も、ザアカイも信仰によって主から恵みをいただきました。彼女は癒されたとき「神をたたえはじめた」のです。主に感謝しました。会堂司はこれが安息日だったので憤りました。しかし、その彼らも、安息日には、牛やろばを家畜小屋から解放して水を飲ませに引き出すのです。主は今も、悔い改めて主を信じる者を救い、サタンの束縛、長年の因習から解放し、恵みに溢れた日々へと導いてくださるのです。新しい命、溢れる恵みはからし種やパン種の様子に表されています。 (市川)
狭い戸口からはいるように 13章22〜35 2009年2月1日
イエス様が旅をしておられると、ある人が「主よ、救われる人は少ないのですか」と質問しました。イエス様は「狭い戸口からはいるように努めなさい」とお話になりました。続くみ言葉で分かることは、戸口が閉まる時が来ること、戸口を閉めるのは家の主人であること、「あけてください」「あなたと一緒に飲み食いし…あなたは…大通りで教えてくださいました」と言っても入れてもらえない、ということです。教会に行ったことがある、イエス様のことも聖書のお話も聞いたことがある、ということに留まらないで、救いの門が開いているあいだに、あなたのために十字架で死んでくださった救い主イエス様を信じることが大切なのです。 (市川)
パリサイ派の指導者に対する戒め 14章1〜14 2009年2月8日
この箇所は三つに分かれる。1節から6節までは、律法の専門家やパリサイ人への戒めである。安息日の争いが繰り返し起こった。しかしイエス様にとって人の命が律法に優先する事を教えている。7節から11節まではパリサイ人の家に招かれた人々に対する戒めである。招かれた人々が上座を好んで、末座に着きたがらない。彼らが上座にすわりたがるのは、自分がそれにふさわしいと人に認められたいと思っているからである。そういう人は退けられる。神様は謙遜な人々を愛されるからである。そして12節から14節までは、パリサイ派の指導者に対する戒めである。パリサイ人たちは、神様から受ける報いよりも人から受ける報いを期待していた。しかし真の報いは、隠れた事を見ておられる神様から来ることを教えている。(伊藤)
盛大な晩餐会のたとえ 14章15〜24 2009年2月15日
ある人が盛大な晩餐会を催し、大勢の人々を招いた。時間がきたので、主人はしもべを遣わしたが、招かれた人々はそれぞれに「土地を買ったので」、「牛を買ったので」、「結婚したので」と、理由をつけて断ってきた。彼らに共通しているのは、招いてくれた人への関心よりも、自分の生活への関心の方が大きいことである。このたとえに登場する宴会の開催者は神様であり、宴会は神の国の食卓である。そして招くために送り出されたしもべとは、イエス様ご自身である。「神の国で食事をする人はさいわい」(15節)であるのに、無関心な人々が多かった。結局、神の国の宴会に招かれたのは、神の恵みを素直に受け入れる人々だった。神の国に入るためには、自分の力や才能ではなく、神の恵みである事を彼らがよく承知していたからである。(伊藤)
捜し続ける羊飼い 15章1〜10 2009年3月1日
神様の愛のみ手、保護のみ手から迷い出たのは取税人たちであり、罪人たちでしたが、的外れに歩んでいるパリサイ人や律法学者たちもまた神様の愛から迷い出た人々でした。羊が見出され、銀貨が捜し出されたのは、羊飼いや、女の人のどこまでも捜し出そうとする愛と熱心によりました。大きな喜びと共に、羊飼いに見出された羊には安全、保護が与えられ、女の人の手に戻った銀貨には真の価値が戻りました。神様の愛と保護から迷い出た人間を心にかけてどこまでも捜し続けてくださっているのは神様です。神様であるひとり子イエス様が人となってこの地上においでくださって救いの道を備えてくださったのは神様の愛の熱心によります。イエス様によって神様に帰るなら愛と保護のうちに真に生かされるのです。 (市川)
放蕩息子のたとえ 15章11〜32 2009年3月8日
ある日、弟息子が、自分の取り分の財産をお父さんにわけてもらい、その土地を売却して金に替え、家を出てお金を湯水のように全部使い果たしてしまいました。その後の飢饉で食べるものにも窮し始め、彼は惨めにも、豚飼いをして飢えをしのいでいる有様でした。その時、彼は父の愛に目覚め、家に戻って行ったのです。父は神様を現わし、弟息子は人間を現わしています。父はこのぼろぼろになって帰ってきた弟息子を喜んで迎えた、というたとえ話です。このたとえ話は、すべての人に「人間の罪とは何であるか」、「罪の悔改めはどうすればよいか」、そして「罪のあるものをかえりみてくださる神の愛がどのように深いか」をしみじみと語りかけてくれます。いつの時代においても、この「放蕩息子のたとえ話」を読んで絶望の暗黒の中で光を見出し、その霊性に大いなる飛躍を経験するに至った人は大勢いるのです。(伊藤)
不正な家令のたとえ 16章1〜13 2009年3月15日
このたとえ話は不思議です。主人が「この不正な家令の利口なやり方をほめた」とあるからです。ではイエス様は、不正を勧めているのでしょうか。そうではありません。イエス様は、この家令が首になる時までの短い時を有効に使い、辞めさせられる日の為に備えたということをほめているのです。私たちは、この家令が辞めさせられるように、いつ死ぬかわかりません。ここでイエス様が「不正の富」と言っているのは、地上のこと、私たちの毎日の生活の事です。「真の富」と言っているのは、神様のこと、永遠の命の事です。たといこの世の生活の中に、「不正の富」といわれたり、「小事」といわれるようなものがあっても、その中でこの不正な家令がしたように、精一杯忠実に生きるのです。それ以外に、あの「真の富」を任せていただける道はない事をこのたとえ話は教えているのです。(伊藤)
金持ちとラザロ 16章14〜31 2009年3月22日
ある金持ちがいました。彼はいつも高価で贅沢な紫の着物と細糸の亜麻布を着て毎日、宴会を催して楽しく暮らしていました。彼の家の門にラザロというこじきが、しかも、ただれたできもので覆われて、だれにも相手にされずにいました。ラザロが亡くなったとき、み使いたちによってアブラハムのふところに連れてゆかれました。金持ちも亡くなり葬られ、彼は黄泉にいて苦しんでいました。神様がご覧になり、お取り扱いの基準になさるのは、人間同士では、目に見えない心で、「しかし、神はあなたがたの心をご存じである」15節、ということです。地上の人間が救われるためには、「モーセと預言者」、聖書があれば充分で、たとえ、死人がよみがえったとしても神を信じないだろう、とあります。厳粛なみ言葉です。悔い改めてキリストを信じて歩むことがどんなに大切でしょう。 (市川)
弟子たちへの教え 17章1〜10 2009年3月29日
弟子たちに対する教えです。この世にいる限り「罪の誘惑」は避けられないが、「小さい者のひとり」に対して、罪の誘惑を来たらせる者でないようにということです。罪の誘惑とは、人を誤らせ滅びに導くもの、イエス様に従って行けなくさせる、イエス様から引き離すもののことです。罪の誘惑を来たらせる、これは重大な罪で、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方がましだと言われるほどです。「信仰を増してください」と言う弟子たちに、たとえ小さな信仰でも、生きた信仰には力があること、しかし、すべては神様の恵みですから、主人に仕える僕のように、「わたしたちはふつつかな僕です。なすべき事をしたに過ぎません」と言うべきだと教えられました。 (市川)
サマリヤ人の感謝 17章11〜19 2009年4月5日
イエス様は、ご自分がこの地上に来た目的を「失われた人を尋ね出して救うためである」とおっしゃいました。今やその使命を十字架によって完成させるためにエルサレムに向かっているところです。途中ある村で、隔離されて生活していた十人の重い皮膚病を患っている人に出会いました。重い皮膚病は、当時まったく治る見込みのない、死を宣告されるのと同じ病気でした。しかし、イエス様は助けを求める彼らに対し、重い皮膚病を完全に治してあげました。この十人のうち九人はお礼も言わず自分の生活に戻って行きましたが、サマリヤ人だけは神をほめたたえながら引き返し、キリストの足もとにひれ伏して感謝しました。その時、このサマリヤ人はイエス様から「あなたの信仰があなたを救った」とのお言葉をいただき、罪の赦し、心の平和、永遠の生命を与えられたのです。(伊藤)
神様の支配の始まり 17章20〜37 2009年4月12日
神様の国はどのようにして始まるのだろうか。イエス様は、本当の神様の支配はパリサイ人が考えているのとは異なると教え、「神の国は、見られるかたちで来るものではない」(20節)と語られた。「神の国」は、派手な、見世物のような形では到来しない。大切なのは私たちの心の中の有様である。神様の国は、イエス様を通し、実にあなたがたのただ中に到来したからである。26節からは、旧約時代のノアとロトについての実例が記されている。神様の裁きは人々が思いもよらない時に起こったのである。この時に正しい人は神様によって守られた。日頃の備えが必要で、油断していると、慌てることになってしまう教訓だ。だから主が再びおいでなる再臨の時に備え、罪人の世界に下る審判に巻き込まれないように、一時の快楽へと引き込まれることなく、むしろ自分を清めて生きることを強調されたのである。(伊藤)
失望しないで祈りなさい 18章1〜8 <2009年4月19日br>
イエス様の譬はわかりやすくユーモラスです。「失望」とは気を落とし、落胆し、あきらめることです。失望の結果、祈っても仕方がない、祈っても何も変わらない、祈りは神様のもとに届かない、祈りをやめる、ということになります。わたしたちは信仰によってイエス様を信じて救われたにもかかわらず、日常の事柄について神様に助けを求めることを忘れていないでしょうか。神様はピリピ人への手紙4章6節、7節のように、何事も神様に申し上げなさいと、勧めてくださっています。また「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。」(テモテへの第一の手紙2章4節)のですから、人々の救いのために祈り求め、労することは神様のみこころです。それなのに、はじめからあきらめて祈り求めることさえしない、という自分の姿を思わされます。(市川)
罪人のわたしをおゆるしください 18章9〜14 2009年4月26日
パリサイ人は神様の教えに従おうと努力し、正しく生活していると自負していました。彼の努力と正しい生活には頭が下がります。どのくらいの人々が、彼のように実行しているでしょうか。残念だったことは、彼が、自分の努力や正しい行いによって神様に受け入れられると勘違いしていたことです。機織り作業によって、目を見張るような生地が織られてゆきます。しかし、巧みに美しく織りあがっても最初の段階でしみや傷がついたら、オシャカになってしまいます。罪人である人間が、自分の正しさや行いをいくら積み上げてみても、それで罪が帳消しになることはありません。この取税人のように、罪を悲しみ心砕かれて、まことにわたしは罪人です、と告白し、ただただ主を仰ぎ見るとき、いつくしみ深い主は恵みによって受け入れてくださるのです。 (市川)
幼子、金持ちの青年、弟子たち 18章15〜34 2009年5月3日
ここからいよいよエルサレム訪問と十字架の死、復活と言うテーマに移っていく。初めにルカは、当時ユダヤ人の母親たちが有名なラビに子供たちを祝福してもらいたいと思ってきた。ここで弟子たちは、イエス様が迷惑されると思って母親たちをたしなめた。その時、イエス様は弟子たちの間違いを正し、幼子たちをみもとに呼び寄せられた。次にルカはあるユダヤ教の役員の話を記している。彼はまだ青年だが金持ちである。しかも小さい時から十戒を守り、良い躾と教育を受けた名門の出である。その彼が永遠の生命を得るための善行を尋ねると、イエス様は全財産を処分し、貧しい人にあげなさいと告げられた。彼はこれに応えられず、去って行った。彼は神に心をおいたのではなく、財産に信頼を置いていたからだ。31節からは十字架と復活の予告が記されている。弟子たちは度重なる予告にもかかわらず、イエス様の語られた言葉の意味を理解できなかった。(伊藤)
盲人の目が開かれる 18章35〜43 2009年5月10日
この箇所と19章の最初の記事はエリコの町を中心に起こった出来事である。盲人の名は記されていないが、マルコによる福音書10章を見るとその名がバルテマイと記してある。この人はエリコの町の近くで物乞いをしていた。彼はイエス様が通りかかると「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と言った。人々は彼をたしなめたが、彼は叫び続けた。彼はイエス様を「ダビデの子」と呼んでいる。イエス様こそ待ち望んでいた救い主だとわかったからだ。イエス様は彼に「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねた。すると彼は「主よ、見えるようになることです」と答えた。彼は自分がどうなりたいのかという事をよく知っていた。人生に対して生きる目標がしっかりしている人は、自分の願いをはっきり語る事ができるのだ。(伊藤)
ザアカイよ 19章1〜10 2009年5月17日
ザアカイはエリコに住む取税人のかしらで金持ちでした。彼はその立場を利用して私腹を肥やしていたようです。イエス様がエリコの町をお通りになったとき、ザアカイはどんな人か見たいと思ったのですが、群衆にさえぎられて見ることができませんでした。イエス様を見るために走って行っていちじく桑の木に登りました。イエス様はその場所に来られるとザアカイを見上げて言われました。「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。思いもかけないイエス様のお言葉に喜んで家にお迎えし、彼は悔い改め主を信じたのでした。「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」とあるとおり、イエス様は迷子のようなザアカイを捜し出し「ザアカイよ」と名前を呼んで救ってくださり、また、私たちをも捜し出し救ってくださったのです。 (市川)
ミナのたとえ 19章11〜27 2009年5月24日
イエス様はエルサレムに向かう途中で、神の国はたちまち現れると思っていた人々に譬話をなさいました。遠い所へ旅に立つことになった身分の高い人が十人の僕に一ミナずつ渡しました。「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」。一ミナは100日分の労賃に相当するそうです。十ミナもうけた僕は<「ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました」主人は彼を褒め「よい僕よ、うまくやった。あなたは小さいことに忠実であったから、十の町を支配させる」と。一ミナをしまっておいた僕は「…あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取り立て、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです」と言いました。対照的な僕の姿です。主人に対して感謝と信頼を持っているかどうかが鍵になりそうです。 (市川)
エルサレム入城 19章28〜38 2009年5月31日
イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入られた。旧約聖書には、救い主がロバの子に乗って来るという預言が記されている(ゼカリヤ9章9節)。教会ではエルサレム入城の日曜日をパームサンデー(棕櫚の日曜日)と呼ぶ。この後、弟子たちと最後の晩餐をし、金曜日に十字架にかかって葬られる。いよいよ場面は十字架へと向かっていく。多くの群衆が木の枝を切り取って、道に敷きイエス様を歓迎した。祖国が解放されるという記念すべき日、それがメシヤによって実現すると信じていた人々にとっても、入城するイエス様にとってもクライマックスの日だった。それが一転して受難週のはじめになった。エルサレムはイエス様を殺そうとしているパリサイ人の本部であった。イエス様の死が間近に迫って来ていることを感じる。(伊藤)
この人たちが黙れば、石が叫ぶ 19章39〜48 2009年6月7日
弟子たちは主のエルサレム入城に歓喜の声をもって賛美した。しかし、群衆の中にいたパリサイ人たちは、弟子たちを叱るようにイエス様に要求した。それに対してイエス様は「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。(40節)と返答し、ご自身が王であることを宣言された。41節以降は三つの出来事が記されている。第一はイエス様がオリブ山からエルサレムを見て泣かれたという出来事だ。イエス様はこれから民の上に起こらんとする悲劇を知っていたからだろう。第二は宮潔めをした出来事で、イエス様が神殿で商売をしていた人々を追い出し「わが家は祈の家であるべきだ」と言われたことである。第三は神殿で大胆に教えたという出来事である。イエス様は殺意を持っている人々の真ん中で、民衆に語られたのである。(伊藤)
愛子、隅のかしら石 20章1〜19 2009年6月14日
祭司長や律法学者は「何の権威によってこれらの事をするのですか」とイエス様に問いただしました。イエス様は、かたくなな彼らや民衆を前に、譬をお話になりました。農夫たちは主人から送られた僕たちを侮辱し、最後に主人が送った愛する息子を殺してしまったというのです。イザヤ書などに神の民ユダヤ人は神のぶどう畑と表現されています。農夫たちとは彼らの指導者です。神様は預言者を何度も送って導こうとなさいましたが、彼らは悔い改めなかったのです。そればかりか、神のひとり子さえ殺すのです。建築工事夫が侮って捨てた石が実は工事の基となるべき「隅のかしら石」だったという故事のように、神様が送ってくださった救い主イエス・キリストこそ、ユダヤ人にも、すべての人々にも受け入れられるべき「愛子」であり「隅のかしら石」なのです。 (市川)
神のものは神に 20章20〜26 2009年6月21日
ユダヤはローマ帝国の統治下にありました。神の民ユダヤ人が異邦人に納税すべきではないという愛国心に富んだ人々が大勢いました。逆にローマ帝国の統治に協力的な人々もいました。特にヘロデ統の人々です。イエス様に手をかけようとしていた律法学者、祭司長たちは、政治的宗教的に微妙な点を取り上げたのでした。皇帝への納税が律法にかなっていると言えばローマの統治を快く思わない人々の反発を買い、納税はしなくてよいと言えばローマへの反逆だと訴えられるということです。イエス様のお言葉は明解でした。デナリ貨幣を使用しているなら、ローマの統治のもとで保護を受けている者として収めるべき物を収めること、さらに、だれもが神様の測り知れない恵みに生かされているのだから、神様への信仰と従順、感謝を忘れてはいけない<「神のものは神に返しなさい」と。 (市川)
復活についての質問 20章27〜40 2009年6月28日
サドカイ派はユダヤ教の一派であるが、魂の不滅も使者の復活についても信じていない。そこで彼らは申命記25章以下の記事を根拠に、イエス様に質問をした。これに対してイエス様は、神様を信じた人たちは、この世に基盤を置いて生きる者とは異なることを示され、復活した信仰者に罪はないことをはっきり指摘されたのである。したがって、神の子としての命が与えられている彼らは、めとったり、とついだりはしないのである。死人の復活についてイエス様は、ここでモーセの証言を引用している。「死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。」(37節)のである。それはアブラハム、イサク、ヤコブたちが、その魂においてモーセの時代にあっても生きているだけでなく、今現在も復活を待っているということである。そのような意味で「神は死んだ者の神ではない」のである。(伊藤)
イエス様の警告 20章41〜47 2009年7月5日
イエス様の質問は、詩篇を引用し、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、自分がどうしてダビデの子であるかというものでした。人間的に見ればイエス様はダビデの子孫でしたが、神の子です。イエス様は神の右に座する王です。ですからここは、彼らがイエス様をいかに受け入れているかが問われているのです。次に、神の国にふさわしくない信仰態度として、外見のみにこだわる律法学者の例をあげています。彼らは自分たちを格式ある者と見せるために長い衣を着て歩くのを好み、広場で挨拶され、会堂や宴会などで上座に座るのを喜んでいたのです。また、彼らはやもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをしたのです。イエス様はそうした彼らの行動を非難し「もっときびしいさばきを受けるであろう」と警告したのです。(伊藤)
地上の視点、永遠のまなざし 21章1〜19 2009年7月12日
やがて祝福に満ちた神の国が現れ、イエス様を信じる人々がそこで現実に生きるときがくることは聖書の教えです。イエス様は、神の国の現実という、永遠のまなざしで地上の生涯を歩まれたと思います。地上の視点だけでものを見がちな私たちは、イエス様のお言葉が、よくわからないことが多いと思いますが、イエス様の永遠のまなざしを思うなら、少しわかりやすくなるのだと思います。レプタ二枚の献金、それは婦人のすべてのささげものでした。彼女の信仰の表れであり、主への感謝と信仰が宝石のように輝いているのです。迫害の嵐で命までも失うこともあり得ます。しかし、耐え忍んで信仰を守り通すなら「髪の毛一すじでも失われることはない」のですし「自分の魂をかち取る」のです。神の国という永遠の世界において輝きを持つ価値、ということについて聖書から教えられ続けなければならないと思います。(市川)
エルサレム神殿崩壊と世の終わり 21章20〜38 2009年7月19日
弟子たちはエルサレム神殿崩壊と世の終わりは同時だと思い、イエス様にエルサレム神殿の崩壊はいつですかと質問しました。しかしイエス様はこの二つの間には長い時間が経過するので、終わりはすぐに来ない、とおっしゃいました。24節まではエルサレム陥落についてで、これは紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落と神殿崩壊の時成就したと言われています。25節以降はイエス様の再臨と世の終わりについてです。極度の自然界異変に人々は恐れ気を失うほどの混乱の中、主が再臨なさり、しかも罪を裁く方としておいでになるのです。しかし、主にある人々は「身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救いが近づいているのだから」(28節)。やがて救いの完成の時が来るのですから頭を上げて主を待ち望むのです。(市川)
最後の晩餐の準備 22章1〜13 2009年7月26日
いよいよ過越しの祭りの時が来ました。この頃、祭司長たちや律法学者たちは、どうにかしてイエス様を殺そうと狙っていました。その時、弟子のユダの心にサタンが入り、彼はわずかな金で、民衆がいないところでイエス様を捕らえる手引きをすることを約束したのです。イエス様は、この時、弟子たちと一緒に最後の晩餐をとるために、場所を予約しておきました。危険だったのか、場所はあらかじめ告げずにおいて、ペテロとヨハネには「水がめを持っている男」のあとをついていくように言い渡し、使いに出しました。この食事は別れの食事ですが、イエス様はここで新しい契約を与えられました。これが、聖餐式の制定の場面です。だから、この最後の晩餐は、イエス様にとって重要な手段であり、自分の生涯の意義を示し、十字架の死へ備えさせるものでありました。(伊藤)
聖餐式の制定 22章14〜23 2009年8月2日
イエス様はここで「『あなたがたに言っておくが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない』、『あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない』」(16,18節)と宣言された。主イエス・キリストの死を記念する聖餐式の制定がここにある。イエス様はまず杯とパンを取り、祈り、弟子たちに渡された。杯は十字架で流される血による契約であり、パンは私たちのために裂かれたキリストの体を表わすものである。その象徴であるパンと杯にあずかるものはキリストご自身を受け取ることになる。だから、私たちが聖餐式を大事に守っているのは、キリストが私たちのためにも死なれたことを忘れず、覚えていくためである。(伊藤)
捕縛と十字架を前に 22章24〜38 2009年8月9日
最後の晩餐の席で、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと、弟子たちの中に激しい議論が起こりました。これは主を知らない異邦人の考え方です。イエス様は「しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。」と教えてくださいました。28節で「あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである」とおっしゃり、御国での報いを約束してくださいました。最後まで信仰にとどまり続けることが大切で、幸いだと教えられます。イエス様が民衆に歓迎された時は去り、イエス様が捕らえられる時が近づいていました。36節は剣の時になるという比喩的表現と解釈されています。しかし、この意味を理解できない弟子たちは的外れに答えています。 (市川)
みこころが成るように 22章39〜46 2009年8月16日
最後の晩餐の後、イエス様はオリブ山に行かれました。弟子たちもついてゆきました。そこは「ゲッセマネ」すなわち油絞りの園と呼ばれ、オリーブの木々が繁茂しオリーブ油の圧搾所があったようです。イエス様の日常の祈りの場でもありました。イエス様の十字架の死は、神様から離れた人間が裁きと滅びから救われるためであり、イエス様にあって永遠の命を受けて生きるためでした。イエス様は、ご自分が十字架にかかって死ぬことは、父なる神様の御心だと充分に知っておられました。そのイエス様が「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。」と祈らずにはいられないほどの苦しみだったのです。御使いが力づける必要があるほどであり、「苦しみもだえて」祈るイエス様の汗が血のしたたりのように地に落ちたほどでした。「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と十字架への道を歩まれたのです。 (市川)
ユダの接吻による裏切り 22章47〜53 2009年8月23日
47節以降は、イエス様の逮捕の場面である。ユダの接吻で裏切りが証明される。これはユダの罪が意識的な罪であることを告げている。私たちには無意識に犯す罪がある。気づかないで相手を傷つけてしまうことがある。しかし、ユダのこの場合は意識的な罪である。だからイエス様は、それと知って「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」と言葉をかけられた。それを聞いていたペテロが剣に手をかける。人から裏切られた時にショックを受け、またそれを暴力で解決しようとするのが人間である。しかしこれは、イエス様の意図ではなかった。イエス様は闘争を好まないで、自分の使命を果たそうとされた。そして、これが預言の成就であることを弟子たちに悟らせる(マタイ26章52〜54参照)。そしてイエス様は、この時ペテロが傷つけた兵士を癒される。そこには真の救い主の姿が現わされている。(伊藤)
イエス様のまなざし 22章54〜62 2009年8月30日
ペテロの生涯の最大の失敗は、彼が大祭司カヤパの中庭で、主イエスの弟子であることを三度も否定したことである。しかし、ペテロの否定は、イエス様の苦しみに苦しみを加えるようなものであったとしても、そのことはすでに予告されていたことであった(22章34)。イエス様はペテロのために信仰がなくならないように祈った(22章32)。イエス様は、鶏が鳴くのを聞いて中庭から逃げて行くペテロを振りむいて見つめられた。このようなペテロをも、イエス様は見捨てず、優しいまなざしで彼を見つめられたのだ。この「イエス様のまなざし」がペテロを絶望から救ったのである。新聖歌221番の2節には、「ああ主の瞳 眼差しよ 三度わが主を否みたる 弱きペテロを 顧みて 赦すは誰ぞ 主ならずや」とある。(伊藤)
あなたがキリストなら 22章63〜71 2009年9月6日
イエス様は神の御子ですから何でも知っておられます。たとえば、イエス様を監視していた人たちは、イエス様を嘲弄し、打ちたたき、目かくしをして「言いあててみよ。打ったのは、だれか」ときいたりしたのですが、イエス様は彼らの心の中までも何でも知っておられたのです。彼らがイエス様を神の御子と全く信じていなかったのだと、この行為からよくわかります。ユダヤ議会にイエス様を引き出した人々は「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」と問いただしていますが、イエス様は彼らにこう言われました。「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。また、わたしがたずねても、答えないだろう。」と。69節は詩篇110篇1節の成就です。イエス様は十字架で死なれ、三日目によみがえり、昇天なさり父なる神様の右の座につかれた神の御子、救い主キリストです。 (市川)
ピラトとヘロデ 23章1〜12 2009年9月13日
祭司長や律法学者たちが、どうにかしてイエス様を殺そうと計っていたのは、過越の祭が近づいたころでした。ユダの手引きによってイエス様はゲッセマネの園で捕らえられユダヤ議会で裁判が行われました。「では、あなたは神の子なのか」この質問に「あなたがたの言うとおりである」とイエス様はお答えになりました。すると彼らは「これ以上、なんの証拠がいるか。われわれは直接彼の口から聞いたのだから」と、ユダヤ人の長老、祭司長、律法学者たちは決定的証拠をつかんだという勢いです。あとはユダヤを統括していたローマ帝国の権威において死刑執行許可を得ればよいのです。ローマ総督ピラトは「わたしはこの人になんの罪もみとめない」と言い、ガリラヤとペレヤの国主、ヘロデ・アンテパスは興味本位でした。イエス様を追い詰めるのに躍起になっていたのは、ユダヤ人たちでした。 (市川)
民衆の声に負けたピラト 23章13〜25 2009年9月20日
ピラトは相当な暴君だったが、著者ルカは比較的好意的にピラトを描いている。彼はイエス様を有罪にしたくなかったらしく、4回も無罪宣告をし、釈放するように3回も提案している。逆に、ユダヤ人の罪が強調されている。「十字架につけよ」の叫びは反復され、「その人を殺せ。バラバをゆるしてくれ」(18節)と懇願している。そのバラバは、「都で起こった暴動と殺人とのかどで、獄に投ぜられていた者である」(19節)。23節に「その声が、勝った」とあるのは残念である。ピラトがこうして民衆の声に負けたのは、ユダヤ人の暴動の恐ろしさを何回も経験したからだろう。また、ローマ帝国には、地元民から上訴する権利が認められており、ユダヤ人が、これを利用して、ピラトを脅迫した事が考えられる。イエス様の処刑同意も、ピラトの臆病により決められてしまったのである。 (伊藤)
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道) 23章26〜31 2009年9月27日
この箇所は、イエス様が十字架を負って歩まれた「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」について記されている。著者ルカは、クレネ人シモンと泣き女について記している。まずシモンが十字架をかつぐ記事がある。彼は十字架を傍観しないで無理やり担がされた。ローマの兵隊たちにとっては、イエス様に同情して荷を軽くしてやりたいからシモンに担がせたのではなく、早くイエス様を殺したいからだろう。しかしシモンにとっては、この体験は恩寵となり、後に有力なクリスチャンとなる。次に、「悲しみ嘆いてやまない女たち」(27節)とは、十字架刑を要求した民衆と同じ仲間の人たちでしょうから、大声で泣きわめく女たちは、いわゆる葬式用泣き女の真似をしているのだろう。31節の「生木とは」イエス様のことである。枯れた木は私たちである。これは「イエス様でさえ十字架刑に処せられるのであれば、枯れた木である私たちはもっとひどい仕打ちがある。だから気をつけなさい」との警告だろう。(伊藤)
十字架上の祈り 23章32〜49 2009年11月1日
されこうべ、ゴルゴタ、と呼ばれる処刑場には、共に十字架につけられた二人の犯罪人、死刑執行のローマの兵卒たち、役人たち、民衆などが、十字架上のイエス様を取り巻いていました。イエス様のとりなしの祈り、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。十字架上のひとりの罪人への約束のお言葉「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。息を引き取る直前のお言葉「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。が記録されています。何をしているのかわからずにいる、それが人間の姿、自分の姿なのです。イエス様は十字架上で祈り、今もとりなしていてくださいます。イエス様の十字架の死によって救いの門が開かれました。主を信じる者を御国に導いてくださるのです。 (市川)
アリマタヤのヨセフ 23章50〜56 2009年11月8日
アリマタヤは地名で、サムエル記上1章1節の「エフライムの山地のラマタイム・ゾピム」と同じ場所だそうです。エルカナやハンナが生活した場所、サムエルが誕生した場所です。現在はレンティスと呼ばれているそうです。アリマタヤ出身のヨセフは議員でした。サンヘドリンと呼ばれるエルサレムのユダヤ人議会の議員の一人でした。サンヘドリンはユダヤ人の最高法廷で、最高行政機関でもありました。彼は「善良で正しい人」で「神の国を待ち望んでいた」のです。また「議会の議決や行動には賛成していなかった」のです。すなわち、イエス様に対する決議や、これにかかわる議会の一連の行動に同意していなかったのです。52節、53節の彼の行動は大胆でした。弟子たちでさえ恐れて身を隠していたのですから。イエス様に対する信仰は彼の行動に表れました。彼自身にも、周りの人々にも信仰の確認と証しのときとなったでしょう。 (市川)
よみがえられた主 24章1〜12 2009年11月15日
週の初めの日、夜明け前の暗いうちに女たちは香料を携えて、イエス様が葬られている墓に出かけた。彼女たちの心配は、あの大きな石をどのようにとりのけようかということだった。彼女たちはイエス様がよみがられたとは夢にも思っていない。ところが墓のそばに来て見ると、墓の石が転がり、入り口はあいていた。驚いた彼女たちは、墓の中に入って見るとイエス様のからだは見当たらなかった。彼女たちが途方にくれていると、御使いが現れ「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」(6節)と言った。それから彼女たちが御使いに告げられたのは、イエス様の十字架の死と復活を思い出しなさいということだった。十字架と復活を信じる者は、罪と死から完全に解放されるのである。人はこの問題が未解決のままで決して有意義な人生は送れないだろう。(伊藤)
エマオの途上のキリスト 24章13〜32 2009年11月22日
二人の弟子が、エルサレムからエマオという村までの道を悄然と歩いていた。弟子たちにはこの数日間の出来事が走馬灯のように行き来している。彼らがイエス様の弟子になってから確かに新しい生活が始まった。しかし、彼らの先生が予期しない十字架にかけられ、死んで葬られた今、彼らには幻滅の悲哀しかない。なぜ、イエス様のような立派なお方が死ななければならなかったのか。二人は、イエス様について思い巡らしながら論じ合い、歩いていた。すると、そこによみがえられたイエス様が近づいて、一緒に歩いて行かれた。そしてイエス様は、旧約聖書全体から、ご自身について語られている事柄、すなわちキリストは必ず苦しみを受け(十字架)、栄光に至ること(復活)について説きあかされた。また彼らはイエス様がパンを裂くのを見て目が開かれ、確かにイエス様がよみがえられたのを知ったのである。(伊藤)
主は、ほんとうによみがえって 24章33〜53 2009年11月29日
ルカによる福音書は喜びの福音書と言われています。マリヤに対する受胎告知、マリヤの賛美歌に続き、主のご生涯と主にお会いした人々、数々の喜びが記録されています。最後の章には、驚き、戸惑うほどの喜びに与った弟子たちの様子が記されています。なぜなら、十字架にかかって死に、墓に葬られたキリストがよみがえって、今、目の前に生きておられるからです。主は話しかけ、驚く弟子たちに焼き魚を食べて見せてくださいました。最後の節には「非常な喜びをもって、…神をほめたたえていた」とあります。主が語られたことは、これから進められるキリストの働きに弟子たちも豊かに用いられる遠大な計画でした。そのために大切なことは、主がお与えくださる聖霊を待ち望むことでした。 (市川)