ショート新約 テサロニケ人への第二の手紙
「信仰、愛、忍耐」 テサロニケ第二1:1〜6
このテサロニケ第二の手紙は、第一の手紙を書いてから半年位あとに書かれたものです。再臨問題をめぐって、教会内に生じた誤解を解き、混乱を静め、正しい再臨信仰に導くことを目的としています。この手紙で、挨拶を書き終えたパウロは、テサロニケの教会の人々に感謝とその理由を述べています。それは、彼らの「信仰が大いに成長し」、「ひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わって」いたからです。またパウロは、彼らが迫害と患難とのただ中で示している「忍耐と信仰につき、神の諸教会に対してあなたがたを誇りとしている」と賞賛しています。彼らは、多くの人々が福音を聞いて初めは喜んで受け入れるが、何か困難に出会うとすぐにつまずいてしまう中で、人々の中傷や非難に負けないで、神への信仰に堅く立ち続けていたのです。(伊藤)
「裁きと報い」 テサロニケ第二1:6〜12
テサロニケ教会の人々は「迫害と患難とのただ中」で忍耐と信仰を持ち続け主に従っていました。これはパウロの喜び、誇りでした。彼らの今の苦しみは、単に苦しみで終わりません。主イエス様が、再び天から来られる時決着がつくのです。主イエス様は、クリスマスにおさな子として、この地上に来て下さり、全ての人を招く救い主として、全ての人を愛して十字架でお死に下さいました。しかし、主イエス様が再びこの地上においでになる再臨の時は、厳しい裁き主として来られるのです。同時に、主を信じる人たちのためには「休息」という報いを用意していて下さるのです。苦闘から全く解放され、安息が与えられるのです。その時まで「いよいよ召しにかなう者とされ、良い志を持って信仰の働きが前進するように」とパウロは祈っています。(市川)
「主の日の前兆」 テサロニケ第二2:1〜7
「主の日」とは、主イエス様が再び来られる日、即ち再臨のことです。この日はクリスチャンが主のみもとに集められる時です。イエス様もオリブ談話で、その日「四方からその選民を呼び集める」(マタイ24:31)と言い、また主の日については「その日、その時がいつであるかは誰も知りません。……ただ父だけが知っておられる」(マタイ24:36)と教えました。パウロも「主の日」がすでに来たと言って惑わす者があっても、心を動かされたり慌てたりしてはいけないと戒めています。なぜなら「主の日」が来る前には、「背教」が起こり、「不法の者」が現れるからです。「背教」とは、神に反逆することであり、「不法な者」とは、反キリストのことです。これらが現実となる時、主の日が来るのです。(伊藤)
「不法の者」 テサロニケ第二2:8〜12
主の再臨の前に「不法の者」すなわち反キリストが現れるとあります。「不法の者」は神に反逆し、自分が神であると宣言します。迫害と同時に、福音の真理に反して教えるので「だまされてはいけない」(3節)とあります。「不法の者」はサタンの働きにより、人を欺く種々のみせかけの奇跡と偽りの不思議、悪い欺きの誘惑を行います。これによって滅びる人々がありますが、それは彼らが「真理を歓迎し真理を愛し真理に従うこと」を拒絶し、不義を積極的に喜び反逆した為です。この不法の秘密の力、神に敵対する悪の力はすでに働いていますが、今は「不法の者」が出現するのを阻止しているものがあります。それが取り除かれると「不法の者」が現れます。しかし再臨の時、主に滅ぼされるのです。(市川)
「選びと恵み」 テサロニケ第二2:13〜17
ここでパウロは一変して、神様に逆らう人たちの恐ろしい裁きに比べ、主に愛されていることがいかに祝福であるかを記しています。そしてパウロは、彼らの信仰の成長を喜び、「あなたがたのことを神に感謝せずにはおられない」と書いたのです。その理由の1つは、13節の「神があなたがたを初めから選んで」下さったことです。選ばれるのに相応しくない者が選ばれたということは、どんなに大きな祝福であり、光栄なことでしょう。どんなに財をささげても、自力でがんばっても救われません。救いの道は、ただ神の選びと恵みにあるからです。そこでパウロは、これらのことを覚えつつ、彼の話した言葉、書いた手紙によって、すなわち、みことばに堅く立って生きることを強く勧めたのです。(伊藤)
「祈ってください」 テサロニケ第二3:1〜8
偉大な伝道者パウロ先生が「祈ってほしい」と求めています。パウロは迫害と困難で体の傷跡は痛々しかったでしょう。心は一点に集中しその願いは「主の言葉がここでも急速に広まり、あがめられるように」ということでした。彼はこの願いを携えて、いつも次の伝道地に向かったことでしょう。もう一つは伝道に集中できるよう「不都合な悪人から救われるように」ということでした。不当な攻撃的な悪意を持った人々から守られるよう願っています。主を信じる協力的な人々だけでなく、積極的に反対し攻撃する人々に出会うことも多かったのです。何故ならすべての人が信仰を持っているわけではないからです。伝道の最前線で、パウロは祈りの助けをどんなに必要としていたことでしょう。(市川)
「勤勉な生活の勧め」 テサロニケ第二3:6〜18
テサロニケ教会には、怠惰な生活、勤勉な生活をしている二種類の人々がいました。パウロは怠惰な締まりのない生活を送っている人々に「静かに働いて自分で得たパンを食べるように」(12節)と命じ、忠実な信仰生活を送っている人々には「たゆまずに良い働きをしなさい」(13節)と勧めました。宗教改革者カルヴァンは晩年、病気の身でありながら、彼がジュネーブの教会の教師、神学教師としての労苦の多い働きを続けたのは彼の勤勉によります。小林牧師は、主治医橋田先生によると片肺同然でした。その先生が教会の仕事に最後まで従事されたのも私たちに勧める勤勉の生活のお手本だと思います。(伊藤)