館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(44) 「希望のダイヤル原稿」から

 オアシス 2006年2月5日

 旧約聖書詩篇第1篇の中から、幸福な人というテーマでお話しています。
 立つにも歩くにも座るにも、悪い低級な仲間には入らない。そして聖書を読んで昼も夜も心の中に聖書の教えを思っている。こういう人は幸福だと、こういうことでしたが、その次を読んでみましょう。
「このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」
砂漠の上を飛行機で飛んでみて、どこか木の茂ったところがあれば、そこはいわゆる「オアシス」で、必ず水が湧き出しているのです。
 聖書を読み、神様を信じ、神様に従っている人は、外見ではわかりませんが、その心の根を深く、神様の祝福の中におろしているのです。神様の恵みを汲みあげているのです。私たちの住む社会も、人生も、荒涼とした砂漠のようですが、神様の恵みによって「オアシス」のように幸福に潤った生活、家庭、また人生を送ることができます。   (つづく)

 人生の鍵 2006年3月5日、12日

 旧約聖書詩篇第1篇“幸福な人の詩”その終わりのところはこうです。
 「主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。」
 それはこういう意味です。
 “山田さん。近頃お宅の息子さんはどちらですか。”
 “はい。ロンドンにいます。よく手紙をくれます。元気でやっているようですよ。”このお父さんは息子の道を知っているのです。
 “竹内さん。お宅の娘さんは。”
 “どうもね。中学の時家出をしましてね。今どこにいるかわかりません。”
 そういう親子もいます。
  聖書に親しみ、神を信じ、神に従っている人については、神様はおっしゃるでしょう。
  “わたしは彼をよく知っています。彼はよく祈っています。わたしを信じ、わたしに従っています。彼はわたしの承認済みの生活をしているのですから、わたしは彼の人生の責任を持っています。決して彼をわるいようにはしません。”
 神様がもし私たちの生活と人生について、私たちの家庭と仕事について、そういうふうに責任を持っていてくださるなら、どんなに幸福でしょう。私たちも一生懸命頑張るとしても、私たちの力は知れたものです。私たちの人生の本当の鍵は実は神様に握られているのです。その神様の祝福こそ、一番大切な貴重なものなのです。
 その反対に、神様から“わたしは彼の生活を知りません。彼は聖書も読まず、祈らず、自分勝手な、しかも罪の多い低級な生活をしています。わたしは彼の人生について責任を持ちません。最後に彼は自分の罪のために滅びるでしょう。”そういうふうに神様から見放され、祝福を失ったら、その人の生涯は不幸だと思います。あなたはどちらですか。

 罪人の祈り 2006年4月2日、09日

 今週は受難週と言いまして、キリストが十字架におかかりになった記念の週です。クリスチャンは、キリストの苦しみと死をしのんで、今週は、つつしんで祈りのうちにすごします。
 十字架は人間の考えた死刑の方法の中で、もっとも残酷なものと言われています。神の子キリスト、罪のないキリスト、神の教えを伝え、多くの人を愛したキリストが、なぜそんな極刑をうけられたのでしょうか。それは我々全人類の罪の身代わりとして、我々にかわって刑罰を受けて下さったのです。そのキリストの十字架によって、信ずる者の罪は、神の前にすべて許され、すべての人は、神の祝福の中に、永遠の生命に、救われる事ができるのです。
 両手、両足に釘を打たれ、頭にはイバラの冠をかぶせられ、十字架にかけられたキリストは、お祈りしました。“父なる神よ。すべての人の罪をお許し下さい。彼らは知らないでやっているのです”と。その時、キリストと並んで十字架にかけられていたのは、強盗や人殺しをしてきた恐ろしい犯罪人でしたが、このキリストの祈りに心をうたれました。
 そして、キリストに言いました。“私は恐ろしい罪人だから、こうして死刑になるのも仕方がありません。死んだあとでも、神様の罰があるでしょう。永遠の地獄へゆくでしょう。しかし、あなたはこういう罪人のために祈って下さるのですか。あなたは何の罪もないお方ですから、きっと天国へいらっしゃるでしょう。天国にいらっしゃっても、罪人のために祈って下さるのなら、私を心の中に記憶して下さい。そして私のためにお祈りして下さい”その時、キリストはおっしゃいました。“私ははっきり言います。あなたは今日、私と一緒に天国に入るでしょう”ですからこの罪人も罪を許されて、天国に行ったのです。我々も同じように、キリストに信じ頼る時、救いを受ける事ができるのです。あなたもキリストを信じてください。
  (今年の受難週は4月9日〜15日です)

 不思議な本 2006年5月7日、14日

 世の中には、書きはじめてから、書き上げるまでにずいぶん長くかかった本もあります。里見八犬伝、大菩薩峠、志賀直哉の暗夜行路などは、みんな30年近くかかっているようです。ドイツのゲーテがフアウストを書きはじめてのは22才で、まだ大学生でした。書き上がったのが82才、彼が死ぬ前の年です。60年かかっています。気の毒な事に、彼はフアウスト全巻の出版を見ずに亡くなりました。ところが聖書はもっと大変です。 
 ところが聖書はもっと大変です。最初の創世記が書かれたのがB.C.1400年ごろ、最後の黙示録が書かれたのがA.D.100年ごろ、前後1500年かかっています。だから書いた人も大勢で、中には王様もいる、預言者、つまり専門の宗教家もいる、漁師あがりの無教育な人の真実あふるる手紙も入っている、年とった女の身上話もある。歴史も、詩歌も哲学も含まれています。そういう66冊の本を集めたのが聖書ですが、ところが神と救いと信仰と人間の生き方を教える「一冊の本」として通用しています。しかも只の、学者だけが調べる古典でなく現役の本で、1971年現在も世界のベストセラーです。不思議な本だと思いませんか。あなたの本箱にも、ぜひ一冊おいて下さい。旧新約聖書で1200円、新約だけで130円で、本屋さんでも、教会でも買う事ができます。
 創世記6章から9章までに、有名なノアの洪水の話が書いてあります。アダムとエバが神を離れたのち、増え広がってきた人類がどんどん罪を犯してあまりひどくなったので、神様は、40日40夜大雨をふらせ、世界は大洪水となり、人間は滅亡してしまいました。しかしノアという神を敬う人がいて、この人は神様から予告を受けていたので、大きな箱舟を用意し、家族八名その中に入って救われました。
 あなたも今の恐ろしい世の中を見ています。世界の終末の予告をお感じになっています。そしてそれと共に、キリストの救いという、目に見えない救いの箱舟についても、教えられることができるのです。そのことが、聖書に示してあります。ぜひ聖書を読み、教会にも来て下さい。