館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(24) 「希望のダイヤル原稿」から

 人間改造所 2002年1月6日

 「年忘れ」とか「新年」とかいう言葉を聞くと、ケチのついた、汚れ果てた古いものは捨て去って、心も生活も人間関係も、清潔で新鮮で、希望と活力のあるものに切りかえて行きたい、そういう人間の願いが、お正月のいろいろな仕来たりの中にも表れているようです。
 しかし、どうもそういう願いも決心も、弱い人間の力では、どうにもならないところもあるので、一つ神様の力を借りようというのが、神社などに初詣に行く人の気持ちかもしれません。
 聖書の中に、そういう人間の希望が、キリストの救いによって与えられる、という約束が記してあります。新約聖書、コリント人への第二の手紙5章に「だれでもキリストにあるならば(これはキリストを信ずるならば、という意味です)、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」とあるのは、そのことです。
 ウイリアム・ブースが、英国で初めて「救世軍」というキリスト教の運動を始めた時、あまり大勢の人がクリスチャンとなり、またその人々の変わり方があざやかだったので評判となり「人間改造所」という仇名がついた相です。
 日本でも、昔、東京で開かれていた救世軍の集会に、ふと入ってきた二人連れの、少し酒に酔った労働者がいましたが、二人ともその晩キリストを信じて帰りました。次の日に、牧師さんが、聞いておいた所番地を便りに尋ねて行って見ると、そこはひどい木賃宿で裸同然の人々がゴロゴロしている中に、古ぼけた浴衣でも、とにかく着物を着て、話し合っている二人がいるので、声をかけてみたら夕べの二人だったという話があります。
 キリストを信じて心が変われば、服装も変わります。新しい人生が始まるのです。

 ピルグリム・プログレス 2002年1月13日

 「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。江上に舟を浮かべ、馬の口をとらえて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を住家とす」とは、有名な松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」の書き出しですが、昔から私たちの人生は旅行に例えられます。そしてそれは確かに私たちの実感です。十返舎一九という人は「東海道膝栗毛」という面白い本を書きました。面白いには違いないけれども、いわゆる旅の恥はかき捨ての気分で、弥次さん喜多さんの旅行は、下品で不潔で失敗の連続です。弥次さん喜多さんに向かってこんなことを言ったってはじまらないが、気楽で面白いとしても、人生の旅行の手本として子供たちに教えるわけにはいきません。この本の中には、作者の気分、つまり「どうせ短い一生だ。そんなに生真面目に考えたって仕方がない。ひとつ浮世を茶にして、面白おかしく過ごすことだ」という、投げやりな気分が反映されているのです。
 イギリスに、ジョン・バンヤンという人がいました。教育のない「いかけ屋」さんでしたが、熱心なクリスチャンで「ピルグリム・プログレス」という本を書きました。これは一人の人間が罪に満ちた世俗の町から出発して、クリスチャンとなり、神様に導かれ助けられながら、いろいろな人生の難関をしのぎ、最後に天国にのぼる物語です。その間、冒険もありユーモアもありで面白いのですが、これは英国文学の宝で、いつまでも世界中の人に愛読されています。「天路歴程」という名前で、何種類もの日本語訳も出ていて、岩波文庫にも入っていますから、こ存じの人も多いでしょう。
 お正月も終わって、新しい年の生活が始まりました。私たちの人生の旅行は、弥次喜多のようでしょうか。天路歴程のようでしょうか。
 「われらのよわいは七十年にすぎません。…その一生はただ、ほねおりと悩みであってその過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。…われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」  旧約聖書、詩篇九十篇

 金持ちザアカイ 2002年2月3日

 新約聖書ルカによる福音書19章に、ザアカイという人が、キリストを信じて救われた話が書いてあります。ザアカイは取税人のかしらで金持ちだった、とありますから、今日で言えば、まず税務署長ですが、今日とは大分事情が違って、国中の憎まれ者でした。それは、その当時の小国ユダヤは世界最強国のローマに占領されていたので、税金といっても、実は、ローマの進駐軍を維持するための、莫大な税金を取り立てるのが仕事だったからです。愛国心の強いユダヤ人だから、仕方がなくて我慢していたとしても、みんな進駐軍のローマ兵に反感を抱き、むしろ憎んでいたのは当然です。またローマ兵もいつもいばり散らして乱暴で、ユダヤ人をいじめました。またとても贅沢でした。ローマ軍の進駐以来、割合にまじめな、静かな国だったユダヤにも、大きなトルコ風呂や、競技場も出来ました。トルコ風呂には売娼婦が一杯で、競技場ではプロの選手に相手を殺すまで戦わせて見物したのです。そういうローマの進駐軍のために、同朋から税金をしぼり取ろうという、言わばローマ兵の手先になるのは当り前で、むしろ、それを承知で「何でも良い、とにかく金をためることが何よりも大事だ」と考えて、ザアカイのような人は、取税人になったのでしょう。だから、進駐軍の絶対的権力をカサに着てピンハネ、サバヨミ、何でもやって、とにかく金儲けには成功して、この町で指折りの金持ちになったことは事実のようでした。「何でも構わない。金さえできればみんな俺にへいこらするだろう。どんな楽しみもしたいほうだいだ。きれいなことや、コセコセしたやり方じゃあ金はできない」というザアカイの方針は、果たして彼に、はじめから期待したような幸福満足を与えたでしょうか。次回にまたお話しましょう。

 孤独なザアカイ 2002年2月10日

 ザアカイという人は「人生はお金がすべてだ。金がなくては始まらない」と思いました。そして、人に嫌われ、憎まれるのを承知で、取税人になりました。そして、ずいぶん悪い事もして、念願通り金持ちになりましたが、これで念願通り幸福になれたかどうか。きっとザアカイは、二つの考え違いに気がついたと思います。第一は「これが幸福の決め手だ」という場合には、案外お金が物を言わないことです。メガネはお金で買えても、眼は買えません。手袋は買えても手は買えません。贅沢はできても健康は買えません。おしゃれはできても、美しさは買えません。まごころも愛も、親切も尊敬も買えません。そしてそれらがなければ、決して人生は幸福ではありません。お金でそういう物を買おうとすれば、結局、歯が浮くようなそらぞらしいものだけでしょう。第二はお金と抱き合わせで入って来る罪です。ザアカイの場合、罪を避けようと思えば、そんなにお金は入って来ませんでした。また入って来たお金で、幸福満足を得ようと思えば、結局、不潔低級下品な罪の中にのめりこんでゆくしかなかったでしょう。罪は結局、人間の魂も、健康も、家庭も、人生そのものも蝕んでしまう毒のようなものです。悪いことをしてお金を儲けて、その金で麻薬を吸って、体を壊してゆくようなものですね。気がついて見ると、ザアカイは、空しさ、浅ましさで、いやになってしまうようだったでしょう。いわゆる金持ちの孤独ですね。そういうザアカイに、キリストを紹介したと思われる人が、少なくとも二人います。その一人はマタイでした。マタイの前身はやはり取税人でした。その生活や心境も似ていました。しかし今は救われて、キリストの弟子になって「マタイによる福音書」という、キリストの伝記を書くくらいの人になっていました。