館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(37) 「希望のダイヤル原稿」から

 ピースメーカー 2004年6月13日

 長い間お話してきた、キリストの幸福な人に関する教えも今日が最後です。ではキリストのあげた七種類の幸福な人のタイプの、七番目はどういう人でしょうか。キリストはそれを「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」という言葉によって教えています。「平和をつくり出す人」という語は、英語の聖書で読むとピースメーカーと書いてあります。シューメーカーは革を与えられれば、それで靴を作ります。ドレスメーカーは洋服を、キャビネットメーカーは家具を作ります。ピースメーカーは、何を材料にしても、とにかく平和をつくり出します。
 トラブルメーカーはその反対で、この人はいわゆる平地に波を立てる人です。いつでももめごとや、争いをまきおこす人です。
 Pさんという人を想像してごらんなさい。ここにどうも気持ちがイライラして、ムシャクシャしてかなわん。そういう人がいるとする。その人がPさんのところへいって、少し話し合っているうちに、気持ちが平らに、穏やかになって来ます。またここに、少しもめ事があるとします。そこへ丁度Pさんが来ました。少し話し合っているうちに、もめ事がおさまって、皆、ニコニコしはじめる。これがピースメーカーです。そしてこのPさんのような人は幸福な人です。
 トラブルメーカーと言っても必ずしもその人が悪い人だからというわけではありません。トンチンカンな正義感もトラブルのもとになります。東京裁判の時に、いろいろと、いわゆる戦争犯罪人のことを調べた。この裁判も、少し一方的だったと言われますが、しかし被告たちを調べれば調べる程、誰もみな平和愛好者で、彼らが戦争を避けようという努力をしていた事は明白だった相です。ではなぜ彼らが戦争を始めたのか。その理由の一つは、彼らが非常に正義感が強く、いわゆる天にかわりて不義を討つ、という精神が強すぎたのだろうという話を聞いた事があります。これは大きな不幸でした。
 もう一度考えて下さい。ピースメーカーとトラブルメーカー。また、キリストの教えた七種類の幸福な人のことを。私もあなたが幸福な人であるようにお祈りします。

 ワシントンの手紙 2004年7月4日

 アメリカは今建国200年祭で(以前の文章です)にぎやかだ相です。そのアメリカの初代大統領ワシントンが、独立戦争で忙しかった頃、兄に書き送った手紙が残っています。"私の上衣には四箇の銃弾が止っており、私の乗っていた馬は二頭打ち倒されました。前後に多くの戦死者が出ましたが、しかし私は、いつも、神の恵みに守られて壮健です"と。また狙撃の名手と言われていたあるインディアンがつくづく言っていた相です。"ワシントンという男はライフルでは死なぬと見える。私は充分ねらいを定め、17回彼を撃ったがとうとう当たらなかった"と。ワシントンはいわゆる、信仰による勇気を持っていた人でした。
 新約聖書ローマ人への手紙8章31節に「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」というみ言葉がありますが、神は、神を信じ、神に従う者に、不思議な勇気をあたえ、不思議にその人を守って下さるのです。
 一体私たちには勇気が必要です。気持ちに、はづみをつけて取りかからなければ、何一つうまくゆくものではありません。セネカは言っています。"勇気は我々を天に導き、恐怖は我々を死に導く" ゲーテも"勇気がなければ何物もないのだ"と言っています。本当に、うじうじ、ぐずぐず、くよくよ、ぶつぶつしていると、何もかも失ってしまいかねません。
 ある会社の社長さんは"私は社員には、生き生きした人を選びます"と言っていました。
 一人の青年が就職の面接に来てみると、もう20人ぐらいの人が順番を待って並んでいました。そこで考えて小さい紙に"私は何某という者です。私は21番目に並んでいます。私にお会いにならないうちに、採用をきめないで下さい"と書いて窓口に出しておきました。心臓が強いと言えばそうですが、結局この人は採用された相ですが、その勇気と、積極的なところを買われたのでしょう。あなたも"信仰の勇気"を持つ人になって下さい。

 森 鴎外の手紙 2004年7月11日

 森 鴎外博士が亡くなる少し前に、友人の賀古鶴人に書き送った手紙が残っています。もうその頃博士は、体の調子がわるく、家族や友人から医者にかかるようにすすめられるのに、医者にかからない、その理由をこの手紙の中で説明しています。"僕の左胃に何物かがある。卒業の年に肋膜炎をやったあとが、寒さごとにチクチク痛む。近年はせきが出る。腎臓にも何物かがあるだろう。今これを医者に見せる。そしてハッキリ病気を知って、さて用心する点でもあるか。酒、たばこ、宴会みな絶対に止めている。この上は役所を退くよりほかない。しかし、これは僕の目下やっている最大著述に連絡している。(当時博士は帝室博物館館長で、中外之号考の編纂に当たっていました)これを止めて一年長く呼吸しているのと、この仕事を止めずに一年早くこの世をおいとま申すのと、どっちが良いか考えものである。ここにどんな名医にも見てもらわぬという結論が生ずる"頑固と言えばたしかに頑固ですが。
 新約聖書使徒行伝20章に、使徒パウロが、死を覚悟してエルサレムに出発しようとして、エペソ教会に対して話した、告別説教が出ていますが、その中でパウロは「わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」と言っています。
 この人たちにとっては、その仕事は生活と生命以上の価値を持っていたわけです。我々は、生活してゆくために、生きてゆくために、イヤでも応でも仕事をしなければならないと思っています。しかし、仕事の中に、いわゆる天職という気持ち、役割意識、使命感を持つことは、我々の大きな幸福感、充実感につながるのではないでしょうか。
 鴎外やパウロにくらべて、目立たぬ凡庸な人間である我々でも、神を信じキリストを信ずる時に、それぞれ自分の生活、人生の中に、神から頂いたコース、役割をはっきり見出して、生きる事が出来るのです。

 カーター大統領 2004年8月1日

 あなたはカーター大統領が泥棒をしたことがあるのをご存知ですか。
 カーター氏の生まれた家は、非常にまじめな、南部バプテスト教会のクリスチャンホームでした。それで小さい時から、日曜学校に行って、教会の子供の集会に出席していたのです。
 ある朝「献金しなさい」といって、お父さんから1ペニーもらって、日曜学校へ行きました。ところが、献金の時間に、友達が献金の皿を持ってまわって来た時、カーターさんは1ペニーの献金をしなかっただけでなく、お皿の中の1ペニーを取りました。
 家へ帰って来ると、いつも洋服を着がえます。その時、ポケットの中のものを出して、洋服だんすの上にのせる習慣だったので、ポケットの中の2ペニーはたちまちみつかってしまいました。何でも、お父さんに叱られて、罰としてムチで叩かれた相です。そして神様に悔い改めのお祈りをしたのです。カーター氏は自分でこの事を本に書いています。そして言っています。"これは自分にとって、最初の、そして最後の泥棒だ"と。
 カーター氏は、失敗があっても、すぐ立ちなおることができたわけですね。実はこれが、人間にとってとても大切な事だと思います。
 大統領の話のあとで自分の話をするのも妙なものですが、私も少年時代、いたずら半分に本屋さんで万引きをしたことがあります。クリスチャンになってから、はずかしいのをがまんして、お祈りしつつ神様に助けて頂いて本屋さんにあやまりに行きました。本屋さんは快くゆるしてくれましたが、私はその時、罪というもののみにくさ、はずかしさ、恐ろしさというものを悟りました。これは私にとっても、貴重な経験でした。
 今週の聖書
  新約聖書、ヨハネの黙示録3章19節 「だから、熱心になって悔い改めなさい」