館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(45) 「希望のダイヤル原稿」から

 宇宙船の船長 2006年6月4日、11日

 旧約聖書詩篇第19篇に「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」という言葉がありますが、ここに言われている「もろもろの天」というのは宇宙という事でしょう。
 ギリシャ以来ガリレオが天体望遠鏡を発明するまでは星の数はせいぜい2000ぐらいと思われていた相です。もっとも肉眼で見えるのは今でもそのくらいだ相ですが、今の天文学者の計算は途方もないものとなっています。しかし肉眼で見ても、望遠鏡で見ても、壮大でしかも美しい宇宙は神秘そのもので、そこから、語りかける神の声を聞く思いです。「神を信じない天文学者は狂人だ」と言われるくらいのものです。空だけではない。神の造り給うたあらゆる物は、無言のうちに、我々に対して、天地万物をお造りになった神の存在を語りかけているのです。
 1953年エベレスト山初登頂に成功したとき、オーストラリアのヒラリー卿とネパールの山男テンジンの二人が、15分山頂にいたのです。あとで新聞記者に感想を聞かれたテンジンが「あれは私の生涯で、最も神に近い15分だった」と言ったのは有名な話です。
 我々も日常のこせこせした事、地上のごたごたした事をはなれて、仰いで大空を見、伏して神に祈ることは幸です。
  同じ詩篇の121篇に「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けはどこから来るのであろうか。わが助けは天と地とを造られた神から来る」と書いてあるのも、同じ意味です。
 ある船が大嵐にあって、乗客が大さわぎをしている中に、一人の子供が、親もそばにいないらしいのに、平気な顔をしているので、誰かが聞いてみました。「こんな嵐なのに、坊やはこわくはないのかい」「こわくなんかないよ」「どうして」「だって僕のお父さんがこの船の船長なんだよ」そうです皆さん。神様はこの宇宙の船長なのです。

 あなたの若い日に 2006年7月2日、09日

 我々人間は、顔が違うように、一人一人性格、才能、適性が違いますが、一人一人をそういうふうに造って下さったのは神様なのです。その神様はまた人間一人一人に、それぞれの使命役割を用意して下さるのです。その、神によってあらかじめ定められた使命、役割をしっかりとらえ、それを自覚して生活することが、人間の自信、満足、充実感、即ち、本当の幸福につながるのです。
 今まで、そういう事をお話して来ましたが、今日は、旧約聖書、伝道の書12章の言葉を一つご紹介しましょう。それは、
 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」という言葉です。
 造り主は即ち神様ですが、もとより神を信ずるのに早い遅いはない筈ですけれども、神を信ずる事が、自分自信の価値意識と、人生の役割意識、使命感につながるとすれば、若い時に神様を信ずることは特に大切です。どういう学校に進学しようか。どういう職業につこうか。どういう人と結婚しようか。そういう大切な時期に、神に祈る事ができる人は本当に幸いです。
 今は少年の自殺が多いのです。学者の推定では、表むき自殺の扱いをうけなかった人や、未遂に終った人などを加えると、一人の自殺者に対して、数十名の実際の自殺者がいるということです。非行に走る少年はどうですか。これもやけっぱちな気持ちから来る、一種の自殺行為です。では、なぜそんなに子供達の心はゆきづまっているのでしょうか。
 いろいろなわけもあるでしょうが、その一つは、自分の本当の価値、本当の生き甲斐がわからないから、自分についても人生についても自信もなければ意味もわからないのです。そのためではないでしょうか。
 あなたはお母さんですか?数学やらピアノやら子供達にいろいろ教えて上げるため努力しておられるでしょう。でも考えて下さい。子供達に祈ることを教えてあげることも、とても大切です。いざという時に、“あなたは神様に造って頂いた、大切な人なのですよ。あなたには、神の用意して下さった、使命、役割があるのです。あなたの人生について、神様が必ず責任をもって、導いて下さるのです。頑張って下さい。さあお母さんと一緒にお祈りしましょう”そういうふうに一緒に祈ることができれば、本当に幸せではないでしょうか。 

 キュクリヒさん 2006年8月6日、13日

 わたしはよく知りませんが赤ちゃんに離乳期がきているのに、いつまでもずるずるお乳を飲ませていると、いわゆる離乳不全で、あいまいではっきりしない、意志の弱い人間になるそうですし、またお乳を飲ませながら、お母さんがいつも怒ったり、いらいらしたり、くよくよ、めそめそしていると、この赤ちゃんは、大人になって、情緒不安な人になるそうですから大変ですね。
 あるお父さんが、酔っ払って、大分ご乱行を演じて家へ帰ると汚れた洋服を脱ぎ捨てて寝てしまった。
翌朝ゆり起こされて見ると、子供が脱ぎ捨てたお父さんの洋服をすっかり着込んで「お父さんと同じになった」と言って喜んでいる。お父さんはハッと思った。「この子はだんだん俺を見習って、しまいには俺そっくりの人間になるのだ」と思うと愕然としたそうです。
 そうです。子供は案外、お父さんの言うことよりも、実際やっていることを見ていますよ。
 キュクリヒさんという有名な宣教師がいますが、小さい時お母さんが亡くなって、新しいお母さんが来ました。子供たちになかなかなじめないで、家中の空気がなんとなくギコチなかったのです。
 ある日キュクリヒさんが、ふとお母さんの部屋をあけるとお母さんがお祈りしていました。そしてお母さんの口から、一番お母さんになじまないで困らせている、兄さんの名前が出ました。キュクリヒさんは、すぐドアを閉めたのですが、とても心があたたかくなりました。まもなくこの家庭は、平和な、あたたかい家庭になったそうです。
 お祈りするお父さん。お祈りするお母さん。その中で大きくなる子供たちは幸福ですね。教会はその大切な祈りについて学ぶところ、一緒にお祈りするところです。教会にいらっしゃいませんか。

 キュクリヒさん 2006年9月3日、10日

 神様を信じる人に与えられる神様の祝福は、その人その人いろいろですが、事業の経営の上に大きな祝福を経験する人もいます。小林富次郎氏はライオン歯磨き、森永太一郎氏は森永製菓をはじめた人で、いずれも熱心なクリスチャンでした。森永のお菓子にはエンゼル、つまり天使がついていますが、天使マークに恥ずかしくないように、というので、お菓子をあげ底のない箱に入れたり、きちんと定価で売ったりすることは森永からはじまったということです。
   森永太一郎氏は森永製菓をはじめた人で、熱心なクリスチャンでした。彼がアメリカで新しく西洋菓子の製法を学んできて、東京赤坂溜池で、洋菓子製造所を開業した時、そのお菓子がいちはやく、当時のアメリカ公使バック夫人にみとめられたり、宮内省御用菓子になったりしたのも、彼の祈り、誠実、仕事熱心が、神様の祝福を受けたのでしょう。その後の事業の進展はご承知の通りです。
 若い時は大変苦労が多く、お父さんには早く死なれ、母親も自分をおいてさっさと再婚してしまい、孤児同然で親戚の家をたらいまわしにされて、露命をつないで来たと自分で言っています。そのため母や肉親に対する恨みの心が深く、人を信ずることのできない、冷たい、固い心を持つようになり、それを自分でももて余していた相です。
 若い頃からアメリカへ行ったのですが、そこでキリスト教に接しました。キリストが、十字架の上で「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」と自分を殺そうとする人々のために祈った祈りに感動し、「私もキリストを信じて救われよう。人を憎まないで、思い切って人のために祈ろう。そして人のために真心をつくそう」そう決心して洗礼を受けたのでした。
 昭和5年、祈っている時「立ってゆけ」という神の声に接しました。それで後輩に社長をゆずって、日本全国の教会や学校で証(信仰の体験談)をして歩きました。その題はいつも「私は罪人のかしらです」という題でした。