市川副牧師 コラム集(26)
オリブ山の下り道あたり 2012年4月29日
「いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた」ルカによる福音書19章37節「オリブ山の下り道あたり」とあります。小高いオリブ山からエルサレムの都が見えます。オリブ山をくだり東からキデロンの谷を渡って西に進みエルサレムに入城します。
イエス様のご生涯においてオリブ山は群衆から離れて祈る祈りの場所でした。エルサレム入城後、十字架を目前にした最後の週も、「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた。」(ルカによる福音書21章37節)のです。
イエス様は聖書のみ言葉を成就するため、ろばの子に乗ってエルサレムに入城されました。人々はしゅろの枝を振ってみな喜んで迎えました。
彼らとは対照的に、イエス様は、「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた」(ルカによる福音書19章41節)。
この民が、罪の結果もたらされたあらゆる苦悩から解放してくださる救い主イエス様を知らないことを思い、エルサレムのために泣かれました。このときのみ言葉のとおり、紀元70年、ローマ軍によってエルサレムは陥落しユダヤの民は国土を失い離散へと歩み出すのです。
宮きよめ 2012年6月24日
それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、彼らに言われた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった。」ルカによる福音書19章45、46節
エルサレム入城の翌日、イエス様は神殿に向かいました。商売人の台をくつがえすなどして宮きよめをなさいました。商売人については、両替人、はとを売る者とも記されています。
「それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。」マルコによる福音書11章15、16節
厳しく激しくお怒りになる、このようなイエス様のお姿をほかでは見ることができません。
イザヤ書56章7節に「祈の家」という言葉がでてきますが、この言葉と対照的に、当時、礼拝のために来た人々相手の商売の喧騒の中にあったのでした。
サンヘドリン 2012年8月19日
神殿で福音を宣べていたイエス様のもとにやって来たのは、祭司長、律法学者たち、長老たちでした。(ルカ福音書20:1)。彼らはサンヘドリンの議員たちでした。サンヘドリンとは「共に」と「座席」という言葉で成り立っているそうです。
これは二種類の議会を指し、一つはユダヤ人の最高議会で、エルサレムにおいて71人の議員からなる「大サンヘドリン」です。聖書に「全議会」「議会」と出ています。イエス様の裁判に関して「さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。」(マタイ福音書26:59)。ペテロとヨハネの大胆なあかしに関して「そこで、ふたりに議会から退場するように命じてから、互に協議をつづけて…」(使徒行伝4:15)。
もう一つは最低7人最高23人からなる地方都市における「小サンヘドリン」。聖書に「衆議所」(マタイ福音書10:17)と出ています。
わたしも、ひと言たずねよう 2012年8月26日
祭司長や律法学者たち、長老たちは、イエス様に「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか…」と尋ねました(ルカ福音書20:2)。イエス様のエルサレム入城の様子、宮清めの厳しいお姿、「毎日、宮で教えておられた。」(同19:47)様子に「祭司長、律法学者また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった。」(同19:47、48)のです。あえてイエス様に尋ねたのは、言葉じりを捉えようとしてのことだったのでしょう。イエス様は「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」(同20:3、4)。彼らはどちらにも答えることができませんでした。「わたしも…あなたがたに言うまい。」イエス様のお答えです。(20:4〜7)。真の権威をお持ちのイエス様は十字架の贖いという尊い使命を果たすために揺るがされることなく歩まれました。