館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(22)

 主に感謝 2008年12月28日

 「主があらしを静められると、海の波は穏やかになった。こうして彼らは波の静まったのを喜び、主は彼らをその望む港へ導かれた。どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。」詩篇107篇29〜31節
 人生という大海原で嵐に遭うこともたびたびあります。しかし、主なる神様は嵐を静めて穏やかな港に導いてくださる方です。時には思いがけない苦難のなかにおかれたとしても、嵐を静め喜びと平安のうちに生かしてくださる、いつくしみ深い主を思い、御名を崇めるのです。なによりも救い主イエス様に出会わせていただいたこと、救われたことを改めて感謝しましょう。
「言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。」コリント人への第二の手紙9章15節

 服  装 2009年4月26日

 イスラエルの人々の生活において、動物の毛を用いて織物を作る技術は古くからあったようです。遊牧民の移動式テントである天幕は黒いやぎの毛で織られていました。悲しみ、嘆きのしるしに着た荒布は、同じように、やぎの毛で織った黒色の目の粗い布です。子羊やらくだの毛も用いられたそうです。エリヤ(列王紀下1章8節)も、バプテスマのヨハネも毛ごろもを着ていました。「このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。」マタイによる福音書3章4節。
 しかし、衣服の素材の多くは、羊毛、綿、麻などでした。亜麻布は極上の物から、きめの荒い物までいろいろあったようです。ルカによる福音書16章の金持ちが着ていた「細布」はこの極上の亜麻布にあたるようです。
 長方形の亜麻布で体を包むようにして着る衣服は眠るときの被いとしても使用されたようです。
 歴代志上4章21節に「亜麻布織の家の一族」という言葉があります。箴言31章13節には「彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。」、24節には「彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。」とあり、手先が器用で働き者の主婦の様子が伺えます。
 ヨハネによる福音書19章23節には「さて、兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。」とあり、イエス様の服装についても記されています。

 シェマ 2009年6月29日

 「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。」申命記6章4節5節
 館林キリスト教会日曜学校教案に少年時代のイエス様について記されたものがあります。この教案から、イスラエル民族の教育の様子もうかがえます。ユダヤの家庭では子供たちが片言が言えるようになると、最初に「シェマ」を覚えさせたということです。「シェマ」は申命記6章4節5節のみ言葉です。このみ言葉に出てくる「聞け」というヘブル語が「シェマ」という言葉なので、こう呼ばれたようです。人々は会堂で礼拝をささげましたが、会堂は子供たちの教育の場でもあり、学校の役割も兼ねていました。子供たちは会堂に出かけて教育を受けました。会堂が学校であり、教科書は聖書でした。国語も歴史も人格教育、宗教教育に至るまで神のみ言葉による一貫した教育がなされたのです。イエス様はマタイによる福音書22章36〜40節で大切な戒めについて教えておられます。

 会 堂 2009年8月23

 ユダヤの人々が集まる会堂はシュナゴーゲーあるいは一般にシナゴーグと呼ばれています。集まりという意味です。離散したユダヤ人が、バビロンで、律法の学びや祈りのために共に集まりました。これがシナゴーグの始まりだといわれています。故国から遠く離れてしまったユダヤ人たちは今までのように神殿で礼拝はできません。それに、エルサレムの神殿はすでに破壊されてしまったのですから犠牲をささげることによる礼拝はできなくなりました。
 離散した場所で祈るときはエルサレムの方に向いて祈ったのです。ダニエル書にはダニエルが故国エルサレムの方角の窓を開けて日に三度祈った様子が記されています。ユダヤ人は各地に会堂を建て、そこで礼拝するようになりました。シナゴーグで公の礼拝のためには、成人男子10人の出席が必要でした。  エズラ記、ネヘミヤ記などにあるように、捕囚から故国に帰還し、エルサレムに神殿を再建しましたが、神殿再建後もシナゴーグはパレスチナの各地に広がっていきました。
 イエス様も安息日に会堂に入って教えたと福音書に記されています。「イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。」ルカ福音書4章20節。会堂内部の正面には律法の書と預言書の巻物が収められていました。「係りの者」は箱に納められている聖書の巻物の出し入れや保管などをしたようです。
 会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。マルコ福音書5:22〜24
 会堂には会堂司がいて礼拝や会堂の管理などが任されていました。ヤイロもそのひとりです。シェマの朗読、祈り、律法の書の朗読、預言書の朗読、解き明かしという順序で礼拝が行われたということです。朗読箇所は読み手に任されていたようです。
 イエス様もナザレのシナゴーグで、渡されたイザヤ書の巻物から、ご自身に関する預言を読まれました(ルカ4章)。神殿における礼拝では犠牲がささげられました。シナゴーグでの礼拝は聖書の朗読と解き明かしがなされました。イエス様の十字架、復活による新しい契約の時代に移り、キリスト教会で礼拝が行われるようになりましたが、シナゴーグでの礼拝によって、聖書の朗読と解き明かしなどが、摂理のうちに備えられたと言われています。