館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(23)

 使徒ペテロの名前 2009年12月27日

 イエス様はペテロに「あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」とおっしゃいました(ヨハネ福音書1章42節)。
 「ケパ」はアラム語「ケーファー」をギリシャ語に音訳した言葉だそうです。
 「訳せば、ペテロ」という意味は、ギリシャ語に訳すとペテロという言葉になる、ということです。実際のギリシャ語発音は「ペトゥロス」だそうです。ケパもペテロもどちらも「岩」を意味するそうです。
 ペテロの本来の名前はヘブル語でシメオンです(使徒行伝15章14節、ペテロの第二の手紙1章1節)。「シメオン」のギリシヤ語音訳がシモンだそうです。
 「シモン・ペテロ」という呼び方は、本来の名前シモンとイエス様から与えられたペテロという名前を組み合せたもので、ヘブル語のギリシャ語音訳プラスギリシャ語の名前ということになります。シモン・ペテロという名前で呼ばれているのは、ヨハネによる福音書が最も多いそうです。
 長い歴史と複雑な文化交流を背景に多様な言語の中で生活していたこと、絶えず移り変わる社会や時代の中で、揺るがない土台であるイエス様に対する信仰が芽生え育てられていったことなど、改めて思わされました。
「言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。」コリント人への第二の手紙9章15節

 恵みと平安 2010年2月7日

 「おはようございます」「こんにちは」などのほかにイスラエルの挨拶はヘブル語のシャーローム。町のどこででもいつでも使われています。意味は「安全」「安寧」「幸福」「平和」だそうです。旧約聖書においてシャロームは「平安でいらせられますように」サムエル記下18章28節など多数使われています。「どうか神があなたを恵まれるように」創世記43章29節、というのが一般的な挨拶の形式だったそうで「主があなたを祝福されますように」サムエル記上15章13節などよく登場します。長い歴史の中でこのような挨拶が交わされ続けてきました。やはり祝福の中にある民だと思わされます。
 新約聖書ではヘブル語のシャーロームの意味合いを持つギリシャ語のエイレーネーという言葉が使われているそうです。
 「平安が…あるように」ルカ福音書10章5節、「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」コリント人への第一の手紙1章3節、などこれも数多く使われています。「恵み」それはキリストを信じる者にわけ隔てなく与えられる無条件の救いの恵み。そしてキリストによって与えられた神との平和。この恵みを思い、恵みと平安があるようにと挨拶を送っています。キリストによって救いの恵みに預かり、今も「主があなたを祝福されますように」「恵みと平安がありますように」と挨拶したり記したり祈れることは幸福なことです。

 ユダヤの三大祭 2010年4月25日

 ユダヤでは年に三度大きな祭が行われました。過越の祭(続いて行われる、種入れぬパンの祭)、七週の祭、仮庵の祭です。
 申命記16章16節に「あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。」とあります。
 過越の祭はアビブの月(バビロニア暦ではニサンの月)(太陽暦の3月〜4月)の十四日の夕方から行われました。これはイスラエルの民がエジプトから救い出された記念です。翌日から七日間、種を入れないパン(発酵させないパン)を食べ、初めの日と最後の日に聖なる会合が召集されました。
 「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。…小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。…そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。」出エジプト記12章2節、5節〜8節。「正月の十四日の夕は主の過越の祭である。またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。」レビ記23章5節6節
 「…アビブの月の定めの時に七日のあいだ、種入れぬパンを食べなければならない。それはその月にあなたがエジプトから出たからである。」出エジプト記23章15節。

 七週の祭 2010年5月30日

 「あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない。…」出エジプト記34章22節
 初穂の祭、初穂の日、刈入れの祭とも呼ばれました。シワンの月(太陽暦の5月から6月)の第六日に行われました。かまを大麦の穂に入れ始める日すなわち、種入れぬパンの祭の安息日の翌日から七週を経て行われました。五十日目に当たるので、五十を意味するペンテコステ(五旬節)という呼び方が、後にされました。
 これは、小麦刈りの初穂の祭であるとともに、かつてエジプトで奴隷であったことを覚え、救い出してくださった主に感謝をささげたことでしょう。
 「また七週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から七週間を数え始めなければならない。そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。こうしてあなたはむすこ、娘、しもべ、はしため…あなたがたのうちにおる寄留の他国人と孤児と寡婦と共に、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの定めを守り行わなければならない。」申命記16章9節〜12節
 使徒行伝2章には五旬節の日に、待ち望んでいた聖霊が降臨したことが記録されています。この出来事をペンテコステという言葉を使って記念しています。これは主の復活から数えて五十日目にあたります。今年は主の復活の記念日、イースターは四月四日でした。七週を経て五十日目がペンテコステで、五月二十三日でした。