伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(15)
ペテロの第一の手紙 2011年7月3日、10日
ペテロの第一の手紙は、タウロス山脈の北、現在のトルコの大部分を占める、5つのローマ帝国内に散在していたクリスチャンに送られたものである。
ペテロは恐らく、ネロ迫害の勃発時、ローマからこの手紙を書き送ったものと思われる。そばにはマルコがおり、パウロの仲間のシラスが手紙を書くのを手伝ったのであろう。ペテロは、ローマにいるクリスチャンと同様に、ローマ帝国の他の地域のクリスチャンも、まもなく迫害に遭遇するであろう事を想像したのである。だからペテロの手紙の内容は、慰めと希望と、堅く信仰に立つようにとの励ましであった。
ヨハネが「愛の使徒」と呼ばれ、パウロが「信仰の使徒」と呼ばれるように、ペテロは「希望の使徒」と呼ばれるそうである。「希望」と言うことばが、この短い手紙に5回も用いられているからである。また「苦難」という言葉を14回も用いている。キリストの苦難、およびキリストに従うことによるクリスチャンの苦難について、涙を流しつつ語り、そばにいる者に書かせたのであろう。
福音書におけるペテロの姿は、彼の手紙の中に見られる姿と、驚くほど違っているのに気がつくだろう。福音書におけるペテロは、衝動的であり、落ち着きがなく、時には恐れるものを知らないが、時には臆病であり、主に対して呪いをもって否定することさえあった。
しかし、彼の手紙の中においては、彼は忍耐強く、落ち着いており、愛があり、内に住んでおられる聖霊様によってきよめられ、強められた勇気を持っている。これは神様が人間の生活を変えられることの、素晴らしい証である。
この手紙は明らかに、一般的なクリスチャンに対する嫌悪感が、積極的な迫害となって猛威をふるった時に書かれたものである。それは、ネロの迫害の頃であった。映画「クオヴァディス」は、アカデミー賞をもらった作品だが、この時代を描いている。コロセウムで、賛美歌を歌いつつ殉教していくクリスチャンたちの場面は涙なしに見られない。そして真実はもっとすごかったのだろう。そうした人たちを、この手紙は励まし、力づけたのである。(伊藤)
ペテロの第二の手紙 2011年8月7日、11日
ペテロの第一の手紙が「慰め」の手紙ならば、第二の手紙は「警告」の手紙と言える。第一の手紙において、ペテロは外部からの激しい迫害を受けていたクリスチャンたちを、励まそうとした。第二の手紙においては、教会の内部にある危険に関して、彼らに警告している。
クリスチャンは、肉体的勇気以上に、道徳的勇気を必要としている。あらゆる状況の下において、条件をつけず、正しいことを行うのは、私たちに求められていることであり、義務である。真理のためにたちあがることは、しばしば、戦場に行くよりも困難である。聖書からの例は、旧約ではヨセフ、モーセ、ネヘミヤ、ダニエル、、新約ではパウロに見られる。歴史上にも、ポリュカルポス、ルター、ウエスレーなどである。彼らは決して神を、キリストを恥としなかった。なぜなら、彼らは、まことの神を、キリストを知っていたからである。
この手紙を書いた頃のローマ皇帝はネロである。半分気違い、半分馬鹿だと言われた暴君だ。ネロは新しいローマを作るために、ローマの街に火を放った。民衆はネロのしわざと激しく批難した。この批難を逃れるために、放火の罪をクリスチャンになすりつけたという。ひどい話だ。
イエス様は、最後の晩餐でパンを分けながら「これはわたしのからだである」と言い、ぶどう液をわける時には、「これは私の血である」と言われた。それが誤り伝えられて、クリスチャンは、人肉を食い、人血を飲むという風評が立ち、さらに、他国人や赤ん坊を殺して食べるといううわさが流れていた。こうした中で、ペテロはこの手紙を書いたわけだが、恨みや憎悪ではなく、慰めと確信に満ちた言葉がつらねられているのは驚かざるを得ない。ペテロの第二の手紙1章5節から7節には「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。」と記されている。(伊藤)
ヨハネの第一の手紙 2011年9月4日、11日
この手紙は、年老いた使徒ヨハネによって、紀元90年ごろ、おそらくエペソで書かれた者と思われる。他の使徒たちとは異なって、彼はいかなる教会にも、あるいは、いかなる特定の個人にも宛てていない。彼は年老いた者にも、若い者にも、全てのクリスチャンに対して書き送っている。彼はクリスチャンたちを「テクニヤ」という優しさのあふれたことばで呼んでいる。この言葉は、「生まれた者」とか、「幼児」という意味がある。神様はご自身、生まれ変わった子供たちを取り扱っておられるのである。
ヨハネの手紙は、ペテロやパウロの書簡と違って、迫害などに苦しむことがあまりなかったように思われる。その代わり、教会自体の中に、さまざまな誘惑があって、偽善者が起こったり、熱い信仰が冷えていったり、崩壊のきざしが見えていたらしい。信仰というものは、外からの迫害によって崩れるよりも、自分の気の緩みによって崩れることのほうが多いと言われる。それは現代の教会が持つ危険でもある。
ヨハネはなぜ彼が福音書を書いたかを、20章31節に「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」と言っている。そのヨハネがこの手紙を、キリストを信じる者に対して、彼らが永遠のいのちを持っていることを、「悟らせる」ために書いた、と記している。福音書の方は、人々がどのようにしたら永遠のいのちを得ることが出来るかが書かれている。それに対し、ヨハネの第一の手紙の方は、信じたものが永遠のいのちを持っていることを確信させる(悟らせる、知る)ために書かれたものである。ヨハネの第一の手紙は、ヨハネによる福音書と対になるものという意図の下に書かれたように思われる、と言われている。したがって、ヨハネによる福音書においては「信じる」と言う言葉が一貫して用いられており、ヨハネの第一の手紙の方では、「悟る(知る)」ということばが一貫して用いられている。この短い手紙の中で30回以上も用いられている。(伊藤)
ヨハネの第二の手紙 2011年11月6日
これはヨハネの個人的な手紙である。そしてこれは、だれであるかよくわからないクリスチャン婦人に宛てられている。聖書の中で、婦人に宛てられた唯一の手紙である。
わずか一章という短い手紙であるが、「真理」と「愛」という言葉の多いのが目立つ。ここでヨハネが語っている「真理」は、上からの真理であって、キリスト・イエスにある真理である。私たちは、単に真理を賞賛するだけでなく、真理によって歩むべきである。そうすれば互いに愛し合うことが出来るのである。これは純粋の愛であり、決して変わることがない愛である。そして私たちの愛を立証する者は、私たちの歩みなのである。だから6節には「父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである」と書いている。(伊藤)