伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(14)
テトスへの手紙 2011年4月3日、10日
この手紙において、良いわざの重要性が強調されている。私たちは良いわざによって救われるのではないが、良いわざを行うために救われたのである。
テトスへの手紙は、パウロによって書かれたものである。テトスはクレテの監督であり、これは困難な職務であった。パウロは以前にもコリントの教会における分派の問題を解決するという、困難な使命のためにテトスを派遣したが、彼はたくみに教会を説得して、分派の問題に関して正しく行動するようにさせた。
パウロのコリントへの第二の手紙は、テトスがいかにこの使命を果たすのに成功したかを述べている。テトスは異邦人であった。明らかに、彼はパウロの初期の伝道において回心した者の一人であった。彼はパウロが回心後17年目にバルナバと共にエルサレムに上った時、彼らと同行した。
テトスは「使徒行伝」には、登場しないが、彼がパウロに信頼された内輪の仲間の一人であったことは手紙によって明らかであり、間違いないだろう。
ギリシャ人として、彼はエルサレムの訪問において、テスト・ケースとなり、ユダヤ人以外の回心者の立場を明らかにした。(ガラテヤ人への手紙2:1〜4参照)
パウロはアポロがクレテ島へ行こうとしているということを聞いた時、その機会を利用して、テトスへ手紙を送ったのである。
この手紙は、若い牧師に対する実際的な忠告に満ちており、彼の教会管理に対する指示を与え、その当時の異端に関して彼に警告している。
パウロはテトスに対して、彼のところに来て、その島にある教会の状況について報告するように求めている。
ゆえに、これは個人的な手紙であるが、同時に、牧会上、明らかに教会でも読まれるべきものであったと思われる。(伊藤)
ピレモンへの手紙 2011年4月17日、5月22日
この書において、最も強調されているのは、クリスチャンの愛と赦しである。
このピレモンへの手紙は、オネシモというピレモンの奴隷の問題が中心になっている。当時は奴隷制度が何のうたがいもなくあった時代である。わずか二枚のタオルを盗んだだけで、焼きごてを罰として押されたそうである。もし主人の家に逆らうことがあれば、死刑にすることも出来たという。
そのことを念頭において、このピレモンへの手紙を読むならば、たった1章の短い手紙であるが、いかに驚くべき手紙であったかが想像できる。
ピレモンは奴隷オネシモの主人であった。オネシモは主人の家から物を盗んでローマに逃げた。そしてそこでパウロに出会い、彼に導かれて、オネシモはクリスチャンになったのである。
パウロは未決囚で、裁判の結果を待って、ローマに留まっていた。未決囚といっても、一軒の家を借り、一人の番兵をつけられてはいたが、比較的自由な行動が許されていた。
オネシモはパウロの身近に仕えるようになったが、パウロはそのオネシモを、主人ピレモンのもとに送り返すことにした。いかなる刑罰を、逃亡奴隷に与えてもかまわない時代である。しかしパウロは、このひとりの奴隷オネシモを返すことによって、ピレモンやその友人知人たちに、クリスチャンは奴隷にどのように対すべきかを知らせたいと願ったのではないだろうか。
ピレモンへの手紙には、「こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。」、「彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。」などと書いているのを見ると、とても驚いたと思う。
さらに後の時代に、この手紙は奴隷解放の道を歩むために、ジョン・ニュートン、リンカーン、キング牧師など多数の人の心を捕えたのではないだろうか。ピレモンへの手紙は、短い手紙だが、まさしく愛のダイナマイトだと言えよう。(伊藤)
ヘブル人への手紙 2011年6月5日、12日
ヘブル人への手紙は、迫害下にあるクリスチャンたちに送られた励ましの手紙である。
この手紙の著者は不明である。何世紀もの間、人々は、著者がパウロなのか、バルナバなのか、アポロなのか、考えてきたが、明確なものは一つもない。
ヘブル人への手紙の著者は、この手紙の内容をキリスト論的に、つまりキリストの優位性の立場からまとめている。3つに大別すると、第一は、キリストの人格の優位性(1〜4章)、第二は、キリストの祭司職の優位性(5章〜10章)、第三は、キリストにある生活の優位性(11章〜13章)に分けられる。
また、この書は「第5の福音書」と呼ばれることもある。4つの福音書はキリストの地上における働きを描いているが、この手紙は、キリストの天の御座の右における働きを描いているといわれる。
私たちの救い主の栄光が、この手紙の中に示されていて、私たちの目は、「信仰の導き手であり、完成者」であるイエス様に注がれている。彼は天において「栄光と誉れの冠をお受けに」なって、私たちの前に示されているのである。
この手紙が書かれた頃、多くのユダヤ人クリスチャンが、イエス様に対する自分たちの信仰に疑いを持ち始めていた。彼らは落胆し、イエス様を救い主として受け入れたために自分たちの行き方を失ってしまった、と感じていたのである。だからこの手紙は、イエス様を信じることは、ユダヤ人としての伝統や慣習のすべてに優れていることを示すために書かれたものであるともいえる。そしてこの書の特徴は、イエス・キリストが各ページにおいて、目立っていることである。使徒行伝においては、使徒や兄弟たち、及びユダヤ人と異邦人が目立っている。ローマ人への手紙においては、偉大な教理が、目立っている。しかし、ここでは、私たちの主イエス・キリストご自身が目立っている。またヘブル人への手紙は、新約聖書なしに旧約聖書を理解することが出来ず、旧約聖書なしには新約聖書を理解することが出来ないということを立証している大事な手紙であるともいわれている。(伊藤)
ヤコブの手紙 2011年6月19日、26日
ヤコブの手紙は、2世紀末の「ムラトリ正典」では、聖書の正典として組み入れられていなかった。途中から編纂され、新約聖書が29巻にまとまっていった段階で、正典として組み入れられるようになった次第である。しかし、ルターなどは「藁の書簡」と評して、これを聖書から除く運動さえしたのは有名だ。
ヤコブの手紙の著者は、イエス様の兄弟のヤコブである。イエス様が墓の中からよみがえられる以前には、イエス様に従う者ではなかったが、イエス様が死からよみがえられた後に、イエス様を信じた者である。後にエルサレム教会の指導者になって活躍した人物である。
ヤコブの手紙は、迫害によって散らされたクリスチャンたちが、イエス・キリストを信じていながらも、ユダヤ人としての民族習慣や律法による慣例など、彼らの民族性によって真の信仰から迷い出るような事がないように書き送られたものである。あて先を「12の部族」と記しているが、ヤコブはユダヤ教徒よりも、真の御国相続民であるキリストを信じたユダヤ人を思い、その意味でここに表現したのだと思われる。
ヤコブの手紙は、初期に書かれた手紙として、当時の教会の情勢を反映しており、ユダヤ人クリスチャンが陥りやすい罪を指摘している。著者のヤコブはユダヤ民族の思想、文化に通じていたようで、その文章の構造も、当時のユダヤ人教師が教えていたように、ことわざのように短く、洞察力も深い。だから、この手紙の構造は、旧約聖書では箴言に似ており、新約聖書では山上の説教に似ているといわれる。
この手紙では、ユダヤ人クリスチャンが大切にした律法が強調されている。けれども「真理のことば」によって生まれたと、「新生」が神のことばによることを明確に教えている。そして、みことばのことを「心に植えつけられた」、また「あなた方の魂を救う」と言っている。このほか、クリスチャンが、みことばに従順であるべきことを教え、みことばに聞くだけではなく「行う」ことを強く勧めている。そして、旧約聖書、レビ記19章18節後半の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」を最高の律法として教えている。(伊藤)