伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(10)
マタイによる福音書 2009年9月6日、13日
2005年9月18日(日)の週報に「66巻のラブレター、創世記<1>」を掲載させていただいてから2009年8月16日(日)で旧約聖書各巻の説明が終了するまで約4年間になる。これからは新約聖書について書いていきたいと願っている。私たちは、旧約聖書より新約聖書の方が、馴染み深いところがあるかもしれない。しかし旧約聖書がよく理解できて、新約聖書の本当の味わいがわかるのだと思う。
小林誠一先生は旧約聖書の専門家だ。その解き明かしにグイグイと吸い込まれていったのを覚えている人もまだたくさんいると思う。
このマタイによる福音書は、明確な目的を持って書かれている。それはユダヤ人に対して、イエス様は長い間待ち望んでいたメシヤであり、ダビデの子であり、イエス様の生涯は旧約聖書の成就であるということを伝えたいためである。
マタイによる福音書は、他の福音書と比較しても旧約聖書からの引用が多く、その数29にも及んでいる。この福音書は、旧約聖書に続くものであり、新約聖書における最初のものである。
マタイという名は「神の賜物」という意味だが、彼は人々から忌み嫌われていた取税人の仕事をしていた。その彼をイエス様は招き、救い、使徒として派遣された。
マタイは、イエス様とモーセを比較して書いている。たとえばモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に対し、イエス様の説教を5つにまとめている。またモーセがエジプト王パロの前で行った10の奇跡に対し、マタイによる福音書8、9章でイエス様がおこなった10の奇跡を記し、その中に自分の救いを入れている。
イギリスの有名な説教家スポルジョンは「マタイが福音書を書く時に、この奇跡の7番目に自分の回心のことをあげているのは大変意味がある。言い換えれば、マタイは自分のような罪人が救われてキリストの弟子になったのは、1つの奇跡である。だから病人が癒され、死人がよみがえらされたのと並べて書いたのだ」といっている。
御霊と神の愛に心動かされてこの書を書いたマタイのペン先が見えるようだ。(伊藤)
マルコによる福音書 2009年11月8日、22日
マルコによる福音書は、読んですぐわかるように、非常に簡潔で読みやすい。私は初心者の人に、新約聖書のどこから読んだらいいですかと聞かれるならば、迷わず、マルコによる福音書から読んだらいいでしょう、と答える。彼は名をヨハネといい、あの最後の晩餐で使用した家の持ち主、マリヤの息子であり、バルナバのいとこにあたる。
パウロやバルナバと一緒に出かけた第一回伝道旅行の際、あまりの困難に坊ちゃん育ちの彼には耐えられなかったのだろう、途中リタイアして家に帰ってしまった。それ以来、パウロと共に伝道に出かけることはなかったらしい。ペテロを通して回心したようで、ペテロは愛情込めて「私の子」と彼のことを呼んでいる。彼は最後までペテロの通訳者として奉仕をし、ここにペテロの説教を書き残したと思われる。だからこの書は「ペテロによる福音書」とも言ってもいいかもしれない。
マルコによる福音書10章45節には、この福音書を書いた目的を知ることが出来る。そこには「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」と記されている。
マタイによる福音書とは異なり、マルコは、イエス様に関する預言などを立証しようとしていない。彼が福音書を書いた唯一の目的は、イエス様が神の子である事実を、言葉よりも行為に重点を置いて記している。しかも、地上における短い生涯において、イエス様は何を完成したか、彼が来たことによってこの世はどのように変ったかを示すことによって立証しているのである。この書は、ローマの読書に対して書かれたものである。ローマ人は実際的であるから、イエス様の生涯において、彼が何をなし、私とどのようなかかわりがあるのか平易に示して欲しいと願っていることを前提に書いたと思われ、とても思いやり溢れる聖書なのである (伊藤)
ルカによる福音書 2010年1月10日、17日
著者のルカは、シリヤ生れでギリシャ人の身分のある異邦人である。パウロと共に奉仕をし、医者であった。コロサイ書には「愛する医者ルカ」と記されているから、人々に愛された人だったことが伺える。
ルカによる福音書は、ギリシャ古典文学にも似た美しいギリシャ語で書かれているそうである。この福音書は、1章に記されていることからわかるように、テオピロという人に贈られたものである。その書き出しは「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいため」とあります。使徒行伝にもはじめにテオピロの名前が出てくるので、ルカはこの福音書と共に、続編として使徒行伝も書いたことがわかる。
著者のルカは、医者であると共に、歴史家であった。ルカが医者であることは、ルカによる福音書に記されている6つの奇跡のうち、5つが癒しの奇跡であり、マルコスという人の耳が癒されたのを記しているのもルカだけである。ルカが歴史家であることは、2章でイエス様の誕生の次第を説明するのに、ローマ皇帝アウグストが住民登録を命じ、シリヤの総督がクレニオの時だった、と歴史的な出来事であったことを印象付けている事からも知ることが出来る。
ルカは、使徒ではなく、平信徒である。マタイは、ユダヤ人に対して、キリストを王として示している。マルコは、ローマ人に対して、キリストを主のしもべとして示している。これらに対しルカは、ギリシャ人に対して、キリストを完全な人として示している。ですから、この福音書は、人々を救うためにキリストが人となられた、彼の憐れみに満ちた愛を示しているといえる。注意深く読んでみると、ルカは主イエス様の人間性を強調し、救い主を同情心に富み、感情豊かな人として描いているのがわかる。(伊藤)
ヨハネによる福音書 2010年1月24日、31日
館林キリスト教会員の栗原光司兄の祖父忠吉氏は、今から80年位前、日本遊船に勤務中、イギリスに立ち寄った。その時に宣教師に誘われてキリスト教会に行った。それがキリスト教に接した最初だと伺ったことがある。ふと、宣教師ギュツラフに日本語を教え、聖書の日本語訳に協力した、岩吉、久吉、音吉の三人を思い出した。彼らは嵐に会って漂流し、救助され、ロンドンに行ったあと、マカオでギュツラフに出会うのである。三人はモリソン号で日本を目の前にしたが、当時の江戸幕府の外国船打ち払い令によって追い払われてしまったのである。
この三人はギュツラフを助けて最初の日本語訳福音書をあらわした。これが「ヨハネによる福音書である」。聖書の中には有名な言葉が数多くあるが、ヨハネによる福音書冒頭の言葉、「初めに言葉があった」もその一つである。彼らは、この深遠な言葉をどのように訳したかを見てみよう。
「ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル。コノカシコイモノハゴクラク? ? ? 」。
ヨハネによる福音書の著者は、この本の目的を序文である最初の18節、及びヨハネによる福音書20章31節において、非常に明確に示している。ヨハネはイエスがキリストであり、ユダヤ人にとっては約束されたメシヤであり、異邦人にとっては神の子であることを証明し、信じる者をイエス様と聖い交わりに入れるために、この書を書いたのである。この福音書において「ベツレヘムの幼子」は、「父のひとり子」にほかならないことが、示されている。そのことを立証する証拠は、数限りなくある。
「すべてのものは、これによってできた」にもかかわらず、また「この言(ことば)に命があった」にもかかわらず、この方は「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」。だれも神を見た者はいない。それゆえ、キリストは神を示すためにこられたのである。ヨハネによる福音書を読んでいくと、イエス様の言葉には、私たちの目が開かれるためには、いかなる姿勢をとるべきかを私たちに迫ってやまない力があると感じるだろう。(伊藤)