館林キリスト教会

伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(2)

 ヨシュア記 2006年5月21日

 
 ヨシュア記は、すでに創世記で約束されていた「約束の地」を手に入れる出来事を記す書物ですから、その意味ではモーセ五書の「完結篇」とも言えるだろう。そこには、モーセの後継者となったヨシュアが、神様の助けと導きによって、イスラエルの民と共に、約束の地カナンに入り、そのカナンの地を征服して行くことや、各部族に相続地を割り当てていく様子が記されている。
ヨシュア記には、イスラエルの真の指導者、戦いの指揮官は、ヨシュアではなく、実は神様ご自身であることを知る事が出来る。神様が、ヨシュアを指導者に任命し、彼に具体的な指示を与え、戦いの勝利の約束を約束し、いつも共にいて下さると約束し、励ましていて下さったのである。神様ご自身が、戦うイスラエルの先頭に立ち、また常に彼らと共にいて下さって、イスラエルを勝利に導いて下さったことが記されている。「主が共におられた」ということは、言い換えれば、神は民を常に愛をもって導かれた、ということだろう。(伊藤

 士師記 2006年6月18日

 
 士師記は、ヨシュアの死からサムエルが生まれる前までのイスラエルの歴史を扱っている。このおよそ二百年の期間、全国の民を統一する政治的指導者も現れず、国民を統一する組織も出来ていなかったから、各部族は各々独立した行動をとる傾向があった。このような状況の中で、神様は士師(さばきづかさ)と呼ばれる人々を遣わされた。彼らは政治的、軍事的指導者であった。読んでいくとどうかと思われるような士師もいる。小林牧師は、時代が三流だから、こうした二流の人々も神様によって用いられたのだと言っていた。
ヨシュア記が勝利の書と呼ばれるのに対し、士師記は失敗の書と呼ばれる。なぜならイスラエルの民が神様に背き、偶像礼拝と不道徳を際限もなく繰り返しているからである。士師記には、このような背信―さばき―悩みの中からの叫び―士師(さばきつかさ)による救い、というパターンが繰り返されている。しかし士師記は、神様がイスラエルの民がどれほど失敗を繰り返したとしても、絶えざる憐みをもってご自身の民の祈りに答えられる愛の神様である事をも示している書である。(伊藤)

 ルツ記 2006年7月16日、30日

 
 ルツ記は、旧約聖書でたった4章しかない小さな書物だ。そしてごく普通の生活を描いたもので、士師記の戦争を記しているのとは対照的である。時代は士師たちがイスラエルを治めている頃で、内容は、モアブの女性ルツが、そのけなげな決心でイスラエルの王ダビデの曾祖母になったというものである。
 飢饉を逃れてモアブの地に行き、ルツの姑であるナオミは、息子達に死なれ、意気消沈してナオミに付き添われて故郷ベツレヘムに帰ってきた。べツレヘムに帰ってきた後、ルツは姑ナオミの許可を得て、自分達の生活を支えるために落穂拾いに出かけました。ところがその畑が、はからずもやがてルツの夫になるボアズの畑だったのである。ある時、姑ナオミに勧められて、ルツはボアズに求婚しました。近い親戚だったボアズは、結婚の権利のための代金を支払い、ルツの安全を守った。彼は、自分がしなければならないことではなかったにもかかわらず、進んでこの代価を払ったのである。イエス様は、私たちに永遠のいのちを与えるために、十字架上で死んで、命という途方もない代価を支払ってくれた。ここに愛がある。やがてルツの子孫にダビデ王が生まれ、ダビデの血統からイエス様が誕生されたのは、マタイによる福音書一章の系図でみるとおりである。  (伊藤)

 サムエル記上 2006年8月20日

 
 士師たちの時代が過ぎて、いよいよイスラエルに王というものが登場するいきさつを書いたのがサムエル記である。サムエル記は「上下」ある。書かれた当初は一つであったが、巻物に納まりやすいように上下に分かれたのであろう。
 サムエル記上12章23節に「わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。わたしはまた良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう。」と預言者サムエルの言葉が記されている。この言葉からも分かるように、サムエルは祈りの人であり、民に対して深い愛を抱いていた預言者である。
 サムエルはサウルとダビデに油を注いで王とし、彼らの背後から主のみこころを伝えつつ、彼らを支えた預言者である。だからこそ、この書がサウル記ともダビデ記とも呼ばれず、サムエル記と呼ばれたのだと推測できる。
 当時のイスラエルは、八方塞がりの状態であった。民は外敵ペリシテの圧政下に苦しんでいた。彼らを指導するはずの祭司エリの家族は堕落していた。だから、敬虔な心は失せ、民の信仰は迷信的であった。
 神様のみこころに生きる、祈り深い愛の預言者サムエルが遣わされたのは、こうした混乱の時代であったのである。(伊藤)

 サムエル記下 2006年9月17日、2007年1月14日

 
 サウル王の死後、サムエル記下は、ダビデ王のことだけを記している。彼の特徴ある人柄もよく記されている。
まず、南方ユダの国の王となり、ついでサウル王の子イシボセテが殺されたので、全イスラエルの王となる。
ダビデはイスラエルの王となった時、エブス人の要害エルサレムの攻撃に成功し、そこをイスラエルの都と定めたのである。それ以後、エルサレムはダビデの町と呼ばれるようになる。ダビデがこのエルサレムの都に神の箱を迎えて喜び踊る姿は、彼の神様に対する愛と信仰をうかがい知ることが出来るほほえましい箇所である。 
 ところが12章には、ダビデ王が忠実な部下ウリヤの妻を奪うという不祥事件を記している。一国の王がしたこのようなことを記すのは、聖書がいかに真実ない愛を追求する書物であるかを証している箇所でもある。
 ウリヤの妻バテシバ事件以後は、ほとんど宮廷内のことが記されている。アブノン事件、息子アブラサロムの反逆などがそれだ。
 最後の方は追加記事のようで、3年の飢饉や、人口調査が記されている。部下がダビデのために、命がけで汲んできた水を飲まなかった出来事は、ダビデの愛と心の暖かさを感じるところだ。 (伊藤)