館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 1999年11月

「キリストの選び」  エペソ人への手紙1:13、14 小林 牧師 

1999年11月7日
 特別伝道月間中の二回の礼拝で、「キリストとの出会い」を話しました。
 その一人は、「堕落したサマリヤの婦人」、もう一人は、「ニコデモという立派な宗教家」でした。
 二人ともキリストとの出会いが救いの機会でした。
 わたしたちも同じく、それぞれキリストとの出会いによって救われました。ではわたしたちとキリストとの出会いはいつだったのでしょう。
 キリスト教に興味をもって聖書などを読み始めた頃か?、始めて教会に来た日か?、始めて祈った日か?、救いを経験した日か?。
 わたしは生まれるとすぐ、近所に住んでいたクリスチャンの老婦人に愛され、彼女は私の救いのために、また生涯のために祈ってくれました。キリストはその頃から、わたしにみ手を差しのべていてくださったのでしょうか?。
 けれども聖書には「我々は世の始めからキリストに選ばれた」と書いてあります。本当に不思議なことですが、これが聖書の教えです。(小林牧師)

「死からの解放」  ローマ人への手紙7:22〜8:1 篠原 貞雄 

1999年11月14日
 先週は思いがけなく、邑楽の高橋ミエさんの葬儀を執行した。ミエさんは七七歳。八日に入院し、九日に天に召された。我々にとって急なことだった。ご遺族の慰めを切に祈る次第だ。
 しかし聖書に「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」とあるように、死は遅かれ早かれ人間に避けられないことなのだ。
 人間は死ぬことが怖い。その恐怖からの解放はどこにあるのか。
 日本では江戸時代に始まった武士道で、死を恐れない教育を受けた。自分で「切腹」することさえ教育されたのだ。
 一生の間に何回も、生死をかけた真剣勝負を経験した宮本武蔵などは、死をどのように捉えていたか。
 「武士道は死ぬこととみつけたり」という「葉隠」にある死生観は?
 また、クリスチャンの内村鑑三は、愛嬢ルツ子さんの死に際して、どういう態度だったか?
 我々は死についてこそ、最終的な「解放の教え」を聖書に求めたいのだ。

「神様は私の羊飼い」 詩篇23:1〜6 伊藤副牧師 

1999年11月21日
 この度、神様の恵みと皆様のご厚意で、エジプト、ヨルダン、イスラエルを旅行してくることが出来ました。
 行く前から、イスラエルで羊飼いが羊を飼っている風景を是非見たいと思っていました。
 ところが、ダビデが育ったイスラエルの地では、羊飼いの風景を見られませんでした。最近、ベドウィンの人々は、テレビを見、携帯電話を使用しているということでイメージが狂いました。
 その代わりヨルダンでは、各地で羊飼いが羊を飼っている風景を見ることが出来、私の想像を大いに満たしてくれました。
 この有名な詩篇二三篇は、羊飼いの経験のあるダビデが、晩年自分の人生を振り返って作ったものだと言われています。ダビデが「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」と歌ったのは彼の実感で、神を信じる者が誰でも味わえる祝福です。
 今朝は、この詩篇から荒野のような人生の中でも、神様が共にいて下さることの幸いと恵みをお話したい。(伊藤)

「ハンナの賛美」 サムエル記上1:21、22 市川副牧師 

1999年11月28日
 主は子供がいなくて淋しいハンナを顧みて、男の子を与えて下さいました。その子はサムエルといいます。
 ハンナはサムエルが乳離れするのを待って、サムエルを主におささげするため、シロにある主の神殿に出かけました。即ち、サムエルの一生を主にお任せし、主のご用にお役立ていただくためです。
 これは、ハンナがかつて主にお約束したことでした。今、その約束どおり幼いサムエルと共にやって来たのです。
これからサムエルは祭司エリのもとで主に仕えるのです。
 二章にハンナの感謝の祈りがあります。口をついて出たこの祈りからは、旧約の中で昔から語り告げられた神のみ言葉が、彼女の心に深く刻まれていたことがわかります。またハンナがどのように神様を信じていたかがわかります。
 これは後に「マグニフィカット」と呼ばれる、「主の母マリヤの祈り」のお手本となりました。ハンナの信じた神様を、私たちも信じさせて頂いたのは驚くべき賜物です。(市川)