礼拝のメッセージ 1999年8月
「イエスから目を離すな」 ヘブル人への手紙12:1〜2 伊藤副牧師
1999年8月1日
来年はシドニー・オリンピックが開催されます。聖書には、スポーツのことを取り上げて、私たちに教えてくれる個所がいくつもあります。 使徒パウロは、オリンピックの発祥の地ギリシャにも、イエス・キリストの福音を伝えるために旅をしました。彼はそこで見た競技を信仰にたとえて話をしています。 ヘブル人への手紙十二章一節には、「私たちの参加すべき競走」とクリスチャン生活を、徒競走にたとえています。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけです。 しかし、クリスチャン生活という競走においては、主イエスを見つめながら信仰のコースを走りぬいたすべてのランナーに、神様が義の冠を授けて下さる(第二テモテ、四・八)という約束があるのです。しかもこの競走には、イエス様が責任をもって終わりまで導いて下さる約束も与えられています。 今朝は、この参加すべき競走で、「イエス様から目を離さないで」走ることの重要さを学びたいと思います。(伊藤)
「四人のらい病人」 第一コリント1:26〜31 小林 牧師
1999年8月8日
むかしの、イスラエルとスリヤの戦争の物語です。 スリヤの北には大国アッスリヤがあり、イスラエルの南には、これも大国のエジプトがあるので、二つの国は、言わば大国に挟まれた小国同志という、微妙な立場でした。 いまもイスラエルとスリヤはなかなか協調が難しいが、昔も同じで、そんな微妙な立場にありながら、時々戦争をしました。 今度はスリヤ軍が優勢で、イスラエル軍は退却して首都のサマリヤ城に逃げ込む。しかしスリヤ軍はサマリヤ城を攻め落とすことができないので、城を包囲して食料攻めにかかる。城内はだんだん食料が尽きてきたが頑張っている。 実はスリヤも戦争が長引くのは困る。南のエジプトがサマリヤを助けに出てくる恐れがあるので、戦々恐々です。 結局この戦争は、スリヤ軍が神経戦に負けて逃げ出し、サマリヤの勝利に終わったが、実はここに隠れた面白い話がある。「四人のらい病人ホームレス」の話ですが,これが今朝のテーマです。
「足元を照らす光」 詩篇119:105 市川副牧師
1999年8月15日
私たちは一日中太陽の光の中で生活しています。夜は、電気の光で明るく便利に過ごしています。しかし停電の時などには、光なしに暗闇の中を手さぐりする、心細い経験も知っていらっしゃるでしょう。 光はなくてはならないものです。光が暗闇を照らすと、私たちははっきり物を見ることができ、つまずいたり転んだりという危険から守られます。 神様のお言葉である聖書は、光のように私たちの足元を明るく照らし、何事もはっきり見えるように示してくださるのです。 私たちは今日起こる出来事でも、あらかじめ知ることはできません。ちょうど先を見通せない暗闇を歩いているようです。 しかし神様はすべてをみ手の中に治めておられます。聖書のお言葉を学び、そのみことばを心に貯えることによって、みことばの光の中に、私たちは危険から守られ、神様とご一緒に、本来歩むべき正しい道を歩む幸福を与えていただくのです。 (市川)
「信仰生活のポイント」 詩篇37:1〜6 小林 牧師
1999年8月22日
この世はクリスチャンが信仰生活を送るために、良い環境か。また周囲の人はクリスチャンを理解し応援し、支持してくれるかと言うと、実はその反対だ。 だからキリストも、弟子たちを伝道の旅に送り出すとき「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊を狼のなかに送るようなものだ」と言われ、また「この世は罪の誘惑があるからわざわいである」とも言われたのだ。 そこでクリスチャンたるもの、勿論覚悟も必要、準備も必要だ。暗いところには明かりを持って行こう。寒ければオーバーを着て行こう。敵がいれば武装もしようというわけだ。 詩篇三七篇には「五つの信仰のポイント」が書かれている。これは同時に「悪い現世で暮らすクリスチャンの心がけ」として読むこともできる。 時にはノンクリスチャンの悪意に、善良なクリスチャンもしばしば悩まされる。また反対に、自由で気楽そうな彼らを一瞬羨むようなこともある。そのとき彼らの誘惑を受ける。警戒と賢明な対応が必要なのだ。 (小林)
「大漁の奇蹟」 ルカによる福音書5章1〜3
1999年8月29日
ガリラヤ湖は、福音書にたびたび登場します。その湖の北の町々は、イエス様の伝道の根拠地でした。
当時この地方では漁業が重要な産業でした。捕れた魚をマグダラの町で塩づけにし、主要な輸出品としてローマ帝国に送り出していたそうです。
漁師たちは夜、漁をするのが普通でした。ある時ペテロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネは、夜通しの漁にもかかわらず何も捕れませんでした。
疲れきって網を洗っているペテロにイエス様は「小舟を少し漕ぎ出すように」頼みました。群衆にお話をなさるためです。ペテロは言われるままに、小舟を出しました。仕事に疲れ、不漁ショック中だったペテロは、その小舟の中でイエス様のお話をじっと聞きました。
イエス様はペテロに、さらに「沖へ漕ぎ出すように」とおっしゃいました。このお言葉に従ったペテロたちは大漁の奇蹟を目の当たりにしました。
この時、ペテロは心の目が開かれ、全能の神であるキリストを深く信頼して、弟子として従いました。(市川)