館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 1998年9月

パウロの涙  ピリピ人への手紙3:17〜21 小林 牧師 

1998年9月6日
 パウロの書簡の一つの特徴は、神様、イエス様の恵みの充足、満足、感謝の思いが高揚した後に、、まだこの恵みにあずかっていない多くの不信者を思って、急転直下的に沈痛な言葉が続くことである。各所にその例が見える。 ここでもパウロは、「自分の腹を神とし、ほとんど恥辱と言えるようなことを誇りとし、地上のことのみを思って生活しているノンクリスチャン」のことを思っている。ことに「彼らの最後は滅びである」という厳粛な事実を考えて、「涙を流す」のだ。 むかし関東大震災の時、本所の被服省跡に逃げ込んだ大勢の人が焼け死んだ。安藤先生は この様子を見て涙を流した。「自分の力で、ただ一人でもいいから助けたかった」と思ったと言う。「人間なら誰もそうだろう」とも先生は言われた。 誤った道を歩み、滅亡に向かう人々を見て、クリスチャンが、正しい道を知りながら教えず、滅亡の運命を見ながら警告も発しないなど、そんな不人情なことができるだろうか。

誰がいちばん偉いか  創世記24:28〜44 宮田 耕輔 

1998年9月13日
 今朝の礼拝でお話をしてくださる宮田耕輔氏は、一九五二(昭和二七)年、渡良瀬川で洗礼を受けられたのだから先輩クリスチャンだ。一九五五(昭和三〇)年、牧師の仲人と司式で、和枝夫人と結婚した。 その後間もなく、転任で東京に移られ、森永乳業の工場長として、九州や名古屋と各地を移動したが、どこでも忠実な教会生活を送り、わたしは彼らについてひとつも心配したことはなかった。 「早く帰らないと、わたしは死んでしまうぞ」などと、冗談半分手紙に書いたこともあったが、やがて定年で、一九八三(昭和五八)年、一家でふたたび館林に帰ってきた。実に二六年ぶりだった。そして昔と同じように、ご夫妻で忠実な教会生活とご奉仕に励んでおられる。その後一緒にイスラエル旅行に行ったのもうれしかった。 彼は学究型で、なかなか凝った勉強や準備をしてお話をする。彼のお話はいつも有益です。今朝も、神様が彼の説教の奉仕を祝福してくださるのを祈っています。

愛の挨拶  ピリピ人への手紙4:1〜3 小林 牧師 

1998年9月20日
 パウロはこの書簡の中で、何回も挨拶を繰り返しているが、ここでもう一度、愛の挨拶を繰り返す。 「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい」。 これはもっとも美しい挨拶の一つだと思う。 わたしは高校生のころ初めて教会に行った。それを母は喜んだ。わたしが「聖書がほしい」と言うと母は、金縁総革製の上等の聖書を買ってくれた。 特別集会に来た舟喜先生に、みことばを書いてくださいと頼むと、求道を始めた高校生が、立派な聖書を出したので褒めてくれた。そしてすぐ、聖書の見返しにこのみことばを揮毫してくれた。 数名の会衆の中に、高校生が加わったのを喜んでくれたのだろう。同時にまた、わたしの前途に期待してくれたのだろう。 いま自分も牧師になって、先生の気持ちが良く分かる。またパウロの気持ちもよく分かるのだ。
 

ピリピ人への手紙4:1〜2 小林 牧師 

1998年9月27日
 いよいよ来週から、みんなで心を合わせて祈り、準備してきた「特別伝道月間」が始ります。
 すでに関係者には、牧師の丁寧な招待状、集会案内などの手紙を出しました。また十月一日(木)には、市内全域に「新聞折込チラシ」が配達されます。
 みなさんも、家族や友人や、近所の人を誘っているでしょう。どうか祈りが答えられて、大勢の会衆が送られ、福音を学び、教会に結びつき、救いを経験できるように期待しています。
 私たちは、伝道したい、人を教会に連れてきたい、という願いが強いのですが、不思議なことに、伝道には緊張感があり精神的な戦いがあります。どうか神様が弱いものに力を与えて、伝道に励むことができるように、さらにお祈りして行きましょう。
 しかし中には極端に気が弱くて、わたしには無理だと言う人もありましょう。そういう人は決して無理をしないで、できることで協力してください。 そのすべてを神様が用いてくださることを、お互いに信じましょう。