礼拝のメッセージ 1998年8月
完成の確信 ピリピ人への手紙1:3〜7 小林 牧師
1998年8月2日
パウロ先生は生来の活動家で、その働きは、企画、実行、冒険、牧会、勉強、著述に明け暮れ、怠けることを知らなかったようです。
そのパウロ先生が五十代の半ばに、カイザリヤや、ローマで牢獄生活を余儀なくされ、これが五八年の春から六四年まで、延々数年に及びました。どんなにもどかしく残念だったでしょう。
しかし「ピリピ人への手紙」「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」「ピレモンへの手紙」などの珠玉の書簡は、この牢内で書いたのです。だからこれも「神様の摂理」でした。
先生思いのピリピ教会は、どんなに先生の身を案じたでしょう。そこに届いたパウロの手紙は、どんなに彼らを喜ばせたでしょう。
「先生は困難に遭っている。しかしくじけてはいない。恵まれて張り切っている。真理と愛に満ちた書簡の、なんという輝かしさ」そう思ったでしょう。
今月は四章にわたる「ピリピ人への手紙」を、四回の礼拝に分けてお話しようと思っています。
遺産相続 ルカ福音書12:13〜15 市川副牧師
1998年8月9日
イエス様が弟子たちにお話しになっていた時、そのまわりにはおびただしい群衆も集まっていました。
すると突然、群衆の中のある人が「遺産相続の分配調停人になってほしい」とイエス様に申し出ました。彼は、この重大問題がしきりに心にかかって「この人なら何とかしてくれそうだ」と思ったのでしょう。
しかし、イエス様は「調停は専門家に任せなさい。この機会にもっと大切なお話をします」と、一つの譬とともにお話しになりました。
「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい」。これは私たちへの警告でもあります。だれでも貪欲に囚われ、いつの間にか、神様よりも物に信頼するようになり易いからです。
なによりも、物に心奪われ、神様を信じ救われる機会を逃してしまったならどうでしょう。イエス様はこんな人を、譬のなかで「愚かなものよ」と指摘しておられます。
大切なのは神様を信じ受けいれ、神様と共に日々歩むことなのです。(市川)
教会の一致 ピリピ人への手紙2:1〜5 小林 牧師
1998年8月16日
わたしは四回にわたって「人間の性格と神の訓練」というテーマで、四種類の性格についてお話しました。
しかしこれは、実は「性格」でなく「気質」と言う方が正しいのです。しかし気質と言う言葉はなじみが薄いと思って、性格にしました。
専門家は言います。「生まれつきの気質に、環境や教育や、訓練が加わって性格が形成される」と。
新約の中から、それぞれの性格の所有者四人を選んで話したのですが、いま思うのは、どの人もみんな魅力的だと言うことです。そしてまた、彼らはみんな教会に無くてならない、貴重な奉仕者だったということです。
離婚の理由に「性格の不一致」と言うのが多いそうですが、それは人間関係において、きわめて当たり前のことです。実は教会の中だって、それぞれが自分の性格を持っていれば、一種の不一致はあるでしょう。
しかしお互いの愛と理解によって調和し、それぞれが自由に賜物を発揮して、神の栄光を現してゆくのです。
人間的プライド ピリピ人への手紙3:4〜7 小林 牧師
1998年8月23日
わたしは四回にわたって「人間の性格と神の訓練」というテーマで、四種類の性格についてお話しました。
しかしこれは、実は「性格」でなく「気質」と言う方が正しいのです。しかし気質と言う言葉はなじみが薄いと思って、性格にしました。
専門家は言います。「生まれつきの気質に、環境や教育や、訓練が加わって性格が形成される」と。
新約の中から、それぞれの性格の所有者四人を選んで話したのですが、いま思うのは、どの人もみんな魅力的だと言うことです。そしてまた、彼らはみんな教会に無くてならない、貴重な奉仕者だったということです。
離婚の理由に「性格の不一致」と言うのが多いそうですが、それは人間関係において、きわめて当たり前のことです。実は教会の中だって、それぞれが自分の性格を持っていれば、一種の不一致はあるでしょう。
しかしお互いの愛と理解によって調和し、それぞれが自由に賜物を発揮して、神の栄光を現してゆくのです。
ピリピ教会賞賛 ピリピ人への手紙4:14〜16 小林 牧師
1998年8月30日
わたしは四回にわたって「人間の性格と神の訓練」というテーマで、四種類の性格についてお話しました。
しかしこれは、実は「性格」でなく「気質」と言う方が正しいのです。しかし気質と言う言葉はなじみが薄いと思って、性格にしました。
専門家は言います。「生まれつきの気質に、環境や教育や、訓練が加わって性格が形成される」と。
新約の中から、それぞれの性格の所有者四人を選んで話したのですが、いま思うのは、どの人もみんな魅力的だと言うことです。そしてまた、彼らはみんな教会に無くてならない、貴重な奉仕者だったということです。
離婚の理由に「性格の不一致」と言うのが多いそうですが、それは人間関係において、きわめて当たり前のことです。実は教会の中だって、それぞれが自分の性格を持っていれば、一種の不一致はあるでしょう。
しかしお互いの愛と理解によって調和し、それぞれが自由に賜物を発揮して、神の栄光を現してゆくのです。