館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 1998年4月

復活の恵み  ルカ福音書24:1〜6 伊藤副牧師 

1998年4月12日 
 今日はイースターで、キリストの復活を記念する日です。日本では、クリスマスのようにさかんではありませんが、キリスト教会では大切な日として守られてきています。 四福音書の復活の記事は、日曜日の早朝、数人の婦人たちが墓参りをしようとしている所から記されています。 墓に行って見ると、キリストのからだがなくなっていたので、婦人たちは途方にくれてしまいました。弟子たちも、最初はキリストがよみがえったことを信じませんでした。 ところが、キリストの弟子たちは、幾日かすると、キリストの復活を目撃した証人として、それを大胆に宣べ伝え始めたのです。なぜならキリストの復活が、十字架の贖いによる罪の赦しと、救いの成就の意味を持つからです。 その証拠として、弟子たちは、彼ら自身も、キリストの復活の力によっていかに新しく作り変えられたかを証しました。 今朝は、このキリストの復活の恵みについて学びましょう。

罪のリスト  ローマ書1:18〜20 小林 牧師 

1998年4月19日
 どこのご家庭にも「家庭医学全書」のたぐいが置いてあります。これは「病気のリスト」のようなものです。なぜそんなものが必要なのか。それは世の中に現実に病気があふれていて、誰でもいつ病気にかかるか分からないからです。また、もし病気になったら早く治さなければならないからでしょう。 似たような意味で「ローマ人への手紙」の最初の部分は、ほとんど人間の罪のリスト」です。私たちはまず救いを経験し、また魂と生活、家庭の祝福と幸福を守るために、罪について、またその対応について知っていなければならないのです。 糖尿病、腎臓病、眼底出血など、重大な病気でも初期には自覚症状のないものがあります。本人が知識を持ち、自分で検診を受けないと、気がついた時にはもう遅いと言うケースがなかなか多いそうです。 われわれはまず、罪について学んで、自覚症状を与えて頂きましょう。それが救いのはじめです。

神の義・救いの義  ローマ書3:21、22 小林 牧師 

1998年4月26日
 先週は、ロマ書、一、二章から「罪のリスト」についてお話した。 しかし、三章になると、ここであの呪わるべきすべての罪の、完全な許し、すなわち、罪人が神の前に「義とせられる」ことについて教える。 罪について学び、真剣に反省し、真に罪から解放されたいと願う人は、まず「ではこれから正しい良い生活を始めよう」と考えるのが常だ。 しかし実はこれはできない相談なのだ。いままで罪を犯し、罪の習慣や交友に浸っていたものが、決心したからといって、すぐそんなに、神のみ心にかなうほどの完全な義人になれるだろうか。またよしそうなったとしても、今までの罪の責任はどうなるだろう。 長い間傷物の製品を作って来た人が「これから完全な製品を作りますから、それでいままでの傷製品の弁償にしてください」と言っても通らないだろう。彼は最初から完全な物を作るはずだったからだ。 ゆえに「キリストの贖いによる救い」が必要なのだ。