礼拝のメッセージ 1998年2月
キリストの遺言 ヨハネ福音書13:34 小林 牧師
1998年2月1日
人間はなかなか本音で話さない。なにか発言するときにも、いろいろな考慮が働くからだ。
しかし昔から「鳥のまさに死なんとするや、その声悲し。人のまさに死なんとするや、その言うところ良し」などと言われるように、死に臨んでは、人は真剣に、本音で語るだろう。
また人の愛を確かめたときも、喜び、信頼、安心から、本音で語ると言われる。さらに決別のときは、作り飾りのない真実、本心が言葉に出るだろう。
キリストは生涯、一句一句、神かけて真実な言葉をお語りになった。「わたしによってアーメン(真実)と言うことは成就したのだ」とみずからおっしゃったとおりだ。
しかし彼とても、別れと愛と死に際し
ては、また格別な深い思いをもってお語りになったのも事実と思う。
翌日の十字架の死を覚悟した最後の晩餐の夜、ペテロの愛を確かめたガリラヤ湖の朝、さらに弟子達と別れて昇天したオリーブ山において、キリストはいかにお語りになったろうか。
生きる意味 マタイ福音書4:4 伊藤副牧師
1998年2月8日
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」とは、キリストの語られた有名な言葉です。
人の生きる意味は、ただ物質だけによるのではなく、神のことば、神との人格的な係わりの中で生きることだと教えているのです。
ところが、人は自分の罪のために神がわからなくなっています。そのために自分の生きる意味がわからず、無気力、無感動な、その日暮らしの生活を送っているのです。
時計や車にも設計者の明確な目的があるように、人を創造された神は、私たちに対してはっきりとした目的を持っておられるのです。
人は自分を創造された神を見出す時に、本当の生きる意味が発見できるのです。
そこで人は、喜びと生きがいのある人生を送れるのです。
今朝は、この「生きる意味」についてごいっしょに考えたいと思います。
二つの予算 コリント第一14:33、40 小林 牧師
1998年2月15日
コリント教会はインテリが多く、議論が多く、そのため派閥も多かった。またある信者は、恍惚状態を尊重し、異言などに凝って訳の分からない事をしゃべりまくり、その熱狂を尊しとした。
その結果、教会の組織も集会も、混乱を呈したようだ。パウロは彼らに、「神は無秩序の神ではなく、平和(調和)の神である」と忠告した。
神は、秩序がお好きで混乱を好まない。それは神の造られた天地自然の、整然たる運行を見れば、一目瞭然だろう。
しかしその反面「規則ずくめ」も窮屈だ。信頼し合って仲良く暮らす家族には、規則などは要らない。自然のままに秩序正しく運営され、しかも自由なのだ。それゆえパウロは同じ所で「すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うが良い」と勧めているのだ。
今日は「教会予算総会」がある。教会会計は、会衆の貴重な献金であり、また神の事業の大切な資金だ。ルーズは絶対に許されない。出納、記帳、配分のために担当者は最善を尽くしている。その第一歩が予算総会なのだ
キリスト教で病気は直るか 第3ヨハネ2〜4 小林 牧師
1998年2月22日
「人間の幸福は、まず金と健康だ」と言われる。しかし現在の日本で家族の幸福が脅かされるのは、金よりもむしろ健康の方にあるようだ。それはいろいろな意識調査などに現れている。
そこで「病気を防ぐ、病気がなおる」というキャッチフレーズで、怪しげな「健康食品」や「健康ドリンク」が売れ、同じキャッチフレーズで、怪しげな宗教も人を集める。こういうのを「御利益(ごりやく)宗教」と言う。
キリスト教は、そういう御利益を宣伝に使わない。ではキリスト教には御利益がないのかというと、決してそんなことはない。
わたしは少年時代から、数十年の信仰
生活を送っているが、その体験から言っても、キリスト教は世界最高の、豊かなご利益宗教だと思っている。ただ、ご利益を前面に出して宣伝に使わないのは、キリスト教の品位なのだ。また御利益が「キリスト教の中心、本質」でないからだ。
今朝は豊かな神様の祝福「病気の癒し」について、一緒に考えてみたい。