館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2000年11月

「あなたの心を守れ」  箴言4:20〜23 伊藤牧師 

2000年11月5日
 聖書に「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」とあります。これは私たちの厳しい生活の戦いで、第一優先に心を守るようにとの勧めです。
現代は「心の時代」だとも言われ、心を大切にするように叫ばれています。豊かな心、優しい心、思いやりの心等の欠如がさまざまな問題を引き起こしているからでしょう。
 私たちは、病気やケガなど外側に現れた痛みに対しては、いたわりの心を持つことができることもあります。しかし失敗や挫折などで、目に見えない心に傷を受けて、悩み苦しんでいる人に対しては、なかなか理解を示すことが出来ず、時には批判的な態度さえとってしまうこともあるのです。
 だから「心を守る」ことに努めることは、とても大切なことです。しかもそれは私たちの人生の祝福につながっていく道なのです。私たちが、毎週礼拝をささげて、主のみことばを聞くのは、そういう意味も含まれているのです。
 今朝は、この真理を学びたい。(伊藤)

「心の戸を叩くキリスト」  ヨハネ黙示録3:19、20 伊藤牧師 

2000年11月12日
 ホルマン・ハントという画家は、ヨハネ黙示録三章二十節の聖句から「世界の光」という有名な絵を描きました。この絵は、今もロンドンのセントポール教会の壁に掲げられてあります。
 この絵には、キリストが左手にランプをもち、右手をあげて戸を叩いている様子が描かれてあります。長い間、その戸は開けられた様子もなく、雑草やいばらが生い茂っています。しかしキリストは、何とかしてその中にいる人にご自身の光を照らそうとしているのです。
 この絵には、戸の外側の取手が描かれてありません。画家のハントは、戸は人間の心を表わすもので、取手は内側にあることを示したと言うのです。
 復活されたキリストは、みことばを通し、さまざまな出来事を通して、私たちの心の戸を叩かれ、心に入り、光をともしたいと願っているのです。
 今朝は、ヨハネ黙示録の中に記されている、ラオデキヤ教会に宛てられた手紙を通して、今もキリストが、私たちの心の戸を叩いておられることをお話したいと思います。(伊藤)

「豊かな恵み」 サムエル記下9:1〜3 伊藤牧師 

2000年11月19日
 今日学ぼうとする箇所は、旧約聖書の中でも心温まる章の一つです。
 なぜなら、ダビデ王が親友ヨナタンの息子メピボセテに取られた方法は、そのまま神様が私たちに対する恵みの授与の描写だからです。私たちは、メピボセテに対するダビデの慈愛を学ぶと、神様の私たちに対する恵みの取り扱いをもっと深く理解し、感謝するようになるでしょう。
 「恵み」とか「真実」とかいうヘブル語の言葉は、旧約聖書の中で契約に関してよく用いられるており、相互に契約を忠実に守るという誠実さを意味すると言われています。
 だから、ここで言われている「恵み」ということばは、神様の確かな愛の持つ力、粘り強さ、契約をあくまでも守り通そうとされる約束を表しているのです。
 では、この「恵み」はメピボセテにどのようにもたらされたのか。そしてこの時、メピボセテがダビデの恵みを受け入れた姿勢は、私たちが神様から福音の恵みを受け入れる模範なのです。(伊藤)

「王様をください」 サムエル記上8:1〜3 市川副牧師 

2000年11月26日
 かつて少年だったサムエルも、今、老年を迎えていました。彼はラマに住み、イスラエル国内を巡回し、神様のみ言葉によって人々を導いていました。
息子たちも父サムエルのように「さばきづかさ」としてイスラエルの南部、ベエルシバで奉仕していました。
サムエルにとって、二人の息子が自分と同じ働きについたのは嬉しいことでした。しかし、残念なことに、ふたりは欲に目がくらみ賄賂を取り、曲がった采配と指導をしていたのです。
サムエルは、自分の老齢に心細さを抱きつつ、息子たちの悪行に心を痛め、イスラエルの将来について神様の助けを祈っていたことでしょう。
ある日、イスラエルの長老たちは、サムエルを訪ね、サムエルの老齢と彼の息子たちの悪行を指摘し、周りの国々のように、王を立ててほしいと申し出たのでした。
偉大な指導者サムエルも、悩みと困難は尽きないのですが、神様にご指導いただく謙遜な姿に心打たれます。(市川)