礼拝のメッセージ 2000年6月
「約束の聖霊」 ヨハネ福音書14:16〜17 伊藤牧師
2000年6月4日
教会暦では、イエス様が復活されてから五十日目をペンテコステ(聖霊降臨日)と呼んでいます。来週の日曜日がその日にあたります。
聖書が、聖霊についていかに強調しているか、その重要性は言うまでもありません。聖霊は神様です。そして私たちのからだは、神から受けて自分のうちに宿っている聖霊の宮です。
イエス様が最後の晩餐で強調されたのは「聖霊」についての教えでした。復活後に、最初弟子たちに語られたのは「聖霊を受けなさい」という言葉でした。昇天前には「父の約束(聖霊が注がれる事)を待て」という事でした。天の聖所に入られ、大祭司としての最初のみわざは「父から約束の聖霊を受けて」、それを私たちに注がれる事でした。聖霊降臨によって初代教会が誕生した時、ペテロによって語られたのは「罪の赦しを得るためにバプテスマを受けなさい。そうすればあなたがたは聖霊の賜物を受ける」という約束でした。
こういうわけで、今朝は「約束の聖霊」についてお話いたします。(伊藤)
「信仰の模範」 ヘブル人への手紙13:7 伊藤牧師
2000年6月11日
今朝は、お知らせしてありますように「小林牧師を偲ぶ分級礼拝」です。
始めに私が短くお話させていただいて、その後、小林牧師の主治医だった橋田先生から、小林牧師が召天なさるまでの様子や、その交わりの中での感想等をお話していただきます。それから十人位のグループに分かれて、各グループ毎に、小林牧師についての思い出を話し合っていただきたいと思います。
小林牧師に対する印象は「幸福な牧師、優れた説教家、偉大な指導者、父のような存在、威厳があった、博学、愛妻家」等さまざまです。
私は小林牧師と出会って三十五年経ちました。先生の指導をごく身近かで受けられたことに対して、光栄と幸いを覚えています。中でも、毎週の説教を通して教えられた聖書の真理は、私の人生を全く変えたと言ってもよいほどです。
今朝は、「神のことばをあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起こしなさい」(ヘブル十三章七節)という勧めのように、小林牧師を偲びつつ、神の御名を崇めましょう。(伊藤)
「救いの入口」 ローマ人への手紙3:23〜24 伊藤牧師
2000年6月18日
神様はすべての人が救われて、神様の用意してくださった祝福の道を歩んで欲しいと願っています。
大勢の方々が教会を訪れますが、その動機は、聖書を読んで見たい、賛美歌を聞きたい、牧師のお話を聞きたい等があります。そして信仰生活に期待していることもさまざまです。
このように、いろんな動機で教会に来て、クリスチャン生活にいろんな期待を持ったとしても、聖書に示されている救いの門を通らないで、救われ、クリスチャンになることは出来ません。
私たちが救われるためには、次の二つの事が必要です。
第一は、神様の前に自分が罪人であると認めることです。これはあまり触れられたくないことかも知れません。しかし、正直に、謙遜に受け入れることが祝福につながるのです。
第二は、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられたイエス・キリストを信仰によって受け入れることです。
今朝は、誰もが救われるために必要な「救いの入口」を学びたい。(伊藤)
「主の箱のゆくへ」 サムエル記上5:1、2 市川副牧師
2000年6月25日
イスラエルはペリシテとの戦いで敗北しました。その際、ペリシテは「主の箱」をエベネゼルから持ち去り、ペリシテの町アシドドに運びました。
アシドドにはペリシテ人の信仰の対象であるダゴンの神の宮がありました。彼らはこの宮に、ぶんどり物の「主の箱」を運び込みました。「我々はイスラエルとの戦いに勝利した。すなわちイスラエルの神は敗北し、ダゴンの神が勝利した」と意気揚々と凱旋しました。
しかし、彼らの考えが全く間違っていたと、すぐに知らされることになります。
翌朝「主の箱」の前にダゴンがうつむきに地に倒れていました。彼らはダゴンを起こしてもとの所に置きました。その翌朝、今度は胴体などが離ればなれになって倒れていました。
イスラエルは、彼らの罪と不従順の故に神様の厳しい取り扱いを受けなければなりませんでしたが、ペリシテがその為に誇ることはみ心ではありません。彼らも真の神様のご支配の中に生かされていると知るべきでした。(市川)