礼拝のメッセージ 2010年6月
両親への尊敬 エペソ人への手紙6:1〜3 市川副牧師
2010年6月27日
ヨセフの政策 創世記47:1〜12 伊藤 牧師
2010年6月20日
パロは、さきにも、ヤコブ一族を迎えることについて、多大な好意を示しましたが、彼らがエジプトに来た時にも、彼らを歓迎し、牧畜のためエジプトで「最も良い地」であるラメセスを彼らに与えました。
ヤコブたちは、不案内な外地にあって、しかも飢饉で避難して来た身分であったにもかかわらず、過分の優遇を受けたのでした。これは、ヨセフの人格と功績にもよりますが、神様の配慮の賜物にほかなりません。
依然として、地中海周辺の国々の飢饉は「非常に激しかった」のですが、ヨセフの賢い政策によって、エジプトには食糧の豊かな備えがありました。
そこで人々は「銀」、「家畜」、「田地」を次々と提供し、最後には、小作人となりましたが、食糧を手に入れて、生命を保つことが出来ました。
ですから人々は、「あなたはわれわれの命をお救いくださった」と、ヨセフに感謝したのです。ヨセフは、神様から与えられた優れた知恵を、人々の幸福に寄与するために活用したのです。(伊藤)
孤独感に負けないために テモテ第二の手紙4:5〜8 伊藤 牧師
2010年6月13
孤独になりたくないのは万人の願いだと思います。しかし、皮肉なことに、孤独感を持った事のない人など、古今東西一人もいないのです。
若山牧水は人生の寂しさを「幾山川越え去りゆかば 寂しさの 果てなん国ぞ 今日も旅ゆく」と詠いました。
マザー・テレサは「貧しい人々が本当に苦しんでいることは、貧しさよりも病よりも、社会に捨てられたことなのです。最も恐ろしい貧しさは孤独です」と語りました。
あなたは「誰も私を愛してくれない」「私の存在すら気づいてくれない」と感じることがあるかもしれません。こうした孤独を感じるのは一人ぼっちの時だけではありません。哲学者三木清は「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にあるのである」と言っています。
孤独かそうでないかの違いは、周りの人たちとどのような関係を持っているかどうかによって決まるようです。
今朝は「孤独感に負けないために」、その対策を学びたいと思います。(伊藤)
神の言に対する二つの反応 使徒行伝13:42〜43 伊藤 牧師
2010年6月6日
パウロは、ピシデヤのアンテオケの会堂における説教で、イスラエルの歴史から恵み深い神様のお取り扱いを述べ、旧約聖書の預言のとおりにイエス様が来られ、その十字架の死と復活によってイエス様が救い主であられることを証明されたので、その方を信じる者は、みな義と認められるということを語りました。
会堂に集まった人たちは、「律法と預言書の朗読」に耳を傾け、その解釈や教えを学んでいましたが、このような話は一度も聞いた事がありませんでした。
そこで人々は、パウロの説教に強い関心を抱き、本当にそのとおりかどうか知りたくなったのだと思います。次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼みました。また多くのユダヤ人と信心深い改宗者たちは、パウロの説教を聞いてイエス様の救いを求め始めるようになりました。
彼らがパウロとバルナバについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神様の恵みにとどまっているように説きすすめたのです。(伊藤)