館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2010年5月

「天使(主の使い)」 詩篇91:11 久保田邦光

 2010年5月30日
 テレビや新聞を見ると外国の首脳や賓客が来た時や、鳩山首相や閣僚の周囲を体格のいい眼つきの鋭い人が取り囲むように付き添っています。彼らは護衛の人です。今はSPと言うようです。
私はこのような光景を見ていて、神に対して心の底から悔い改め、主キリストを信じて、罪を許された人々を、神様は天使を送って、助けたり守ったりしていて下さる事を信じています。
何故なら聖書を読むと、私達が意識しようが、していまいが、神が主の使いを遣わしていてくださる事が分かります。マタイ四章十一節、ルカ一章を読みますと主の使いが現れた事が書いてあります。創世記十九章には、ソドムに住むロトの所に現れた二人のみ使い、民数記二十二章二十二節には、天使がバラムとロバに現れた記事があります。この天使に関する記事は、聖書に三百ヶ所もあるそうです。
こういうわけで、今朝は私たちを助け、守っていてくださる「天使」について、ご一緒に学びたいと思います。(久保田邦光)

「愛と尊敬」 エペソ人への手紙、5:22〜24 伊藤 牧師

 2010年5月23日
 今朝は有名なエペソ人への手紙五章後半をご一緒にお読みしましょう。結婚式に読まれることが多いみ言葉です。家庭を築く方々のための光です。
同時にこのみ言葉は、キリストと教会の関係を表しています。
体裁をいくら整えても愛と尊敬がなければ空虚です。ご夫婦にとって最も大切なことは真実の愛と尊敬がある、ということだと思います。
同じように、キリストを信じ従う場合も真実の愛と尊敬が最も必要です。ヨハネによる福音書四章二十四節には、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」とあります。
しかし、人間の心についてエレミヤ書十七章九節には「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」とあります。
にもかかわらず、十字架で示してくださった愛をもってキリストがまず私たちを愛し、仕えてくださったのです。(市川)

「父ヤコブとの再会」創世記46:1〜7 伊藤 牧師 

2010年5月16日
 ヨセフは、兄弟たちに自分があの十七歳の時に死んだと思われていたヨセフであることを打ち明けました。そして、兄弟たちと涙の和解をしたのです。それが四十五章でした。
 四十六章一節には「イスラエルはその持ち物をことごとく携えて旅立ち」と記しています。  彼は愛するヨセフが死んだと思い込んでいたのに、なんとそれが生きていただけでなく、エジプトの総理大臣(宰相)だと聞かされたのです。これは彼にとっての福音でした。
 しかもそれを裏付けるものは、荷物を満載したロバ十頭とめろば十頭を加えて、自分を乗せるために車までが届けられたことです。この車に乗ればエジプトまで運んでくれるのです。
 そして、そこでは息子のヨセフが責任を持って面倒を見てくれるのです。そのうえ思い煩う必要がなく、カナンの地に思い残すものは何もありませんでした。したがって、再び帰るはずのないこの土地から、彼はすべての持ち物を携えて出発したのです。 (伊藤)

「神様が与える平安」 マタイによる福音書11:28 村上隆一師 

2010年5月9日
 今朝は、館林キリスト教会出身で、倉松キリスト教会牧師の村上隆一師をお迎えしての特別伝道礼拝です。
 この礼拝を楽しみにお出で下さった方々も多いと思います。先生が、倉松キリスト教会に着任されたので、これから、こうした機会をたくさん持つことが出来ると思います。ご期待下さい。
 先生の働きは、大分縮小されましたが、それでもその働きの広さには驚きです。海外宣教のため、アフガン難民の働きのため。教会成長研修所では、長い間、日本の教会の成長を助け、具体的なアドバイスをしています。福音キリスト教会では、主管牧師として、後継者の指導にあたっているのです。
 そして今、中央日本聖書学院再開に向けて、先頭に立って、奮闘しています。
 そうした先生ですが、前館林キリスト教会の牧師、小林誠一先生と似ていて、決してセカセカ、慌てるということはありません。みことばに基づく平安の秘訣を心得ているからでしょう。
 今朝は「神様が与える平安」というテーマで、お話をお伺いします。(伊藤)

「救いの中心点」 使徒行伝13:26〜37 伊藤 牧師 

2010年5月2日
 記録されたパウロの最初の説教は、第一に、イスラエルの歴史を回顧し、そこに示された神様の恵みについて述べていきました。
 第二に、パウロは、イスラエル民族の歴史と、イエス・キリストとを結びつけて述べていきます。すなわち、神様は、約束に従って、ダビデの子孫から救い主イエス様を送られたことや、ヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、イエス様を救い主としてイスラエルの人々に示したことなどです。
 ところが、エルサレムに住む人々や指導者たちは、なんら死にあたる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要して、イエス様を殺してしまったのです。しかし、神様は、イエス様を死人の中からよみがえらせ、弟子たちに、幾日もの間、現れてくださいました。それで弟子たちは、イエス様の復活の証人になって、全世界にこの「救いのことば」を宣べ伝えていったのです。
 今朝は、イエス・キリストの十字架と復活という「救いの中心点」についてパウロの説教から学びましょう。(伊藤)