館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2010年4月

「みことばに導かれて歩む」 詩篇119:105〜112 伊藤 牧師

 2010年4月25日
 今日は礼拝に続いて臨時教会総会(決算総会)が開かれ、二〇〇九年度決算審議があります。お祈りをもってご参加くださいますようにお願いします。
 詩篇一一九篇一〇五節「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」は、私たちによく知られており、またとても親しまれてきたみことばだと思います。詩篇の中で、ダイヤモンドのように光り輝いているみことばだと言う人もいるくらいです。
 詩人はここで、神様の「みことば」こそは、人生を歩む上でのまことの「ともしび」また「光」であると言うのです。
 船乗りにとって、燈台の光や星の光が航海に欠かせないように、私たちの人生の航海に不可欠な光は何かといえば、この詩人は「あなたのみことば」だと言うのです。それは私たちクリスチャンにとっては「聖書」ということです。
 ですから、私たちが聖書のみことばの光に導かれて歩んで行くならば、暗闇で迷うことなく、揺るぐことのない確信と祝福に満ちた人生を送ることが出来ると教えているのです。 (伊藤)

「ヨセフ、父ヤコブを迎える」創世記、45:16〜20 伊藤 牧師 

2010年4月18日
 ヨセフの兄弟たちが来た、と言ううわさがパロの家に聞こえた。
 パロはヨセフを祝福し、彼らに多くの土産を持たせるように、また、父と共にエジプトに移住するように、と暖かく語る。このパロの好意も加わって、兄弟たちは多くの食糧、家畜等をたずさえて家路につくことになる。
 多くの食糧や土産と共に、ヨセフが生きている、しかもエジプトの総理大臣の立場にあるという、この驚くべきニュースを彼らは父のもとに持ち帰る。
 ヨセフが力ある者となって生きていることは、これまでの兄たちにとっては「恐れ」であった。
 しかし、ヨセフの生存は、今喜びに変った。再会の喜び、和解の喜びをもって、彼らはこのニュースを告げるべく、急ぎ家路に着いたのである。
 老齢のヤコブは、ヨセフの生存や総理大臣であることをなかなか信じられずエジプト行きを躊躇するが、「車を見て元気づき」エジプトに行く決意をする。
 今朝は、父ヤコブがヨセフに会いに行く決心をするまでを学びたい。(伊藤)

「神様の愛」 ルカによる福音書15:11〜13 市川副牧師 

2010年4月11日
 教会の日曜学校に通っていた皆さんは幸いですが、一般的に、私たちは幼い頃から本当の神様がわからずに過ごしました。家庭でも学校でも社会生活においても本当の神様を知る機会はほとんどありませんでした。
教会に行くようになったきっかけは人それぞれですが、私たちは教会に行くようになって本当の神様を知ることができました。教会では聖書によってお話ししてくださるので、聖書の言葉によって知ることができました。教会に行くようになったことを思い返すと奇跡のように思われます。神様の摂理のお導きによることで、ありがたいことでした。本当の神様を知るということは、自分を知り人生の意味や価値を見出すということでもあります。
神様は偉大な方ですから、私たちが神様を知っていると言っても、ほんのわずかです。でも、聖書によって神様がどのようなお方か知ることができます。
今日の聖書の箇所には、イエス様が生活に身近なお話をとおして、私たちにわかるように、神様が愛なる方でいらっしゃることをわからせてくださろうとしています。(市川)

「わたしはよみがえりである」 ヨハネ福音書11:24〜26 伊藤 牧師 

2010年4月4日
 今日は、教会暦で「イースター」です。イエス・キリストが死からよみがえられたことを記念する日です。
 ヨハネによる福音書十一章二十五節には、「わたしはよみがえりであり、命である」というみことばが記されています。イエス様は十字架につけられたあと、ヨセフの墓に葬られましたが、このお言葉のとおりに、死を打ち破り、三日目によみがえられました。
 復活を意味するこの言葉は、全人類の希望の源であり、聖書の中にさん然と輝く光だと思います。人々は、復活と終末は将来のものであり、死んだ後のことであり、いつかわからない漠然とした信仰でしか捕らえられないものと思っていました。
 しかし今やイエス様の出現によって、復活の真の姿がはっきり映し出されたのです。イエス様ご自身が、命であり、死を征服し、死に対して勝利をされたお方だからです。
 今朝は、イエス様が「わたしはよみがえりであり、命である」とおっしゃったみことばの意味を学びましょう。(伊藤)