館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2009年5月

「バベルの塔」 創世記11:1〜9 久保田邦光 

2009年5月31日
 ある時NHKラジオの子供電話相談室で小学生が「どうして世界中にこんなに沢山の言葉があるのですか」という質問をしていました。すると回答者が「そうですね、どうしてでしょうね」と言う答えしか持ち合わせず、宿題にしましょうとその場を凌いでいました。皆さんならどう答えるでしょうか。聖書は世界中に沢山の言葉があるのは、バベルの塔の事件からだと教えています。
 創世記に有名なノアの洪水の事が記されています。この箱舟で救われたノアの家族から子孫が増え広がってシナルの地方に住むようになりました。
 当時のシナルとは、メソポタミヤ、バビロンなど、今のイラン、イラク辺りで当時の世界文明の中心地でした。
古今東西を問わず、人間は何時でも豊かで便利で、なおかつ富と名誉と繁栄を築き上げようと努力して、そしてその成果を誇示しようとしています。その上で必要なのはリーダーです。
 今朝は、ニムロデという人が建てたといわれる「バベルの塔」の出来事を通してご一緒に学びましょう。(久保田邦光)

「満ち溢れる恵み」 エペソ人への手紙1:3〜6 市川副牧師 

2009年5月24日
 エペソ人への手紙は1章1節にありますように使徒パウロによって書かれました。これはエペソと周辺の諸教会に回覧されたようです。
 1章には神様による救いの壮大なご計画が記されています。人間の考えをはるかに超えたキリストによる救いの恵みに圧倒されます。キリストによる救いは、神様のお考えのもとになされたことですから、神様にかかっており、救いの確かさは確固としたものです。
 キリストを信じた結果、聖霊の証印をおされ、キリストを信じる者の内に聖霊がいてくださいます。やがて実現する神の国における祝福の一部をこの地上の生涯においても味わわせていただくのです。
 パウロ祈っています。「あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」 (市川)

「エジプトに売られたヨセフ」 創世記37:12〜17 伊藤 牧師 

2009年5月17日
 ヨセフの生涯の二回目です。舞台は変わって、ヨセフの兄弟たちがシケムで羊を飼っている時のことです。そこはかつてヤコブが買い取った土地があった所で、草原があり、羊を飼うのに適していました。
 しかし、そこで娘のデナが町の首領の子シケムに辱められ、ついにシメオンとレビとが町の中のすべての男子を殺したために、彼らの復讐を恐れて引き上げた場所でもありました。したがってヤコブは、子供たちがシケムで羊を飼うと言った時、もしやと案じて、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」とヨセフに命じたわけです。
 ところでヨセフには、この命令に従うことに二つの危険性がありました。その一つは、彼を憎む兄たちが彼に危害を加えかねないこと。もう一つは、彼がヤコブの子であるとシケムの人々が知れば、復讐されることもあり得ることです。すでに十七歳になったヨセフは、こうしたことを予知できたでしょうが、父の心配を除くために「はい、行きます」と答えて出発したのです。(伊藤)

「大漁の恵み」」 ルカ福音書5:1〜6 伊藤 牧師 

2009年5月10日
 私たちは生まれてから死ぬまでの人生において、いろいろな人に出会い、様々な出来事を経験致します。
 聖書の中には、イエス・キリストに出会い、彼を信じることによって、失敗や失望や恐れから立ち直り、力強く歩み始めた人々がたくさんいます。キリストの一番弟子のペテロもその一人です。
 ある時、ペテロは夜通し働き、漁をしました。彼の生活は、捕れた魚の量にかかっているのですから一生懸命、真面目に働いたに違いありません。しかし、その日は一匹の魚も捕れませんでした。
 世の中にはごまかしと、ずるがしこい立ち回りによって、得をし、楽をし、ぬくぬくとしている人も多いのに、真面目一本で働く人が苦しみ嘆いている姿は、今も昔も変わりません。
 しかし、ペテロが「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」というキリストのお言葉に従って網を下ろした時に、おびただしい魚が捕れました。
 同様に、私たちも神様のお言葉に従って歩むなら、豊かな人生の祝福に預かれるのだと約束しているのです。(伊藤)

「安息日の祝福」 出エジプト記20:8〜11 伊藤 牧師 

2009年5月3日
 今日は礼拝に続いて臨時教会総会(決算総会)が開かれ、2008年度決算審議があります。お祈りをもってご参加くださいますようにお願いします。
 さて、神様は創造のはじめ、第7日目を祝福して聖別され、休むようにされました。モーセは神様から与えられた十戒の中に「安息日を覚えて、これを聖とせよ」と人々に指し示しています。
 このように、聖書の中で安息日を守るように勧められているのは、これが私たちの信仰生活の根幹をなすからであり、安息日を守る者は祝福を受け、これを忠実に守らないならば、神様との正しい関係が崩れ去っていき、祝福も受けられないからです。
 キリスト教は、全世界の人々に安息日を与えた宗教です。儒教や仏教においてもこのような戒めはなく、それを探し出すことはできません。キリスト教の感化を通して、今は全世界にこのような安息日の祝福が及んだのです。
 こういうわけで、今朝は、神の備えられた「安息日の祝福」についてご一緒に学びたいと思います。   (伊藤)