礼拝のメッセージ 2009年1月
「神のかたちに」 創世記1:27 市川副牧師
2008年9月28日
「導く人がいなければ」 使徒行伝8:26〜31 伊藤 牧師
2008年9月21日
「敬老と敬神」 レビ記19:32 伊藤 牧師
2008年9月14日
明日は敬老の日である。館林キリスト教会では、その一番近い日曜日を「敬老礼拝」と定め、75歳以上の方々に感謝を込めて記念品を贈り感謝の意を表し、祝福を祈ることにしている。
日本全国の教会でも、高齢者が占める比率が年々高くなっているようだ。館林キリスト教会においても、多くの高齢者の方々が励んで礼拝に出席し、賛美をささげ、御言葉に聞き入っているのは嬉しい。大体同じ席につき、祈り、説教に耳を傾けるこうした方々の存在は、教会の宝だと言える。
旧約聖書、レビ記19章32節には「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」とある。これは言うまでもなく、老人を敬いなさいということである。そして神を恐れなければならないとは、神様に対して畏敬の念を持たなければならないということで、同じく敬いなさいということだ。
今朝は敬老の日を記念して「敬老と敬神」と言うテーマでお話したい。(伊藤)
「賜物は金で買えない」 使徒行伝8:14〜20 伊藤 牧師
2008年9月7日
政治家の贈収賄事件、保険金殺人事件、偽装問題、サラ金問題など金銭にかかわる問題は昔からあとをたたない。
ここでは、魔術師シモンが「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と使徒たちのところへ金をもってきて頼んだことが記されている。当然のことながらペテロは魔術師シモンを厳しく叱責し、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか」と言い、「悪事」を悔い改めて主に祈るように勧めたのである。ペテロはこの「悪事」をしでかしたのは、単純な間違いからではなく、「その心が神の前に正しくないからである」と言っているのだ。
エルサレム教会にもたらされた凄まじい迫害によって、サマリヤ地方では、散らされた人々の宣教によって、大きな喜びがもたらされた。けれどもその中に、このような形でサタンも忍び込んできたのである。
今朝は、この魔術師シモンを反面教師とし、お互いの心を吟味しよう(伊藤)