礼拝のメッセージ 2008年5月
「王妃エステル」 エステル記1:1〜4 市川副牧師
2008年5月25日
南王国ユダが大国バビロンに滅ぼされ、都エルサレムも陥落したのは紀元前6世紀でした。ユダの多くの人々はバビロンに捕囚となり強制的に捕らえられて行きました。
大国バビロンを滅ぼしたペルシャのクロス王はユダヤ人も祖国に帰るよう開放宣言を出しました。喜んで帰還した人々もいましたが、生活が安定していた多くのユダヤ人たちはそのまま居残りました。ペルシャ国内で堅く信仰に立ちつつ高い地位で活躍した人々も多かったのです。エズラ、ネヘミヤ、そしてエステルの養父モルデカイなどもそうでした。
紀元前5世紀に、ペルシャ帝国を統治したアハシュエロス王はギリシャ名ではクセルクセス一世と言い、東はインドから西はエチオピアまで広範な地域を治めていました。妃候補としてエステルも王宮に連れられて行きました。
主の摂理のうちに王妃として選ばれたエステルでしたが、この立場が重要な意味を持つことすら今は知りませんでした。 (市川)
「天の故郷を目指して」 創世記25:7〜11 伊藤 牧師
2008年5月18日
アブラハムはイサクを献げた十年後位に、最愛の妻サラの死に直面します。彼は妻のために悲しみ泣きました。
二人は、ハランを出て六十年余、寄留者、旅人としての人生を歩んできました。そして死別の時を迎えたのです。
アブラハムは妻を葬るために銀四百シケルという高額でヘテ人から墓地を購入したのです。
アブラハムの妻サラは、失敗も、試練もありましたが、ヘブル人の手紙十一章の信仰列伝には、彼女の名が記されています。またペテロの第一の手紙にも、神様に望みをおいた敬虔な婦人として記されているのです。
アブラハムは、、百七十五歳という長寿を全うし、創世記十五章十五節に預言されたとおりに「安らかに先祖のもとに」召されて行きました。
二人とも、神様を信じ、天のふるさとを求めていたので、天国へと旅たつことが出来たのです。
今朝は、アブラハムの学びの終りとして、彼の生涯が天のふるさとを目指す歩みであった事を学びましょう。(伊藤)。
「あなたは価値がある」 ルカによる福音書15:8〜10 伊藤 牧師
2008年5月11日
人は誰でも「価値ある人生を送りたい、生きてきて本当に良かった」と言える一生でありたいと願っています。
しかし多くの人々は、大切な人生を、世に流され、心を奪われて、振り返ってみると自分の一生って何だったのか、と悔やんでしまう人が多いのではないでしょうか。聖書はその原因を、人が神様を無視して生きているために、神様との断絶状態にあり、神様から失われた状態にあるからです、と教えています。
時計はどんなにダイヤモンドできらびやかに飾られていても、正確に時を刻まないなら意味がありません。時計は作られた目的を果たしている時、価値があります。お金もタンスや台所の片隅に落ちていたのでは価値がなく、人の手の中にあって価値があります。同様に、人間は造られた神様に見出され、神のもとに立ち帰って、その交わりを回復した時、自分の価値がわかるのです。
今朝は、「失った一枚の銀貨を捜す婦人」のたとえ話を通し、私たちを見出し、価値ある生涯を送らせようとしている神様の愛と招きをお話します。(伊藤)
「神の前での決算報告」 マタイによる福音書25:14〜18 伊藤 牧師
2008年5月4日
今日は礼拝に続いて、臨時教会総会(決算総会)が開かれます。
大切な財政面において、2007年2月18日に承認された予算に基づく、その収支報告です。
さて、今朝は有名なタラントのたとえ話をしたいと思います。これは、私たちに励ましと勇気を与えてくれるたとえ話です。
世の中は、善良で忠実な人たちがなかなか評価されない社会です。
しかし神様は、ここで五タラントの人と二タラントの人の報告について、結果に違いがあったにもかかわらず、「良い忠実な僕よ、よくやった」と、その忠実な働きぶりに同様な評価を与えているのです。
一方、最後の一タラントの人は、「悪い怠惰な僕よ」と叱責されました。与えられたタラントを用いず、主人に対して不忠実だったからです。
このたとえ話は、私たちの人生にも、神様の前に決算報告の時があることと、善良で忠実に歩む生活がいかに大切かを教えてくれるのです。 (伊藤)