礼拝のメッセージ 2007年10月
「キリストによる救い」 使徒行伝4:12 市川副牧師
2007年10月28日
今朝の特別伝道礼拝にもようこそおいでくださいました。これを機会に続いて教会にお出かけになり聖書に親しんでいただければ幸いです。
今朝はキリストの十二弟子のひとりであるペテロが、人々の前で語った言葉をご紹介します。「この人による以外に救いはない」という言葉です。「この人」とは、私たちのために十字架で死んでくださり、三日目によみがえってくださった救い主イエス・キリスト様です。
「救い」とはなんでしょうか。
聖書には有名なノアの箱舟の出来事が記されています。神様はノアという人に箱舟を作るようにとおっしゃいました。大洪水が起ころうとしていたからです。ノアは箱舟を作っている間中、最後のときまで、洪水から救われるために箱舟に入るように、人々にお知らせし続けたのです。箱舟に入れば救われるのです。この箱舟はキリストの救いの型です。今も神様は聖書のみ言葉によって、キリストという救いの箱舟に入るように呼びかけていてくださるのです。
(市川)
「神の愛に生かされて生きる」 ヨハネ第一の手紙4:7〜11 榊原 寛牧師
2007年10月21日
今朝は、特別伝道月間のメイン講師として、榊原寛先生を再びお迎えする事が出来て嬉しく思います。
先生が2003年に奉仕してくださった時、ユーモアを交えながら、心にしみるメッセージに大きな感動を覚えた人がたくさんいらっしゃいました。
先生は今までテレビ、ラジオ牧師としての働きが中心でしたが、現在は、東京恵比寿国際基督教会協力牧師をしながら、ワールド・ビジョン・ジャパンの理事長、東京聖書学院講師、その他様々なキリスト教関係の働きでご活躍しておられます。
2006年4月には、みどり市で行なわれた「星野富弘さんと日野原重明先生の対談」で、名司会をなさっていた先生をテレビで見た方も多いと思います。
先生のお話はラジオ、テレビで活躍する以前から、親しみやすくわかりやすいことで定評があったと、茅ヶ崎時代を知っている人から聞いた事があります。
今朝は、世界のベストセラーである聖書から「神の愛に生かされて」というテーマでお話してくださいます。 (伊藤)
「心は渇いていませんか」 ヨハネによる福音書4:13,14 伊藤 牧師
2007年10月14日
スカルの井戸の傍らでサマリヤの女がキリストに出会った光景はまさに絵を見るようであり、その問答は生き生きしていて、さながら尽きぬ泉の源から命の水を汲むような新鮮さにあふれています。
彼女は幸福を求めて、自分のやりたいことを自由にやってきました。けれども、決して満足は得られず、町の人々と話すこともためらうような空しい、惨めな生活を送っていたのです。
暑い地方なので、昼間は人々が休んでいます。彼女は、そのすきをぬうようにして水を汲みに井戸にやってきました。その井戸のそばで彼女はキリストに出会いました。
キリストとのやりとりの中で、キリストは彼女に「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」と言いました。
今までは何ものでも彼女の心の渇きが癒されませんでしたが、キリストは彼女が永遠の命に至る水を求めた時、彼女の心を満たされたのです。 (伊藤)
「救いの処方箋」 マタイによる福音書9:9〜13 伊藤 牧師
2007年10月7日
イエス様はカペナウム近くの収税所にすわっていた取税人のマタイをお招きになりました。マタイはイエス様の招きに応えて、すぐに立ち上がり、他のイエス様の弟子たちと同じように、いっさいを捨てて従いました。そればかりか、彼は取税人仲間を自分の家に招いて、その喜びを分かち合い、また救いを宣べ伝えたのです。
その時イエス様は、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。…わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」とおっしゃいました。
「丈夫な人」とは、自分こそ正しい人間であると自負しているパリサイ人を指し、「病人」とは、自分の罪を自覚している取税人や罪人を指しています。
「医者」はイエス様ご自身です。イエス様は「自尊心に満ちて、自分の罪を認めない人々を救うためではなく、自分の罪を認め、救いを求めている取税人や罪人を救うために来た」とご自身の役割を示されたのです。ここに聖書のしるす「救いの処方箋」があるのです。 (伊藤)