館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2007年9月

「最後まで走り抜こう」 列王紀下2:1、2 宮田政信 

2007年9月30日
 今日は、「信仰を励ます手紙」といわれるヘブル人への手紙の中から「信仰のあるべき姿」について学ばせていただけたらと願っております。
礼拝予定表に「主イエスはさきだち 進みゆかれる。ためらわずに行こう、後につづいて。」と書きました。
賛美歌21の515番に「きみのたまものと」という歌があります。
これは若い人への、聖別と献身の歌だと思いますが、ぜひ、若い人のみならず皆さんこの賛美を覚えていただけたらと願っています。信仰の励ましにとてもよい讃美歌だと思います
この一番の歌詞を読んでみますと「きみのたまものと 若いちからを 神のみ名のため すべて用いよ。 主イエスはさきだち すすみゆかれる、ためらわずに行け、後につづいて。」とあります。 
今朝の聖書朗読箇所のヘブル人への手紙を読み進むうちに、自然とこの賛美歌が聞こえてくるように思いました。12章1〜2節にいたってこの手紙の中で奨励されていることと、この賛美歌の歌詞とが重なりあったのです。  (宮田政信)

「エリヤのあとつぎ」 列王紀下2:1、2 市川副牧師 

2007年9月23日
 エリヤはホレブ山で、主の静かな御声を聞きました。主は、エリシャに油を注いであなたに代わって預言者としなさい、と仰せになりました。ホレブ山を去ってエリシャに会いに行くと、エリシャは十二くびきの牛を使って畑を耕していました。エリヤは外套を彼にかけ預言者として召されたことを知らせたのです。その後エリシャはエリヤの働きを見聞きしながら過ごし、ギルガルの預言者学校で過ごしていたようです。
 エリヤが天に上げられる時が近づきました。エリヤは祈りのうちに主の御心を知って、預言者学校の生徒たちに別れを告げるために各地を回りました。エリシャも一緒でした。
 二人はヨルダン川を西から東に渡りました。この時エリシャは、エリヤの霊の二つの分を継がせてください、と願いました。語りながら進むうちに、火の車と火の馬が現れ、エリヤはつむじ風に乗って天に上げられたのです。エリシャは残されたエリヤの外套でヨルダン川を打つと水が左右に分かれました。エリシャの働きが始まったのです。 (市川)

「老年カレブの信仰」 ヨシュア記14:10〜12 伊藤 牧師 

2007年9月16日
 今朝は「敬老の日」の記念礼拝です。
そこでヨシュア記十四章に記されている八十五才の時のカレブという信仰者の生涯を学びたいと思います。
 聖書の中に登場する人物を学ぶことは、とても楽しいことです。特に年老いたエフンネの子カレブを学ぶ時には、心が励まされ、闘志がかきたてられるのではないかと思います。
 九十五歳でなお活躍中の日野原重明先生の著書に「老いを創める」という本があります
 この本は、神学者マルチン・ブーバーが七十五歳の時に書いた「かくれたる神」の中に記されてある言葉から、日野原先生が題名を考え出したものです。
 その言葉とは、「年老いているということは、もし人がはじめるという真の意味を忘れていなければ、すばらしいことである」というものです。
 信仰者カレブは、ブーバーが言うように、八十五歳になっても、創めることを忘れない、老いを感じさせない、冒険心のある若々しさを持っていました。
 今朝は、その秘訣を学びたい。(伊藤)

「9人はどこにいるのか」ルカによる福音書17:11〜19 伊藤 牧師

2007年9月9日
  キリストは、ご自分がこの地上に来た目的を「失われた人を尋ね出して救うた
めである」とおっしゃいました。今やその使命を十字架によって完成させる
ためにエルサレムに向かっているところです。
途中ある村で、隔離されて生活していた十人の重い皮膚病を患っている人に
出会いました。
重い皮膚病は、当時まったく治る見込みのない、死を宣告されるのと同じ病気でした。
しかし、キリストは助けを求める彼らに対し、重い皮膚病を完全に治してあげました。
重い皮膚病を治してもらった十人のうち九人はお礼も言わず自分の生活に戻って行きましたが、サマリヤ人だけは
神をほめたたえながら引き返し、キリストの足元にひれ伏して感謝しました。
 その時、キリストは「あなたの信仰があなたを救った」と、罪から救われた事を言い渡しました。
 今朝は、この出来事を通し神様に心から感謝する信仰を学びましょう。(伊藤)

「人に従うより神に従う」 使徒行伝5:29〜32 伊藤 牧師 

2007年9月2日
 先月は、使徒行伝五章の前半の部分で、教会内部に初めて生じた罪と、そのさばきについて学びました。その結果、「教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた」のです。こうして、教会が緊張した姿勢を取り戻すと、たちまち外から第二の迫害が起こります。
 そのころ、使徒たちは神の力によって、多くのしるしと不思議のわざを行いました。超自然的な力による使徒たちの働きのために、信じる者たちがどんどん出て来たのです。
 今度の迫害は、超自然的なものを信じようとしないサドカイ派の人たちの嫉妬が原因でした。彼らは、使徒たち全員を捕まえて、公共の留置場に入れてしまったのです。初代教会にとっては大打撃でした。
 しかし主の使いは、獄の戸を開け、彼らを連れ出し、宮にいる人々に対して、「命の言葉」を語るように命じたのです。
 彼らは、またすぐ捕らえられ、議会に立たされ、威圧的に尋問を受けたのです。しかし彼らは恐れる事なく「人間に従うよりは、神に従うべきである」と言ったのです。
 今朝は、この信仰を学びましょう。(伊藤)