礼拝のメッセージ 2007年6月
「ホレブ山のエリヤ」 列王紀上19:1〜4 市川副牧師
2007年6月24日
カルメル山で、エリヤはバアルの預言者たちと全面対決しました。その結果、まことの神なる主は、火をもって祭壇を焼き尽くしたのです。人々は皆ひれ伏して「主が神である。主が神である。」と言ったのです。
カルメル山頂でエリヤが祈り続ける中、七度目にしもべに見に行かせると、西方の地中海の空には人の手ほどの小さな雲が起こっていました。やがて乾ききった大地に大雨が降り始めました。「雨を降らせる」とおしゃった主のお言葉どおり三年六ヵ月ぶりの雨でした。
大雨の中、エリヤはアハブが乗った馬車の前を腰をからげてエズレルの平原まで駆け下りました。
エリヤは、主の御力のうちに、大きな働きを成し遂げました。これで、アハブを先頭にイスラエルの民は、悔い改めてバアル礼拝を一掃し、こぞって主に従うだろうと喜びと期待に弾んでいたでしょう。しかし、エリヤを待っていたのは、彼の命を狙う、王妃イゼベルの脅迫状でした。 (市川)
「三人の来客」 創世記18:1〜8 伊藤 牧師
2007年6月17日
信仰の父アブラハムは、神様との親しい交わりが回復していました。ヤコブの手紙にはアブラハムが「神の友」と呼ばれたと記されています。そしてこの18章には、アブラハムがこのように光栄ある名を与えられるにふさわしかったことがよく表わされています。
ある日アブラハムは、日中とても暑さが厳しいので、いつものように天幕の入り口の木陰で休んでいました。そこへ三人の旅人がやってきました。
アブラハムが、目を上げると、そこに三人の人が自分の方に向かって立っていました。からだを動かすのも気が進まない暑さの中で、「彼はこれを見て、天幕の入り口から走って行って、彼らを迎え」た、というのです。アブラハムのこの態度には、単にならわしとして片づけられないものがあります。これこそは、アブラハムの信仰が彼の生活に浸透していた証拠だと思います。
今朝は、旅人の姿をとってアブラハムを訪れた主に対して、知らずにもてなしたアブラハムの姿勢と、再び与えられた約束について学びましょう。 (伊藤)
「人の命の保証」 ルカ福音書12:13〜21 伊藤 牧師
2007年6月10日
だれでも一度だけ与えられている人
生を有意義に生きたいものでしょう。
では、どうすれば有意義な人生が送れるのでしょうか。
イエス様は「人の命は、持ち物にはよらないのである」と言いました。そして「愚かな農夫」という有名なたとえ話を通して教えられました。
このたとえ話に登場する農夫は、勤勉に働いて多くの収穫を得、富を蓄積し、誰もが認めるような幸せな生活をしていました。しかしイエス様は、自分の人生を本当の意味で幸福に生きるには、私たちが「持ち物」をたくさん得ることではなく、神様に対して豊かな生き方を始めることだと諭されたのです。
人が神様に対して豊かな生き方を始めるとは、自分と物という関係の世界から、真の意味で私たちの命を支配しておられる神様との関係の中で生きるということです。それは神様が私たちのすべての生活を支えていて下さるのに対し、感謝の心を持って生きることです。
今朝は、私たちの命の保証は、どうすればよいのかを学びましょう。(伊藤)
「御言葉を語らせて下さい」 使徒行伝4:13〜31 伊藤 牧師
2007年6月3日
使徒行伝四章には、ユダヤ教最高議会(サンヘドリン)からイエス様の名を宣べ伝えることを禁じられるに至る、キリスト教史上最初の迫害が起こった出来事が記されています。
このサンヘドリンの構成は、24人の祭司、24人の長老、22人の律法学者たち合計70人で、大祭司が議長を務め、合計で71人になりました。
ペテロとヨハネは、サンヘドリンに呼び出され尋問を受けました。議長が尋問したのは、「あなたがたは、いったい、なんの権威、まただれ名によって、このことをしたのか」でありました。そこでペテロは大胆にこれに答えたのです。
明らかにこの裁判は裁く側の敗北でした。議会は二人を退場させ、協議した結果、彼らを脅し、今後「イエスの名」によって語ってはならないと命じました。彼らはそれに対して堂々と答弁し、また釈放された後は、さらに大胆に語れるように祈っていきました。
今朝は、こうした迫害の最中で、どのようにクリスチャンたちが歩んだかをご一緒に学びたいと思います。(伊藤)