館林キリスト教会

Contents

礼拝のメッセージ 2007年1月

「ソロモンの知恵」 列王紀上3:3〜5 市川副牧師 

2007年1月28日
 ダビデは、長い生涯の最後を迎えようとしていました。40年に及ぶイスラエル王としての働きも終わろうとしている今、すでに後継の王として任命していた息子ソロモンに最後の言葉を与え、どのような場合にも主の戒めを守り主の道を歩むように命じました。こうしてダビデは息を引き取り、ダビデの町に葬られました。
 ソロモンは即位して後、礼拝をささげるためにギベオンに出かけました。そのおりに、夢のうちに神様の御声を聞いたのです。国王としての責務を果たすために自分に何ができるだろうか、若く経験も乏しく、イスラエルの人々を正しく導くことができるだろうか。ソロモンは責任の重さをひしひしと感じていたことでしょう。神様は、このようなソロモンに、「あなたに何を与えようか、求めなさい」とおっしゃったのです。
 おびただしい数の民を正しく導くために「聞きわける心をしもべに与えて、::善悪をわきまえることを得させてください」これがソロモンの神様への求めでした。 (市川)

「ロトの救出」 創世記14:1〜6 伊藤 牧師 

2007年1月21日
 14章は、4人の王(シリヤ、メソポタミア地方の国々の王たちだと考えられています)と死海近くにいた5人の王との間に行われた戦争と、その結果、起こった出来事を記しています。
 この戦いは、ケダラオメルが、12年間仕えていたソドム、ゴモラの王たちが彼に背いたため、ケダラオメルとその連合軍がソドムの王たちを再び支配下に置こうとしてはじめたものです。
 ケダラオメル連合軍とソドム連合軍との戦いは、ケダラオメル側の圧倒的な勝利に終りました。彼らは全財産と食糧を奪って引き上げました。その時にソドムに住んでいたロトも捕虜となり、彼の財産も奪われてしまったのです。
 ロトがアブラハムを忘れることはあっても、アブラハムは甥のロトを忘れる日はなく、たえずとりなしの祈りをささげていたと思います。ですから、ソドムに住むロトが捕まって連れて行かれたというニュースを聞くと、彼はすぐロトの救出に向かったのです。
 今朝は、この「ロトの救出」の様子からアブラハムの信仰を学びたい。(伊藤)

「人間の創造」 創世記1:26,27 伊藤 牧師 

2007年1月14日
 テーバイの西の山に住んだスフィンクスは、道ゆく人に難問を吹っかけ、解けない者を取って食べてしまいました。その問いというのは「朝四本、昼は二本、夕には三本になる者は何か」というものでした。長い間この謎は解けませんでした。
 ある日、そこを通りかかったオイデプスが、「それは人間だ」とずばりこの謎を解いたのです。
 このギリシャ神話は「人間とは何か」という問題が、実はわれわれにとって最大の難門であることを示しているのです。哲学者ヘーゲルは「人間は意志的な存在である」といい、哲学者カントやデカルトは「人間は理性的な存在である」と言っています。
 聖書は何と言っているかと言えば、創世記一章二七節で、「神は自分のかたちに人を創造された」と教えています。つまり私たち一人一人は神の作品であり、それゆえに、価値ある存在であるのだと明言しているのです。
 今朝は、この「人間の創造」についてご一緒に学びたいと思います。(伊藤)

「わたしにあるものを」 使徒行伝3:1〜9 伊藤 牧師 

2007年1月7日
  使徒行伝三章には、ペンテコステの日に教会が誕生してから、まもなく起こった出来事が記されています。
使徒ペテロとヨハネが「美しの門」と呼ばれる所で、施しをこうていた生まれつき足のきかない男に「金銀はわたしには無い、わたしにあるものをあげよう」と言って、イエス・キリストの名によって立たせたという驚くべき奇跡です。
かつて、トマス・アクィナスが教皇インノセント二世を訪ねた時、教皇が莫大なお金を数えていたそうです。その時教皇は、「トマス君、教会は『金銀はわたしにはない』とはいわないよ。ねえ君」と言った。するとトマスは「本当にそうでございます教皇様。そして教会は、今ではもう、『ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』とも言う事が出来ません」と答えたといいます。
金銀が大きな力を持っている事は今も昔も変わりません。しかし金銀ではどうにもならない事が実に多いのです。
今朝は、クリスチャンが「わたしにあるもの」を与えることによって、神様の御業が現される事を学びたい。(伊藤)