礼拝のメッセージ 2006年12月
「御名に栄光を」 詩篇 103篇1、2節 市川副牧師
2006年12月31日
1年が終わろうとしています。どのような心持ちでいま、御前にいらっしゃるでしょうか。悲喜交々、いろいろな思いが交錯しているかもしれません。あるいは悲しみの中にいらっしゃるかも知れません。
しかし、その状況の中で、私たちは今、主に心を向けましょう。そして自分自身に向かって、「わがたましいよ、主をほめよ」と、この詩篇のみ言葉のように主の聖なる御名をほめたたえ、心からの賛美と感謝をささげましょう。
この詩篇には、主をほめたたえる第一の理由が挙げられています。「主はあなたのすべての不義をゆるし」てくださったゆえに、主をほめたたえるのです。この恵みがいかに大きなものであるか、もう一度思い起こしましょう。神様が旧約時代から御言葉によって約束なさり、時至って、御子キリストを送ってくださり、十字架の死と復活の勝利によって成し遂げてくださったことなのです。ですから、あわれみに富み、恵み深く、いつくしみ豊かでいらっしゃる主に栄光をささげましょう。 (市川)
「クリスマスの光」 ヨハネによる福音書 1章4〜9節 伊藤 牧師
2006年12月24日
聖書は、クリスマスの中心であるイエス・キリストの誕生を「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」(ヨハネ一章九節)出来事であると告げています。すなわち、イエス・キリストは、全世界を照らす光として来られたこと、またクリスマスは「すべての人」に関わる出来事だということです。
そして、この「クリスマスの光」は、人の手が加えられた光ではなく、「まことの光」だと告げられています。「まこと」とは嘘や偽りのないこと、真実のことです。その光とは、裏切ったり、変質したりしない世界のことです。しかし、そのような世界が、いったいどこにあるというのでしょうか。私たち人間の中にも、それを見つけることはできません。それは人間の知恵や知識や力で生み出せるものではないからです。
この偽りのない「真実そのもの」であるイエス・キリストを、神様が一方的に私たちにプレゼントしてくださったのがクリスマスです。
今朝は、すべての人を照らす「クリスマスの光」についてお話します。(伊藤)
「マリヤの賛歌」 ルカによる福音書 1章26〜29節 市川副牧師
2006年12月17日
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。」
こう歌ったのは、主の母マリヤでした。
「あがめ、‥たたえます。」と歌っているマリヤに、喜ばしいできごとがあったのでしょうか。
確かにマリヤは、少し前に、み告げを受けたのでした。「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。‥‥見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。」
神様はずっと昔から、イスラエルの人々に救い主の誕生を約束していてくださいました。ですから、ユダヤの女性たちにとって、救い主の母になることは栄光の望みでした。しかしこのときマリヤは婚約中で一瞬戸惑いましたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」と、神様のなさることを、そのまま受け入れようとしたのです。マリヤのこのひと言に、神様に対する深い信頼、信仰の姿を見ることができます。 (市川)
「クリスマスは愛のしるし」 ルカによる福音書 2章7〜12節 伊藤 牧師
2003年12月10日
私たちの身の回りには、いろいろな「しるし」を見ることができます。左手薬指の指輪は結婚のしるし、緑の十字は安全のしるし、自動車に貼ってある若葉のマークは初心運転者のしるしです。
では、クリスマスの「しるし」は何でしょうか。
クリスマス・ツリー、サンタクロース、クリスマス・リースなどがあげられるかもしれません。これらには歴史的いわれがありますが、聖書に記されているものではありません。
新約聖書、ルカによる福音書に記されているイエス・キリストの降誕の記事によると、最初のクリスマスは決してきらびやかなものではありませんでした。
天使は、野原の羊飼いたちに、ベツレヘムの家畜小屋の飼葉おけの中に寝かされている幼な子が、あなたがたに与えられる救い主誕生の「しるし」だと、告げています。
そしてクリスマスは、すべての人の心にも、イエス様が住まわれる愛のしるしなのです。この方を受け入れることが本当のクリスマスの祝い方です。(伊藤)
「救い主の系図」 マタイによる福音書 1章1〜6節 伊藤 牧師
2003年12月3日
新約聖書の冒頭は、すぐれたイエス・キリストの教えから始まっているのでもなく、人々を引きつける山上の説教のような美しい言葉によっているのでもなく、マタイによる福音書一章は、イエス・キリストの系図によって始まっているのです。
アブラハムから始まって、イエス・キリストの父となったヨセフまで、あまりなじみのない人名が記してあります。
しかし旧約聖書に登場してくるこれらの人々を調べていく時、この系図の中に様々な人生があり、人の歴史があることに気づかされます。それは、人間の罪とか、殺し合いとか、情欲がどんな形で人の一生を狂わせ、歴史を変え、またその罪の結果、本人と子孫たちがその罪を背負いながら一生を終え、また繰り返し、今日まで引き継いでいるかを教えているのです。
クリスマスは、この罪の系図の中に、救い主イエス・キリストが入ってこられ、そのもろもろの罪から救ってくださるという、新しい系図の始まりを知らせる良きおとずれなのです。 (伊藤)