館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2006年11月

「起きて歩きなさい」 ルカによる福音書5章17〜19節 市川副牧師 

2006年11月26日
 イエス様はガリラヤ湖周辺の町々で神様のみ言葉を大勢の人々に伝えていらっしゃいました。
 ご自分の町カペナウムに戻られた時、ある家でお話をしておられました。マタイによる福音書、マルコによる福音書にも同じできごとが記されています。「多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。」そこへ人々が四人の人に運ばせて一人の病人を連れてきました。
 群集のために近寄ることができないので、驚いたことに彼らは屋根をはぎ、病人を寝たままイエス様の目の前につり降ろしたのでした。
 イエス様が彼におっしゃったお言葉は「人よ、あなたの罪はゆるされた」でした。他の人の罪のゆるしを宣言できる人間はいません。なぜなら自分にも罪があるからです。罪のない、神のひとり子だけが、罪をゆるすことがおできになります。それがよくわかるように、病気をも癒してくださいました。  (市川)

「アブラハムの転機」 創世記13章1〜7節 伊藤 牧師 

2006年11月19日
 12章後半はアブラハムの不信仰の記録でしたが、神様の一方的なあわれみに守られて危機を脱しました。
 アブラハムは一時ネゲブで天幕を張り、次に彼がさきに祭壇を造ったベテルとアイの間に来て祭壇に犠牲をささげ、そこで主の名を呼びました。
 彼は悔い改めの祈りと共に、自らの使命も深く自覚したことと思います。これは不完全でありますが、アブラハムの信仰の回復を意味しています。
 アブラハムと甥のロトは、共に多くの財産を持つようになりました。
 ところが彼らの財産である、たくさんの羊、牛のための食糧になる牧草地のことで、二人の牧者たちとの間に争いが生じたため、アブラハムはロトに選択権を与えてわかれることにしたのです。
 ロトはよく潤っていたソドムの地を選び天幕を張りました。一方アブラハムは、ヘブロンの地に移動し、そこに祭壇を築き、天幕を張ったのです。
 今朝は、このアブラハムの転機における信仰の選択が、大きな祝福への道となることを学びましょう。   (伊藤)  

「慰めの神」 コリント第二 1章1〜7節 伊藤 牧師 

2006年11月12日
 コリント人への第二の手紙1章には「慰め」と「患難、苦難」いうことばが交互に記されています。
 作家の林芙美子が「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」とうたっているように、私たちの人生には、苦しみや悩みがつきず、これらは避けて通ることのできないものです。
 しかし、まことの神様は、いかなる苦しみの時にも逃れる道を備えて下さり、また私たちのそばにいて、慰めてくださるお方です。
 伝道者パウロは、神様がイエス・キリストの父であられると同時に「あわれみ深き父」であり「慰めに満ちたる神」であられると言います。それはパウロがキリストを信じ従っていく中で実感し、体験していた神様だからです。
 そしてパウロが、苦難に満ちた一生を送りつつ、なお勝ち得て余りある生活をすることができたのは、この神様を信じ、支えられていたからです。
 今朝は、この苦難の世に、慰めに満ちた神様が、私たちに与えてくださる「慰め」について学びましょう。  (伊藤)

「初代教会の特徴」 使徒行伝2章42〜47節 伊藤 牧師 

2003年11月5日
 今日は二人の兄弟が洗礼を受けることになっています。本当に感謝です。
 さて、ペテロの説教によって人々は、自分の罪を知り、心を刺されました。
  人々は、イエス様を十字架につけた罪の恐ろしさに震えおののき「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言って救いを求めました。
 そこでペテロは、罪を悔い改めてバプテスマ(洗礼)を受けるように勧めたのです。その結果、賜物として聖霊を受ける事が出来るからです。
 こうしてペテロの言葉を受け入れた者は、バプテスマを受け、その日、三千人ほどが、世界で最初の教会の教会員となったのです。
 教会員となった彼らは、その後いつも何をしていたのでしょうか。使徒行伝2章42節には、「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき(聖餐式)、祈をしていた」と書いてあります。つまり彼らの特徴は、この四つを優先して行なっていた事です。それは今日でも教会の健全な成長の為の大事な原則です。(伊藤)