館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2006年10月

「空の鳥を見よ」 マタイによる福音書6章26、27節 伊藤 牧師 

2006年10月29日
 今朝の礼拝には、賛美のご奉仕をしていただくために、浦和キリスト教会の矢野みどりさんをお招きしています。神様からの贈り物として、素晴らしい賛美をお聞き下さい。
 今年の4月、矢野みどりさんが館林キリスト教会の礼拝に出席されるということで、特別に2曲ほど賛美していただきました。
 これがきっかけで、今年の特別伝道月間に来ていただけないかと交渉したところ、快く引き受けてくださいました。さらに伴奏者としてご主人の矢野譲先生も来てくださるということ、喜びを越え恐縮してしまった次第です。
 さて、賛美の後は、短く、キリストが語られた山上の説教の中から「空の鳥を見よ」というお話をします。
 キリストは、空の鳥が「まくことも、刈ることもしないのに神様は養っていて下さる」と教えられました。そして人々に「あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか」と諭されました。だから私たちは、空の鳥を守られる神様に信頼していきましょう。(伊藤) 

「富豪青年の選択」 マタイによる福音書19章16〜22節 伊藤 牧師 

2006年10月22日
 自分が生れてきたこと、自分が男か女であること、日本人であること、これらのことは自分の力ではどうすることもできません。
 しかし、私たちの人生をよりよく生きるにはどうすればよいのか、進学、就職、結婚など、また自分の永遠を天国で過ごすかどうかなどは、すでに決定されている事柄ではなく、何をどのように選ぶかという問題なのです。
 この富める青年は、人が手にいれたいと願う全てを持っているように見えますが、彼の心は空しく、平安がありませんでした。
 ですから、彼はキリストの姿を見るやいなや、すぐ近寄って来て、キリストの前にひざまずいて「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」と尋ねたのです。
 この時、キリストは彼に重大な選択のテストをしたのです。しかし彼はそのテストに合格出来ませんでした。
  今朝は、キリストとこの富豪青年との出会いから、私たちの人生の選択について学びたいと思います。   (伊藤) 

「人生の土台」 マタイによる福音書7章24〜29節 関根辰雄牧師 

2006年10月15日
 今朝は、特別集会の講師に大沢バイブルチャーチの関根辰雄先生をお迎えしています。
 先生は、長い間、今市キリスト教会の牧師として奉仕されました。四人の子供さんは、それぞれに日本のキリスト教界で活躍しています。
2000年4月、70歳を越えてから、宇都宮と今市の間の猪倉に大沢バイブルチャーチを建て上げ、そこの牧師として精力的に奉仕しています。
先生のお話を今日初めて聞く人でも、「いい話。キリスト教って難しいものだと思っていたら、わかりやすくいろいろ有益だなあ」と思うでしょう。
また、先生の聖書の話は肩がこらない。感動と笑いのうちに神様の事が自然に受け入れられるような気がするから不思議です。先生が気取らないで話されているからでしょう。
今朝は、「人生の土台」と言う魅力的なテーマで聖書からわかりやすくお話してくださいます。先生のお話を伺いながら自分の「人生の土台」について、考えるひとときとしてください。 (伊藤)

「今日の助け」 詩篇121篇1、2節 市川副牧師 

2003年10月8日
 ご案内させていただいています十月中の日曜日ごとの礼拝に、今朝もようこそおいでくださいました。今朝初めてお見えの方、続いておいでくださっている方を心から歓迎いたします。
 私たちは喜びや悲しみ、ときには困難なできごとに心配したり悩んだりしながら生活しています。そんな日々の中で、頼りになる友だちや、家族がいてくれると本当に心強いものです。何となく話しているだけで心和み、明日から元気で過ごそうと励まされます。悲しみや困難なときには、相談にのっていただき、知恵や助けを受けることができます。
 私たちをいつも温かく見守り、相談にものり、時にかなったふさわしい助けを確実に与えてくださる全能の方がいたとしたら、この日々を、この人生を、心穏やかに、確実に一歩一歩、歩んでゆくことができます。さらに、死の時も、ずっと共にいてくださるとしたら、確かな望みをもち、安心して生き生きと生きて行くことができます。天地を造られた父なる神様はそのように伴ってくださる方なのです。        (市川)

「命の恵・命の価」 マタイによる福音書16章26節 伊藤 牧師 

2003年10月1日
 全ての人の命はお金には換えられなことは誰でも知っています。しかし事故が発生した時、命をお金に換算します。
 昔から船旅は危険で損害が多かったため、最初にできたのが海上保険で、ローマにあったそうです。生命保険は十六世紀にロンドンで始まりました。事故が起こりますと、改めて命の尊さを知らされます。その意味で保険制度は、人間の命の尊さの自覚の深まりと共に進歩してきたと言えるかもしれません。
イエス様は弟子たちに、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」と言いました。それほど自分の命、つまりあなたの「魂」には大きな価値があるのです。
しかし全ての人は、神様を信じて救われない限り、罪のために神から離れた滅びの状態にあるのです。そこでイエス様は、全ての人を永遠の滅びから救うために、この世にきてくださいました。
 今朝は、聖書が全世界よりも尊いと語る命の価値についてお話します。(伊藤)