館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2006年6月

「信じて歩む力」 ヨハネによる福音書1章12節 市川副牧師 

2006年6月25日
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」
ヨハネによる福音書1章12節  イエス様は、私たちのために、十字架にかかって死んでくださり、三日目に死からよみがえってくださいました。
イエス様を信じた人々には、神の子となる力を与えてくださったとあります。すなわち、神の子どもとされる特権を与えてくださったのです。
 すべての罪を赦してくださいました。神様をお父さんと親しく呼んで、お祈りできるようにしてくださいました。いつでも助け、教え導いてくださいます。イエス様のように、栄光のからだによみがえらせてくださいます。神様の相続人としてくださり、祝福を与えようと用意していてくださるのです。
 このように、イエス様を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与え、はかりしれない恵みをくださったのです。 (市川) 

「信仰による出発」 アブラハムの生涯(1) 創世記12章1〜4節 伊藤 牧師 

2006年6月18日  
 今回から、「信仰の父」と言われたアブラハムの生涯を通して、「信仰」について学んでいきたいと願っています。
 信仰列伝とも言われるヘブル人への手紙十一章には、「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った」と記されています。
 神の民の歴史において、アブラハムは大変重要な存在です。選民イスラエルの歴史が彼から始まっているからです。
 アブラハムはいろいろな点で優れていましたが、最も彼を偉大にしたのは信仰の深さです。そこで彼は、「信仰の父」と呼ばれているのです
 彼の生涯で際立つことは、いつも神様の言葉に耳を傾けていたことです。そして「信仰」によって歩もうとする者には、神様がいつも先立ってくださり、親しく語られことを知っていたのです。
 今朝は、アブラハムの「信仰による出発」から、神様の導きに、思い切って従って生きることが、大いなる祝福であることを学びたいと思います。 (伊藤)

「罪赦された喜び」 詩篇32篇1〜5節 初心者礼拝 

2006年6月11日
 詩篇32編は、七つの悔い改め詩篇の一つであり、喜びの歌とも言われています。それは、この詩篇が「さいわい」で始まり、「主によって喜び楽しめ」で終わっているからです。
 ダビデは羊飼から一国の王になった人です。彼は権力においても、持ち物においても、名声においても、最も豊かな人でした。しかし、これらは本当の幸せをダビデに実感させたわけではありません。彼は大罪を犯した時、その罪を素直に認め、悔い改めました。その罪が神様に赦されたことを知った時に、ダビデは最も大きな喜びを感じた、と告白しているのです。
 ですからダビデは、神様によって「罪赦されること」こそが、人生の最大の幸せであり、祝福の出発点であると自覚し、この詩篇を書いたのです。
 賛美歌には「流したまいしイエスの血潮に、罪洗われし喜び、何にか譬えん、いざや歌いて、深き恵みを感謝せん」と罪赦された喜びが歌われています。
 今朝は、この詩篇から罪赦されることの幸いを学びましょう。   (伊藤)

「教会の誕生の準備」 使徒行伝1章1〜5節 伊藤 牧師 

2003年6月4日
 今日は、イエス・キリストが復活したイースターから五十日目にあたり、教会歴でペンテコステと呼ばれています。
ペンテコステは教会の誕生日で、この時、三位一体の神の第三位格である聖霊様が降臨されたのです。そこでペンテコステの出来事は、聖霊のクリスマスとも言われます。
イエス様は、繰り返し助け主聖霊様を私たちに送ると約束されました。また助け主が来て、自分が去って行くのは益になるとも言いました。よってペンテコステは、主の約束の成就と言えるのです。
使徒行伝の主人公は、ペテロやパウロではなく、聖霊様が主人公です。聖霊様が使徒たちを用いて、神のみわざをなし、キリストの教会が全世界に建て上げられていったのです。
だからJ・B・フィリップスが使徒行伝を聖霊行伝と呼んだのも最もなことと思います。
 今回から月一回位の割合で使徒行伝を学びたいと思っています。今朝は、教会の誕生にあたって、どのような準備がされたのかをお話します。 (伊藤)