館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2006年5月

「救われるには」 ローマ人への手紙10章9,10節 市川副牧師 

2006年5月28日
 イスラエルの民にはモーセを通して、彼らが従うべき教えとして律法が与えられました。彼らは律法を守ることによって救われると考えました。しかし、行いによって救いを受けることはできませんでした。
  一方、異邦人は神の救いを受けました。信仰によったからです。神様の言葉は近くにあり「その声は全地にひびきわたり、その言葉は世界のはてにまで及んだ」とあります。神様を意識的には求めなかった異邦の民に、神様はご自分を現してくださり、彼らは救われたのです。
  パウロは、神様に対して熱心ではあるけれど、その熱心が知識に基づくものではなく、救いにあずかれない同胞イスラエル人のために、救いを願い求めています。このイスラエル人に対して、神様は、終日手を差し伸べておられるのです。
そして、この救いはすべての人に差し出されています。救われるためにはどうすればよいか、すべての人に与えられた救いの約束について、このみ言葉によって教えられています。   (市川)

「みことばの飢饉」 アモス書8章11節 伊藤 牧師 

2006年5月21日
 2005年12月に国際飢餓対策機構が発表したものによりますと、世界中で1分間に17人が餓死しています。そのうち12人は子供です。1年間にはおよそ1000万人が餓死しているのだそうです。今、歴史上かつてない程の規模のききんが世界を覆っているのです。
 聖書には、もう一つのききんがあると教えています。アモス書8章11節には「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである」とあります。
 このききんは、確かに日本にも、そして教会の中にも広がってきています。多くの本が氾濫し、マスメディアによって情報があふれていますが、真に人を生かし、人の心を満たす言葉が欠乏しているのです。イエス様が「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と教えられたのも、人は心にどんなことばを蓄えているかによって、生き方が定まるからです。
 今朝は、みことばを心に蓄え、従うことの大切さを学びましょう。    (伊藤) 

「嵐の中の人生」 マルコ福音書4章35〜41節 秋山恵一牧師 

2006年5月14日
 今日の特別伝道礼拝は、シオンの群教会代表牧師で、全国を巡回伝道しておられる秋山恵一先生をお迎えして、聖書のみことばから神様のメッセージをお聞きできることは本当に感謝です。
先生は昨年まで東京シオンの群中野キリスト教会牧師でした。
私たちの教団である福音伝道教団のハレルヤ会(高齢者のグループ)では、たびたび先生をお招きして、幸いな集会を持っています。
また先生は、福音伝道教団の小川キリスト教会出身で、昔、館林キリスト教会で開かれた、冬期聖書学校にも出席されたそうです。
館林教会出身者でも、何人かの方々がシオンの群中野キリスト教会に所属しているので、先生を初めてお招きする感じがいたしません。
秋山先生は温かく親しみやすい花の絵等を描き、それに短くわかりやすい言葉を加えた小冊子を出版しています。
先生は、今朝「嵐の中の人生」というテーマでお話してくださいます。ご期待をもってお聞きください。 (伊藤)  

「礼拝の喜び」 詩篇16篇8〜12節 伊藤 牧師 

2003年5月7日
 今日は礼拝に続いて臨時教会総会(決算総会)が開かれ、2005年度決算審議があります。お祈りをもってご参加くださいますようにお願いします。
 表題に書かれてありますように、詩篇16篇はダビデの作です。この短い歌の中に三回も「喜び」と言う言葉が使われています。つまりここには神様を礼拝することが、「喜び」だと歌われているのです。
 私たちは毎週礼拝に出席する時、心から主に賛美をささげ、「私は神様に愛されているものであり、私も神様を愛します。あなた以外のもので満たされる喜びを持ちません」と信仰の告白をしているのです。また、神の子とされていることに感謝し、お互いに祈りあい、励ましあっているのです。
 そして、礼拝の中で聖霊なる神様は、私たち一人一人に神の言葉を通して「さとしをさずけられ」(7節)、神の言葉を魂の糧として、養っていてくださるのです。
 今朝は、この「礼拝の喜び」について学びましょう。 (伊藤)