礼拝のメッセージ 2006年4月
「造り主は神」 詩 篇139篇1〜8節 篠原 貞雄
2006年4月30日
地上で生きて行く私達には、心配事がついてまわります。それに簡単に解決出来ない事柄が多すぎて、いつしか生きる事が苦しくなります。心配しなくてもよいようなことを気にしてしまう場合もあります。
人間は目に見える現象面で事物を判断しがちですから、表面だけの理解で悩みが生じ、苦しむ人生を背負う事になります。そうならないために、私達はどうすべきなのでしょうか。
神は私達を造られたお方なのですから、かならず守り導いて下さいます。地上で解決できないことがあっても、造り主である神のご計画に信頼していくなら、私達の人生は確かなものになります。
今朝は、詩篇の第139篇から、神がどのようなお方なのか。特に神の「全知・遍在・全能」について学んでみたいと思います。また、私達の心の姿勢と生き方はどうあるべきなのか。神の御真実とその御前に生きる生活を考えてみたいと思います。
(篠原 貞雄)
「約束の助け主」 ヨハネ福音書14章6〜18節 市川副牧師
2006年4月23日
先週は主の復活のできごとを記念し、ともに喜びに与りました。
いま、主を信じるわたしたちが、主にある喜びと平安に守られているのは、すばらしい恵みです。
弟子たちがこの地上でイエス様とお話したり、ともに過ごした日々は、主の十字架という悲しいできごとによって終わりを告げました。弟子たちは悲しみと恐れに打ちひしがれました。
復活の朝、よみがえられたイエス様にお目にかかり、彼らは大きな喜びに満たされました。そのイエス様は弟子たちの見ている前でオリーブ山から天に上げられ、彼らは再びイエス様と過ごすことができなくなりました。しかし、喜びに満たされて主をあかしし続けました。イエス様が十字架の前の晩、弟子たちにお話しくださった「わたしは父にお願いしよう。そうすれば父は別に助け主を送って、いつまでもあなた方と共におらせて下さるであろう」というみ言葉のとおり、主を信じる者のために助け主なるお方が共にいてくださるからなのです。 (市川)
「復活の力と祝福」 ルカ福音書24章1〜9節 伊藤 牧師
2006年4月16日
今日はイースターで、キリストの復活を記念する日です。日本では、クリスマスのように盛んではありませんが、キリスト教国では大切な日として守られてきています。
四福音書の復活の記事は、日曜日の早朝、数人の女たちが、墓参りをしようとしているところから、叙述が始まっています。墓に行って見ると、イエス様のからだがなくなっていたので、彼女たちは途方にくれてしまいました。
ところがキリストの弟子たちは、五十日を過ぎた頃、キリストの復活について自分たちが目撃した出来事だから伝えないわけにはいかないと、大胆に宣べ伝え始めたのです。なぜなら、キリストの復活が、十字架による罪のゆるしと、信じる者の救いの成就としての意味を持つからです。そしてその証拠として弟子たちは、彼ら自身がキリストの復活の力によっていかに作り変えられたか証をしたのです。
今朝は、このキリストの復活によって与えられた力あるみわざと祝福についてお話します。 (伊藤)
「十字架による救い」 ルカによる福音書23章32〜38節 伊藤 牧師
2003年4月9日
イエス様の33年の生涯で、最後の週は受難週と呼ばれています。
イエス様が、十字架にかかられ、死んで、葬られたからです。そして来週の日曜日は、そのイエス様が復活したことを記念するイースターです。
イエス様が十字架にかかられた場所は、エルサレムに近いゴルゴダの丘です。そこに、ローマ軍の兵士によって3本の十字架が立てられました。中央には神の御子イエス様が、両側には、それぞれ犯罪人がつけられました。
ローマ軍の兵士は、冷淡な目で苦しみながら死んで行く犯罪人を眺めていました。群衆はこの異様な光景を、ただ好奇心を持って見ていました。祭司長や役人たちは、「神の子なら自分を救え」などと嘲りながら見ていました。
こうした中で、十字架につけられた一人の犯罪人がイエス様を信じて救われたのです。彼はイエス様が導いた最後の決心者です。
今朝は、この十字架上で起こった出来事を通し、イエス・キリストの十字架の救いと恵みをお話します。 (伊藤)
「心を騒がせずに」 ヨハネによる福音書14章1節 市川副牧師
2006年4月2日
4月からたくさんの友だちと過ごす子供たち、新しい学年、学校に進む学生のみなさん、そして社会人として勤務する方々。お子さんを見守るご家族。また、新しい環境で過ごす方々。お互いに期待と不安が入り混じる季節です。
今朝のみ言葉はイエス様が十字架におかかりになって、お亡くなりになる前の晩、弟子たちにお語りくださったものです。イエス様が遺してくださったこのみ言葉によってどれほど多くの方々が慰めと励まし、平安をいただいたことでしょう。
この夜、弟子たちは、特別に用意された食事の席やイエス様のお言葉に、緊迫感をいだいていたようです。イエス様が弟子たちに語られた「あなたがたは、心を騒がせないがよい。」というお言葉に表されています。不安で動揺していた弟子たちに、イエス様は「神を信じ、またわたしを信じなさい」とお話してくださいました。
私たちも、動揺するとき、イエス様を信じて、平安と確信をいただいて事柄に対応させていただきましょう。(市川)