礼拝のメッセージ 2006年3月
「神様のプログラム」 箴言19:21 市川副牧師
2006年3月26日
私たちは、家族や友だち指導者たちの教えや影響を受けて成長してきました。その人の生まれながらの性質と、その後の環境の中で性格が形作られて、自分なりに考え判断しながら生活しています。自分の考え、プログラムに基づいて判断することが多かったのではないでしょうか。
あるとき、聖書のみ言葉によって、真の神様の存在を知り、神様のみこころのうちに命が与えられ、人生が与えられているのだ、と知った人は多いと思います。そして、自分の考えや、判断を超えて、神様のお考えや、ご判断が大切なことだと知ったのです。
これから長い人生を歩みだそうとしている子供たちや、学生の方々、そうしたお子さんがいらっしゃるご両親、ご家族の方々は、彼らが真の神様にお祈りし、みことばに養われながら成長し、神様のお考えを聞きながら生きてゆけるように祈り導いてあげることが幸いですし、人生が進んできた方々は、過去を思うと同時に、み言葉と祈りのうちに、神様のお考えを大切に生きて行くことが幸いです。なぜなら、神様のあなたに対するお考え、プログラムがあるからです。 (市川)
「獅子の穴からの救出」 ダニエル書6:1〜5 伊藤 牧師
2006年3月19日
ダニエル書の前半、1章から6章までは、歴史的な出来事が記されているので非常に興味深いところである。
特に6章は、子どもたちを引き付け、大人たちを感嘆させ、高齢者を驚かせる箇所である。
凶暴な獅子の穴の中に入れられたダニエルが神様によって助けられ、生きていたことに子どもたちは歓声の声をあげるだろうし、大人たちは、厳しい試練に身を任せた献身的なダニエルの忠実さに感嘆するに違いない。そして高齢者にとっては、この獅子の穴に投げ入れられた時、ダニエルが八十五歳くらいであったことを知ると、高齢にもかかわらず、この試練に勇敢に立ち向かっていったことに驚きを感じるだろう。彼は、ヘブル人の信仰列伝の中に「信仰によって……ししの口をふさぎ」と記された人物である。だから、この六章は信仰と希望に満ちている箇所である。
今朝は、このテキストから、ダニエルの神様に対する真実な生き方を学び、これを私たちに対する模範として歩みたいと願っている。 (伊藤)
「キリストの名によって歩きなさい」 使徒行伝3:1〜8 伊藤 牧師
2003年3月12日
コンピューター、ビデオにもみな操作するためのマニュアルがついています。私はマニュアルを読んでも、どのように操作すればよいかわかりません。しかし、若い人たちは、それを見て簡単に操作するので羨ましい限りです。
ところで、「人生のマニュアル」というものはあるのでしょうか。昔も今も、聖書は生きる意味や目的を教える最高のマニュアルといえるでしょう。
使徒行伝3章には、四十歳を過ぎた生まれつき足のきかない人が、人々に施しを乞うために、いつも「美しの門」に運ばれてきたとあります。
長い年月は、彼から希望や夢を奪いました。彼の生き甲斐は、「今日はどの位もらえるだろうか」でした。
しかし、ついにこの自分をじっと見つめてくれるペテロとヨハネに出会いました。二人は施しのかわりに「金銀はない。イエス・キリストの名によって歩きなさい」と命じました。この一言によって全く新しい出発をしたのです
今朝は、このテキストから、救いの恵みの豊かさを学びましょう。 (伊藤)
「永遠の生命を信ず」 ヨハネ福音書17:1〜3 伊藤 牧師
2006年3月5日
先月は「身体のよみがえりを信ず」という告白から、私たちの将来に約束されている希望について学びました。
今回、「永遠の生命を信ず」について、ハイデルベルク信仰問答は、「永遠の生命という箇条はあなたにどのような慰めを与えますか」と問いかけます。
答えは、「私が今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目がいまだ見ず、耳がいまだ聞かず、人の心にいまだ思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです」となっています。
ここで語られていることは、永遠の生命の祝福は今すでに私たちのうちに始まっているということです。私たちは、主イエス・キリストを信じ、罪赦され、神の子どもとされた時から、すでにこの地上にあって永遠の生命を生き始めていると言っているのです。
今朝は、使徒信条の最後、「永遠の生命を信ず」を通して、私たちに約束されている確かな保証についてご一緒に学んでいきたいと思います。 (伊藤)