礼拝のメッセージ 2005年12月
「教会を築き上げる喜び」 使徒行伝9:31 伊藤 牧師
2005年12月4日
教会とは、救われた人たちが集まって神様を礼拝している群れのことです。その群れが集まる建物が教会堂です。
聖書は、一人一人の魂が救われて、教会が成長していくことが神様のみこころであることを記しています。
三十一節には「こうして教会は、……平安を保ち、基礎がかたまり、……信徒の数を増して行った。」とありますが、この「基礎がかたまり」とは、「家を建て上げる」という意味があります。すなわち、あらゆる材料を適材適所に使い分けて組み立て、つなぎ合わせて目標を完成させるということばなのです。
また、エペソ人への手紙四章十二節には「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせる」とありますが、これは、使徒、長老、執事たちの指導のもとに、信徒一人一人が異なった賜物をそれぞれに発揮しながら、キリストのからだとしての教会全体が成長し、機能していたことを物語っているのです。
今朝は、キリストの教会を築き上げていく喜びを分かち合いましょう。(伊藤)
「インマヌエルの神」 マタイによる福音書1:21〜25 伊藤 牧師
2005年12月11日
マタイによる福音書を書いた取税人マタイは、1章23節で、やがて生まれるイエス様のことを「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である」と記しています。
また、21節では、主の御使いが夢に現れて「その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」とヨセフに告げました。
そして、2章4節では、マタイはベツレヘムの幼な子に、「キリスト」という名前を使っています。
インマヌエル、イエス、キリスト、これはベツレヘムの家畜小屋の中で、神の御子としてお生まれになった幼な子に与えられた名前ですが、これらの名前はそれぞれ、この人の与え得る恵みの賜物を語っているのです。
インマヌエルとは、「神われらと共にいます」と言う意味で、神様が常に信じる者の味方になって勝利をもたらしてくださるという約束なのです。(伊藤)
「博士たちの礼拝」 マタイによる福音書2:1〜3 市川副牧師
2005年12月18日
救い主イエス・キリスト様のご降誕に際して心からの礼拝をささげた人々について、聖書から知ることができます。
ベツレヘムの羊飼いたちは、救い主イエス・キリスト様に、最初におめにかかるという恵みに与りました。彼らが救い主の誕生を心から待ち望んでいたからです。
「東からきた博士たち」も救い主イエス様にお目にかかりたい一心で、長い旅ののち、お会いすることができました。彼らは東の国で王に仕えるような博学の人々でした。聖書の預言の言葉と天体の観測から、救い主の誕生を知り、長く危険な砂漠の旅をもいとわず、星の動きを頼りにエルサレムへと向かいました。
「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」に会うためエルサレムの王宮を目ざしたにもかかわらず、そこにいたのは高齢で残虐なヘロデ王でした。
さらに導かれた先はベツレヘムでした。星は幼な子のいる所にとどまったのです。博士たちは長く危険な旅の末、幼な子イエス様に心からの礼拝をささげたのです。 (市川)
「プレゼントは愛」 ヨハネによる福音書3:16 伊藤 牧師
2005年12月25日
クリスマスシーズンになると、「世界のクリスマス」の様子がテレビなどで紹介されます。その中でよく見られるのは、プレゼントをする光景でしょう。
クリスマスになぜ贈り物をするようになったのでしょうか。また贈り物を喜び合うそのいわれはどこにあるのでしょうか。
それは私たちが神様から大きな贈り物をいただいているからです。
アメリカの大統領リンカーンは、「神様が人類に与えられた最高のプレゼントは、ご自身の御子、救い主イエス・キリストである」と語っています。
ヨハネによる福音書3章16節には「神はそのひとり子を賜わったほどにこの世を愛してくださった」とあります。
このみことばの意味は、神様が人類のために神のひとり子を賜わった、つまりプレゼントしてくださったということなのです。そして、その動機は「愛してくださった」とあるように、「愛」です。
だからクリスマスは「わたしはあなたを愛している」という神様からのプレゼントであり、メッセージです。(伊藤)