礼拝のメッセージ 2005年4月
「振り返らない」 創世記19:15〜18伊藤 牧師
2005年4月10日
アブラハムの甥のロトが住んでいたソドムの町は、あまりに悪がひどかったので滅ぼされてしまいました。
この時、御使いはロトたちに「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない」(新改訳)と警告したのです。しかし、ロトの妻はこの警告を無視して振り返ったために、塩の柱になってしまいました。
パウロは、旧約聖書で先祖たちに起こった出来事や経験を、私たちの信仰の反省として引用し、「これらのことが起こったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである」と言っています。
文語訳では「警告としてであって」が「鑑となれり」となっています。古典には、歴史のことを「鑑」という意味に用いて、大鏡、増鏡などという書物もあるほどです。すなわち、歴史は「鑑(鏡)」であり、自分を反省させる手本になるということです。
今朝は、自分の命を救うために振り返えらないことを学びましょう。(伊藤)
「誘惑に勝つ<栄華の問題>」 マタイによる福音書4:8〜11 伊藤 牧師
2005年4月17日
マタイによる福音書四章の荒野の誘惑は、私たち人間がこの地上で受ける誘惑のすべてに関係しています。
だから、ルカによる福音書四章十三節の方には、「悪魔はあらゆる試みをしつくして」と書かれてあるのです。「生活
問題」、「不思議なしるしの問題」、そして三つ目は「栄華の問題」です。
悪魔はどうにかしてイエス様を地上の栄華に関心をもたせ、神様の方に目をむけないように仕向けているのです。
そこで悪魔は、イエス様に対して世界の栄華を見せ、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」と誘惑してきたのです。つまり、なんの苦労もせずに栄華を手に入れる妥協の道を示してきたのです。
しかし、悪魔は偽りの父です。拝めば、その通りになるかと言えば決してそうはならないのです。
だからイエス様は、サタンを退かせ、今度も「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」というみことばで悪魔の誘惑に勝利されたのです。 (伊藤)
「種と畑」マタイによる福音書13:1〜9 市川副牧師
2005年4月24日
イエス様は人々の身近な生活から題材をとってお話してくださいました。イエス様のお話を聞いた人たちは親しみ深く耳を傾けたでしょう。また、たとえ話もされました。たとえ話はわかりやすいと同時に、聞く人に「もっと本当の意味を知りたい」という興味を起こさせ、救いを求める気持ちを芽生えさせてくれます。
マタイによる福音書一三章のたとえ話は、イスラエルの畑が背景になっています。当時のイスラエルの人たちは何らかの形で農業に携わっていました。主な農作物は小麦、大麦、オリーブ、葡萄などでした。聖書に出てくる「種」とは麦について話されているようです。種まきはとても大まかで、籠や、腰につけた袋から種をつかみ出して放り投げる、という方法だったそうです。ですから、聖書にあるように「道ばた」や「石地」「いばらの生えた土地」などに落ちることも多かったのです。
イエス様は「『良い地』に落ちた種は百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶ」と言って、私たちの御言葉を受け止める心の状態を教えてくださいました。(市川)