館林キリスト教会

Contents

礼拝のメッセージ 2005年3月

「イエスのよみがえり」 コリント人への第一の手紙15:1〜5 伊藤 牧師 

2005年3月6日
  使徒信条の成り立ちとイエス・キリストの復活とは深い関わりがあります。
使徒信条は、紀元二百年頃にまとめられたローマ信条が原型となっているというのが定説です。そしてそれは洗礼式の時に用いられていたのです。
当時洗礼を受ける人は、キリストのよみがえりを記念するイースターの前日から教会に集まり、徹夜でみことばを聞き、祈りをささげていました。やがてイースターの朝、夜が明ける頃に、洗礼式を行っていたようです。そしてそこで、洗礼志願者は使徒信条を改めて告白したのです。
このように使徒信条は、イエス・キリストのよみがえりに合わせて洗礼式を実施していた事実と深く結びついており、それに支えられてきた歴史的な経緯があるのです。ですから、主のよみがえりは使徒信条の源泉であり、根拠とも言えるのです。
今朝は、使徒信条の基盤とも言える「三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」を学びましょう。(伊藤)

「愛の呼びかけ」  創世記3:8、9 伊藤 牧師 

2005年3月13日
  神様によって最初の人アダムが、続いてエバが造られました。彼らは創造主なる神様の戒めを破って罪を犯し、神様の御顔を避け、エデンの園の木の間に隠れていました。このアダムとエバに対して、神様の方から「あなたはどこにいるのか」と呼びかけられた、と創世記三章には記されています。
一般に宗教とは、人間が神様を探求する道と考えられています。しかし、実は探しているのは、人間よりも神様の側です。迷子が親を探し求めるとしても、探し当てるのは、親の側であるはずです。
イエス様が語られた「人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである」と言うのも、真の神様がわからず、挫折、焦燥、孤独などで、自分のあるべき位置が分からない人に対する、救いと回復の招きなのです。
こうした神様の愛の呼びかけは、幾千年を経て今日に至るまで、すべての人々に問いかけられているのです。
今朝は、「あなたはどこにいるのか」という神様の愛の呼びかけに一人一人が応答していきましょう。  (伊藤)

「誘惑に勝つ<不思議なしるしの問題>」 マタイによる福音書4:5〜7 伊藤 牧師 

2005年3月20日
  誘惑に対する勝利の秘訣の第一回目 の学びは、生活問題に対する悪魔の誘惑 でした。この時イエス様は、「『人はパ ンだけで生きるものではなく、神の口か ら出る一つ一つの言で生きるものであ る』と書いてある」と、申命記のみこと ばを引用して悪魔を退けました。
 すると悪魔は、今度は角度をかえて「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」とみことばを引用してきたのです。
 つまり悪魔は、神を信じさせるには、不思議なしるしが伴わなければ何の役にも立たないではないか。おまえは、この宮の頂上から飛び降りてみることによって、そのことを証明したらどうだ、と誘惑してきたのです。確かに人々がアッと驚くようなことを行えば信じそうですが、果たしてそうでしょうか。
 そこで今朝は、イエス様がこの誘惑にどう対応されたかをお話します。(伊藤)

「キリストの復活」 ヨハネによる福音書20:1〜3  市川副牧師 

2005年3月27日
 キリストは十字架上で息を引き取られました。その日の夕方から安息日が始まろうとしていたので、ユダヤ人たちは死体の取り下ろしをピラトに願い出ました。
 兵卒たちは死体を取りおろすために、キリストと一緒に十字架に付けられた二人の罪人の足を折りました。キリストの所に来てみると「もう死んでおられたのを見て、その足を折ることをしなかった」とあります。それでもなお、槍でキリストのわきを突き刺しました。「すぐ血と水が流れ出た」とあります。
 弟子たちは恐怖のあまり逃げ去り、アリマタヤのヨセフとニコデモが、キリストのお体を取り下ろし新しい亜麻布を巻きました。お体は、岩をくり抜いた横穴式のヨセフの新しい墓に横たえられました。キリストの葬りはユダヤの埋葬の習慣に従って行われました。
 安息日をはさんで三日目の朝早く、マグダラのマリヤたちは、香料と香油を携え墓に急ぎました。しかし、墓の入り口の大きな石は取りのけられ、キリストのお体は見当たらなかったのです。       (市川)