館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2004年12月

「まことの神、まことの人」 ルカによる福音書1:26〜33 伊藤 牧師 

2004年12月5日
 使徒信条は「クレドー」と呼ばれたりします。「クレドー」とは「我は信ず」という意味です。
 使徒信条の内容は、第一に「我は……全能の父なる神を信ず」であり、第二に「我らの主イエス・キリストを信ず」であり、第三に「我は聖霊を信ず」です。それは明らかに三位一体の神様への告白という形に整えられているのです。
 第二番目のイエス様についての告白は一番長いものです。まずイエス様ご自身についての紹介で始まり、次に「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ」という一般的に処女降誕と言われる告白が続きます。それから主イエス様のなされたみわざです。みわざの中で一番大事なのは十字架と復活です。
 なぜ主の十字架と復活の前に、この処女降誕の出来事が告白されているのでしょうか。それはイエス様が「まことの神、まことの人」として生まれたという信仰の告白が大事と考えたからです。
 今朝は使徒信条の「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ」という信仰告白の意味を学びましょう。(伊藤)

「クリスマスの目的」 テモテへの第一の手紙1:15 伊藤 牧師 

2004年12月12日
 はじめに神様は天地を造り、それから人間をお造りになられました。造られた人間は神様の愛の対象でした。そして神
様は人間のためにエデンの園を備え、いろいろな生き物を造ってくださいまし た。しかし人間はこの神様の愛に応え
ず、神様の命令に背いたのです。そこで神様は人間をエデンの園から追放しました。その時から人間の不幸が始まった
のでした。しかし神様は人間の不幸をそのままにしておくことを望まず、救い主イエス様をこの世に送られたのです。
 ですから、イエス様がこの世に来られた最大の目的は、人間の罪の問題を解決し、救い、幸福にするためです。使徒パウロはクリスマスの真の目的を「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった、という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。」と言っています。また医者であり、歴史家であるルカは「人の子がきたのは、失われた者を尋ね出して救うためである」と言っています。
 そこで今朝は、クリスマスの真の目的についてお話したいと思います。(伊藤)

「最初のクリスマス」ルカによる福音書2:8〜12 伊藤 牧師 

2004年12月19日
 今から約二千年前にベツレヘムに近い野原で、羊飼いたちが寝ずに羊の番をしていると、突然羊飼いたちの周りがまばゆい光で照らされ、神の御使が現れました。
 そして御使いは羊飼いたちに、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」と告げたのです。
 不思議なことに御使は、全人類にかかわる救い主の誕生の知らせを、野宿をしていた羊飼いにまず知らせたのです。
 当時の羊飼いは、ユダヤ社会では「地の民」とさげすまれ、最も身分の低い人とみなされていたのです。
 それなのになぜ御使は、救い主の誕生を知らせるため、王宮ではなく、羊飼いの野原に来たのでしょうか。
 今朝は、世界で最初のクリスマスの時に起こった出来事をお話します。(伊藤)

「日ごとの賛美」 詩篇145:1〜3 市川副牧師 

2004年12月26日
 1年の恵みを思い起こし、この礼拝において主の御名を賛美いたしましょう。
主を賛美することは救われた者に与えられた計り知れない特権です。この世界には多くの人々が生活しています。しかし救われた人々だけが主の御名を賛美できるのです。主の恵みのゆえに救われた者として心からの賛美をささげましょう。
 また、主の豊かな慈しみのゆえに主を賛美しましょう。旧約聖書、申命記にはイスラエルの民について、主が「自分の宝の民とされた」(申命記7章6節)とあります。イザヤ書には、母が子を忘れないように、いえ、たとい母が子を忘れるようなことがあったとしても「わたしは、あなたを忘れることはない」とおっしゃるのです。そして「見よ、わたしは、たなごころ(手のひら)にあなたを彫り刻んだ」と記されています。(イザヤ書49章15、16節)
 主の計り知れないご愛と慈しみのうちに日々生かされている恵みを思い、賛美と礼拝をささげましょう。 (市川)