礼拝のメッセージ 2004年10月
「天地の造り主を信ず」 ヨハネによる福音書14:6 伊藤 牧師
2004年10月3日
イエス・キリストは十字架にかかられる前の晩、弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっ
ている」と話しました。
しかし「道を知る」という事は、何よりもまず、どこに行くべきかを知らなければなりません。ですからトマスは「主よ、どこにおいでになるのか、わたしたちにはわかりません」と言ったのです。
するとイエス様はトマスに対して、「わたしは道であり、真理であり、命である」と答えられたのです。
イエス様が、ここで語った「道」とは、神の国に至る道のことです。しかも「わたしによらないでは」と言われたように、神の国に至る唯一の道だということです。そして私たちはだれでも、神から遣わされた救い主イエス・キリストを通して父のみもと、すなわち神の国に行くことができるのです。
それと共にイエス様に救われた人生が、どんなに生きがいのある真理の道、命の道であるかを示しているのです。
今朝は「ここに道がある」と言われるイエス様の招きをお話します。(伊藤)
「キリストによる救い」 使徒行伝4:12 市川副牧師
2004年10月10日
今朝も礼拝によくおいでくださいました。心から歓迎いたします。
来週日曜日には川崎市、菅キリスト教会牧師、岩松康宣先生がお話してくださいます。また、今朝のようにわかりやすい信仰の体験談、楽しいイベントもあります。ご家族、お友だち、みなさんでお出かけください。
わたしたちは、空気、水、太陽の光などたくさんの恵みの中に生かされています。これらがなかったら生きることはできません。聖書には「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、…雨を降らして下さるからである」とあり、わたしたちを愛してくださる神様の恵みであると教えています。
しかし今、世界規模で環境は汚染され、気候は荒れ、家庭も社会も悲しみと悩みの度を深めています。民族も国々も果てしない混乱と戦いが続いています。ちょうど愛情に満ちた両親のもとで喧嘩を続けて傷つけ合う兄弟のようです。一番悲しんでおられるのは父なる神様です。今朝も愛のメッセージ、聖書のお言葉に耳を傾けてください。(市川)
「永遠の命を知る」 ヨハネによる福音書3:1〜16 岩松康宣牧師
2004年10月17日
今日の特別礼拝は、川崎市の日本福音教会連合菅キリスト教会牧師岩松康宣先生をお迎えして、聖書を通して神様のメッセージをお聞き出来ることは本当に感謝です。
先生は私たちが所属する福音伝道教団の中央日本聖書学院を卒業されました。教団のファミリー・キャンプや青年キャンプ、及び日曜学校教師会などでご奉仕をしていただき、好評でした。教団の各教会からも招かれて、ご奉仕をしておられますので、先生をご存知の方々も多いかと思います。また開拓地の倉松教会においては学院生の時に一年間ご奉仕をしていただきました。
先生が初めに開拓され、現在の教会を建てあげられた時、菅という所でしたので、「スゲー牧師なんですよ」と冗談を言って笑っていましたが、今本当に、日本のキリスト教会のニュー・リーダーのスゲー牧師として活躍されています。
さて先生は、「永遠の命を知る」という題でお話されます。誰の心にもある「永遠を思う思い」についてわかり易く語ってくださるでしょう。(伊藤)
「変えられた人」 ルカによる福音書19:1〜6 伊藤 牧師
2004年10月24日
誰でも生き甲斐のある喜びに満ちた生き方をしたいと心の中では願っています。
しかし現実には、いろいろな妨げがあって、大人になった頃には、世の中に流されるままの人生を送っている人は少なくないでしょう。
しかしそのような人も、自分の人生はこのままではいけない、変えられたいと願っているのではないでしょうか。
新約聖書に書いてある、ザアカイという人もそうでした。彼は、生き甲斐のある喜びに満ちた生活を送るのは「お金を儲ける」ことが先決だと考えました。
彼には、家柄も、学問も、お金もありませんでした。そこで人の嫌がる取税人となってその野望を果たしました。けれども、彼の心は空っぽでした。。
ザアカイは自分の人生を変えられたいと願っていました。しかし彼を知る人は、彼が変えられるなんて想像も出来ませんでした。ところが彼は、イエス様に出会ってから愛の人、生き甲斐と喜びを持つ人に変えられました。
今朝は、この話をしましょう。(伊藤)
「キリストによる救い」 ルカによる福音書23:34 伊藤 牧師
2004年10月31日
今朝の礼拝では、「ヒカリちゃんごめんね」というビデオを見る。
少年太郎は、車椅子に乗っているヒカリちゃんを土手の下に落として怪我をさせてしまう。太郎はやってしまった罪の恐ろしさで、家に帰れず河原で野宿する。
このビデオは「ゆるし」ということがテーマになっている。
二十一世紀に入って、今世界はあのニューヨークの九・一一テロ事件をきっかけに、憎しみの連鎖が世界中に広がっていると言う人もいる。
この映画のラストシーンで、聖書のみことばが語られる。それは新約聖書エペソ人への手紙四章三十二節の「神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい」というみことばだ。太郎は感激して、これは僕の宝だと言う。
私たちが本当に人をゆるせるようになるのは、自分が神様からゆるされたという経験から来るのだ。
今朝は全ての人に対する「ゆるし」という神様の愛について考えよう。(伊藤)