館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2004年1月

「健康な教会、健全な成長」 使徒行伝2:40〜47 伊藤 牧師 

2004年1月4日
  使徒パウロは、コロサイ人への手紙の中で、キリスト御自身はからだなる教会のかしらであると言っています。
 教会が健康で健全に成長していくことは神様のみこころでありますし、麗しいことです。そこで、これから何回かにわけて、初代教会の健康で健全な教会成長の姿を学んでいきたいと思います。
では、「健康な教会、健全な成長」とは、いったい何をさして言うのでしょうか。
 会員の数が増すこと、会堂が大きくなること、財政力が高まること、適切な判断力を身につけること、福音の知識と理解を増すこと、機能的に組織化されることにより、姉妹教会を生み出すまでに力をつけることなど、成長の理解をめぐってさまざまな意見があるでしょう。
 そこで使徒行伝を通して、健康で健全に成長する教会の姿をしっかり学び、聖書が示すキリストの教会を共に建てあげていきたいと願っています。
 今朝は、使徒行伝二章四十節から四十七節を通し、教会史における最初の教会誕生の様子を学びましょう。(伊藤)

「満足していますか」 ヨハネによる福音書7:37〜39 伊藤 牧師 

2004年1月11日
  神学者アウグスティヌスは「人は神によって造られたので、神のもとに帰るまでは本当の平安を得ることが出来ない」と言い、哲学者パスカルは「人の心の中には神しか満たすことのできない空洞がある」と言っています。
 この二つの言葉のキーワードは、神様を信じなければ、人は本当の満足を得ることは出来ないということでしょう。
 キリストは、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と言いました。
 これは、私たちがイエス様を信じると、私たちの心が変えられ、喜びと平安、そして愛に生きる水が流れ出て、本当の満足を与えられるばかりか、周りを潤す存在となるというのです。
 しかし、こうした素晴らしい招きにもかかわらず、イエス様を信じる人は少ないのです。信じなくても、満足できると思っているからかもしれません。
 今朝は、あなたに満足を与えるイエス様の招きの言葉をお話します。(伊藤)

「サマリヤの救い」 列王紀下6:24、25 伊藤 牧師 

2004年1月18日
 預言者エリシャが活躍していた時代には、イスラエルの南方にはエジプトという大国があり、北方にはアッスリヤという大国がありました。
 イスラエルとスリヤは、この二つの大国にはさまれた小国でした。だから仲良くすればよいのですが、列王紀下六章前半で学びましたように、時々スリヤはイスラエルを攻め、被害を与え、困らせていたのです。
 それからしばらくして、スリヤの王ベネハダデが、この時は全軍を率いてせめて来ました。イスラエル軍は敗退し、とうとう都のサマリヤまで逃げてきたのです。
 サマリヤもエルサレムも高台にある要塞で、なかなか攻めるには困難な所ですが、逆に包囲して経済の流通を断つことは容易でした。スリヤ軍は、最初力で突入を試みましたが、なかなかサマリヤ城はくずれなかったので、兵糧攻めを取り、彼らが飢えて降参してくるまで待つという作戦に出たのです。
 こうした中で、サマリヤがどのように救われたかが今回のテーマです。(伊藤)

「ダビデの悲しみの歌」 サムエル記下、1:1〜3 市川副牧師 

2004年1月25日
 イスラエル軍はペリシテびととの戦いに敗れ、王サウルは、ギルボア山で戦死しました。彼の息子たちも死にサウル王家はここに終焉を迎えたのでした。
 ダビデは預言者サムエルから王となる油注ぎを受けていましたが、サウルによる迫害のため、長年の亡命生活を余儀なくされていました。王冠はないとしても、外敵からイスラエルを保護するという大切な役割を果たしつつ、サウルの追撃から逃れるという年月でした。
 今ダビデはアマレクびとを撃ってチクラグに留まっていました。サウルの戦死の情報は、一人のアマレクびとによってダビデのもとにもたらされました。彼が、サウルを自ら殺したと告げると、ダビデは「主の油注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」とその罪を指摘したのでした。ダビデはサウルの死とともに、その息子ヨナタンの戦死を深く悲しみ一章一七節以下には、ダビデの悲しみの歌が記されています。ダビデは、長年執拗なまでの迫害を受け続けたにもかかわらずサウルの死を悲しみヨナタンの友情を称えたのでした。 (市川)