館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2003年12月

「人生の起点」 マタイによる福音書16:26 伊藤 牧師

2003年12月7日
 昔から船旅は危険で損害が多かったので、最初にできたのが海上保険で、ローマにあったそうです。生命保険は十六世紀にロンドンで始まりました。事故が起こりますと、改めて命の尊さを知らされます。その意味では保険制度は、人間の命の尊さの自覚の深まりと共に発達してきたと言えるかもしれません。
 私たちの命はお金に換えられないことは誰でも知っています。しかし事故が起きた場合、命をお金に換算します
 イエスさまは弟子たちに、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」と言いました。それほど自分の命は価値があるのです。しかし人は、救われない限り、罪のために神から離れ、失われ、滅びる状態にあるのです。
 そこでイエスさまは、私たちを永遠の滅びから救うために、この世にきてくださいました。それがクリスマスです。
クリスマスが起点となり、新しい人生が始まることを願っています。(伊藤)

「大いなる光を見る」 イザヤ書9:1〜6 伊藤 牧師

2003年12月14日
  ある時、「あなたの一番楽しいシーズンはいつですか」というアンケートをとったところ、その結果は「クリスマス」という答えが一番多かったそうです。
 クリスチャン人口が一%に満たない日本では不思議な気も致します。
 毎年、この頃になると、救世軍の社会鍋、歳末助け合い、チャリティショーなどが行なわれます。クリスマスを待ち望む喜びが、人々の心に「何か良いことをしたい」という思いを呼び起こすのでしょうか。
 イエス・キリストを神の子と信じ、救い主としている人々にとってはことさら意味深い時になります。
 イザヤ書九章の預言の言葉は、救い主を待ち望む喜びが満ち溢れています。特に二節の「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」という箇所は、救い主の誕生による喜びと慰めを私たちに与えてくれます。
 今朝は、イザヤ書を通して「大いなる光を見た」というクリスマスの預言のことばを学びましょう。    (伊藤)

「余地のない客間」 ルカによる福音書2:1〜7 伊藤 牧師

2003年12月21日
  ルカによる福音書に記されている救主の誕生で、二章七節の「客間には彼らのいる余地がなかった」という記事を読むたびに、胸が締めつけられるような思いが致します。
 神の御子がこの世に生まれる時、人並みにその身を横たえる部屋がどこにもなかった、と聖書は記しているのです。
 その頃ユダヤは、ローマの植民地であり、皇帝アウグストの勅令によって人口調査が行なわれておりました。
 ナザレに住んでいたヨセフは、妻マリヤと共に登録をするために郷里のベツレヘムに行かなければなりませんでした。その時マリヤはすでに身重でありました。
 彼らがベツレヘムについた時は、町は登録のために帰郷した人々で混雑し、泊まる部屋などありませんでした。
 彼らはようやくのことで、家畜小屋を借り、そこで旅の疲れを癒す暇もなく、マリヤは月満ちて、イエス様がお生まれになった、と聖書は記しているのです。
 これが世界で最初のクリスマスの出来事です。        (伊藤)

「測り知れない神の力」 コリント第二の手紙4:13〜15 市川副牧師

2003年12月28日
  パウロは、コリント人への第二の手紙四章に次のように記しています。
 この働きは主のあわれみによること、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えること、宝を土の器の中に持っていること、その測り知れない力は神のものであること、など、宣教に携わってきた思いの一端が記されています。
 また「…キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照らしてくださった」(六節)とあります。パウロはかつて主にある人々を迫害するため出かけたダマスコ途上でキリストのみ声を聞き、その輝きのうちに一時視力を失いました。しかし、これは主にあって新しく生きる一歩でした。
 私たちも光を与えていただき救われました。それぞれに重荷が与えられ主の働きに加えられ、測り知れない力が神のものであることを知らされています。
 御名を崇めつつさらに、恵みが多くの人に増し加わり感謝が満ちあふれて、神の栄光となりますように。 (市川)