館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2003年11月

「人間とは何か」 創世記1:26、27 伊藤 牧師

2003年11月2日
 私たち「人間」は、自分がどこから来て、何のために生き、どこへ行くのかということをあまり真剣に考えて生きていないと思います。
 なぜなら、そのことを考えてみても明確な解答をなかなか得ることが出来ないからです。
 そこで、いろいろな学者が「人間とは何か」ということについて述べています。たとえば、哲学者ヘーゲルは「人間は意志的存在である」といい、哲学者カントやデカルトは「人間は理性的な存在である」と言っています。
 では、聖書は何と言っているかと言えば、創世記一章二十七節で「神は自分のかたちに人を創造された」と言っています。つまり私たち一人一人は神様の作品であるということです。
 作品には作者の意図があるように、神様を信じますと、聖書のみことばの光から、私たちはどこから来た者で、今どこにおり、どこに向かっている者かということが理解できるようになるのです。
 今朝は、「人間とは何か」というテーマでご一緒に学びましょう。 (伊藤)

「今日1日の恵み」 マタイによる福音書6:34 伊藤 牧師

2003年11月9日
  今日」という日を大切にする教えに、「日々是好日」とか「一日一生」という有名なことばがあります。
 イギリスのジョン・ラスキンは、机の上に「今日」という一語を刻んだ石を置いて、「今日」という一日の神様の恵みをしっかり受けとめて生きようと心がけていたそうです。
 人間というものは不思議なもので、老い先短いことを苦にして、今日という日の生きる喜びを失っている人がいるかと思えば、その反面、「まだまだ人生は長い」と思い込んで、今日という日を無為や怠慢に過ごしてしまう傾向をもつ人も少なくありません。
 イエス・キリストは、山上の説教の中で、空の鳥が思いわずらうことなく毎日を喜んでさえずっているのも、また今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の花が、栄華をきわめたソロモンにも及ばない程に、美しく装っているのも、みな自分の全存在を神様に委ねて精一杯生きているからだと教えました。
 今朝は、「今日一日の恵み」というテーマで学びたいと思います。  (伊藤)

「共におられる神」 列王紀下6:8〜14 伊藤 牧師

2003年11月16日
  列王紀下五章には、エリシャがスリヤの将軍ナアマンを癒してあげたという事が記されてあります。しかしその後必ずしもスリヤと友好関係が続いていたわけではないようです。
 スリヤは、宿敵イスラエルを壊滅するために、戦闘作戦を繰り返し展開していたからです。
 スリヤの王は、指揮官を集め、作戦会議を開いては、イスラエルのすきを突く作戦に出たのです。しかし作戦はいつも見抜かれていて、イスラエル軍を討ち倒すことは出来なかったのです。
 そこでスリヤの王は、敵のスパイが味方の中にいるのではないかと疑い始めたのです。
 すると、一人の家来が「イスラエルの預言者エリシャが、あなたが寝室で語られる言葉でもイスラエルの王に告げるのです」と言いました。
 怒ったスリヤの王は、エリシャの居所を捜させ、エリシャがドタンにいるという報告を受けると、すぐさま大軍をドタンに送り、夜のうちにドタンの町を包囲してしまったのです。   (伊藤)

「救いについて」 ローマ人への手紙3:23、24 市川副牧師

2003年11月23日
  どんな場合でも確信があるのは大切です。授業を受けるのにも、仕事をするのにもよく調べたり、準備をして臨むなら落ち着いて、興味深く、より良い勉強や仕事ができるでしょう。
 まして私たちにとって、神様に愛されているかどうか確信がない、罪が許されているかどうか確信がない、お祈りに答えて頂けるかどうか確信がないとしたらどうでしょうか。なんと不安で心細いことでしょう。
 私たちは、しばしば神様にお頼りせずに、自分の信仰、自分の忠実、自分の力などに、確信の基礎を期待しやすいからです。ですからなかなか確信が持てません。
 「信仰」は「神様にお頼りすること」「神様を信じること」です。
もっとも基本的な、救いについて、確信を持つことができるかどうかはとても大切です。聖書に記されていることは、私たちが「救われる」のは「信仰による」ということです。
 今朝この点を聖書から学びましょう。  (市川)

「守られる日々」  エペソ人への手紙6:10〜12 宮田 政信 

2003年11月30日
 今朝は、教会役員の宮田政信兄が礼拝説教のご奉仕にあたってくださいます。
 いつも、信徒の方が説教してくださるのを楽しみにしておられる方が大勢いらっしゃるようです。その説教が、日常の現場での経験が語られるので大いに教えられ、恵まれるからだと思います。本当に感謝です。
 十一月の六日から十三日の「みことばの光」では、コロサイ人への手紙を読むようになっていました。コロサイ教会は信徒エパフラスが開拓した教会です。
 日本の教会をベースに世界中の教会の成長理由を研究したニール・ブラウン博士は、結論として、信徒の方が用いられている教会が成長している、と言っています。そういう点で、小林牧師は信徒説教家の育成を祈りのうちに実施し、指導してきたのだと思います。あれから長い年月が過ぎましたが、こうして豊かな実を結んでいることは感謝です。
 さて今朝、宮田さんは「守られる日々」と題して、お話してくださいます。祈りつつお聞き下さい。(伊藤)