館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2003年3月

「わたしは道である」 ヨハネによる福音書14:6 伊藤 牧師 

2003年3月2日
  ヨハネによる福音書には七つの有名な「エゴー・エイミ」があると言われます。ギリシャ語で「私は何々である」と強調する表現法です。イエス様が自分を紹介する時に用いています。
 ヨハネによる福音書十四章六節の「わたしは道であり、真理であり、命である」というみことばにもこの「エゴー・エイミ」が用いられています。
 「わたしは道であり、真理であり、命である」というみことばは、イエス様が弟子たちとの最後の晩餐の時に語られたものです。この時、イエス様が「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」と言いますと、弟子のトマスが「主よ、どこにおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」と尋ねたことに対して答えられたものです。
 イエス様がここで語った「道」とは、神と神の国に至る道のことです。しかも「わたしを通してでなければ」といわれたように唯一の道だと言っています。
 今朝は、イエス様がどんな「道」なのかご一緒に学びたいと思います(伊藤)

「聖書の中心」 ヨハネによる福音書3:16 市川副牧師 

2003年3月9日
 ヨハネによる福音書三章一六節について「聖書を一言で言い表すとしたら、この一節を挙げることができる」「聖書が失われても、この一節が残るなら人は救われる」などと言われます。これは聖書の中心のみことばです。
 私たちすべての人間は、おいしい食べ物でも、やがて腐ってゆくように、自分の罪のために滅びなければなりません。
この原則は、犯罪者にも、善良な市民にも、健康な人、病んでいる人、豪奢な人、貧しい人にも日本人、外国人にも、世界のすべての人に該当します。
 しかし神様は、そのような滅びゆく私たちを愛して、ひとり子イエス・キリストを送ってくださいました。キリストは人間の罪をあがない、救うために、十字架について死なれました。これによって神様の一方的な愛による救いの道が用意されたのです。
 ここに示された「滅びの運命」と「永遠の命の約束」。このみことばに導かれてキリストを信じ、永遠の命をいただく人は何と幸いでしょう。   (市川)

「エリヤの霊の二つの分」 列王紀下2:1〜6 伊藤 牧師 

2003年3月16日
 エリシャを後継者に任命するように、神様から命じられたエリヤは、そのしるしとして、自分の外套をエリシャにかけました。
 しばらくの間、エリシャはエリヤから後継者としての訓練を受けていました。そこでは預言者の重要性、働きの場所等、エリシャにはたくさんの学ぶ事がありました。偉大な先輩と比べて、自分の無力さを感じていたと思います。
やがてエリヤの昇天の日が近いことを知ったエリシャは、エリヤがついてこないように繰り返し言っても彼から離れませんでした。
 そしてヨルダン川を渡った所で、エリヤはエリシャに「あなたのしてほしい事を求めなさい」と言われたのです。するとエリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」と求めました。これは長子が相続する分が、他の子供の二倍であるという律法の定めに基づいて、エリヤの真の後継者としての霊的な力を求めているのです。
 今朝は、エリヤの霊の二つの分を求めたエリシャの信仰を学びたい。(伊藤)

「祝福の転機」 創世記13:1〜7 伊藤 牧師 

2003年3月23日
  誰にも好むと好まざるとにかかわらず「転機」はきます。
 ある人は、普通男女は三回ずつ、古い自分を脱ぎ捨てて、新しくなる経験をすると言っています。
 男性はまず学校を卒業して社会人になった時です。次に管理職等になって、人の上に立った時です。そして定年退職を迎えた時です。女性は、まず結婚して娘から妻になった時です。次に子供を生み、母親になった時です。そして子供が結婚して姑になった時だそうです。
 教会にも「転機」は来ます。まさに今回、会堂を移築し、そこに新しい会堂を建てることが出来たということがそれにあたると思います。私たちは神様からこんなに大きな祝福をいただいて、ただただ神様の御名をあがめ、神様を賛美する思いでいっぱいです。
 信仰の父アブラハムにも「転機」がありました。その時彼は、どのような態度と選択をとったのでしょうか。
 今朝は、こうした彼の選択の原則を学び、今後私たちの教会の歩みにおいて、彼の信仰に倣いたいと願います。(伊藤)

「みことばの光」 詩篇119:105 久保田邦光 

2003年3月30日
 今朝の礼拝説教は、教会役員の久保田邦光さんがご奉仕してくださる。
 今までに何回も礼拝、初心者集会、開拓地の集会等、いろんな所で説教のご奉仕にあたってくださったが、今回は新会堂で礼拝説教のご奉仕にあたってくださる。
 久保田さんのお話はわかりやすいと定評がある。長年、ご奉仕をしてきた結果かもしれない。また路傍伝道、日曜学校等でお話の訓練を受けてきた賜物かもしれない。それに説教のご奉仕が決まると、だいぶ前から準備をし、私の所にその説教原稿をもってきてくださる。こうして講壇に立たれるので、私たちの心に印象深く響いてくるに違いない。
 今日は、詩篇百十九篇百五節から「みことばの光」という題で、メッセージを取り次いでくださる。信仰生活の基本ともいえる大事なテーマだ。イエス様は、「わたしに従ってくる者は、やみのうちを歩くことがない」と約束されている。
 神様が久保田さんを通して私たちに何を語ろうとしているか、耳を傾けてお聞きしましょう。     〔伊藤〕