館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2002年9月

「カルメル山での対決」 列王記上18:20,21 伊藤 牧師 

2002年9月1日
 アハブ王は父のオムリと同様、その政治的手腕はなかなかのものでありました。新しい都サマリヤの建設、兄弟国ユダには娘のアタルヤを嫁がせ、関係改善に努め、モアブを何とか抑え、ツロ・シドンとの交易で、国内の経済は輸出入共に活性化していたのです。
 しかし、このアハブ王が、政治家として一番頭を悩ましていたのは、預言者エリヤの宣告以来三年も続いている飢饉でした。国をほしいままに支配していると高ぶっていたアハブ王にとっては、エリヤほど憎むべき存在はありませんでした。
 そのエリヤが三年を経て、アハブ王の前に現れ、この飢饉は、真の神への礼拝をやめて偶像バアルを礼拝している罪の裁きの結果であると告げたのです。
 こうしてエリヤは、アハブ王に対して、バアルの預言者四百五十人、アシラの預言者四百人に「カルメル山での対決」を申し入れたのです。
 この対決の目的は、エリヤが民の目を覚まさせ、真の神を神とする生き方を民に選び取らせるためでした。(伊藤)

「主の宮の着工」 エズラ記3:8〜11 伊藤 牧師 

2002年9月8日
 バビロンから帰還したユダヤ人たちは、まず何よりも破壊された神殿の再建にあたりました。
 普通ならば自分たちのことを優先的に考えがちですが、彼らはそうではありませんでした。
 彼らは何よりも先に、破壊されたエルサレムの神殿の再建にとりかかったのです。なぜならばその神殿こそが、もう一度彼らが造り上げようとしている新しい国家の信仰を象徴するものであったからです。
 神殿はイスラエルの信仰的共同体の象徴でした。そこで人々は、神様の臨在に触れ、神様と親しく交わったのです。ですから彼らにとっては、なによりも信仰の象徴である神殿を建設せねばならなかったのです。
 そこでこの神殿の再建に当たって、これを指導した祭司エシュアとゼルバベルは、神殿の着工に先立って祭壇を築き、献身の表われである燔祭をささげるよう人々に指示したのです。
 今朝は、この「主の宮の着工」の様子を通して学びたいと思います。(伊藤)

「夢に生きる」 使徒行伝2:14〜17 伊藤 牧師 

2002年9月15日
 今朝は、敬老礼拝です。
 今から三千五百年前に書かれたといわれる、旧約聖書レビ記には「あなたは白髪の老人の前で起立しなければならない」と、高齢者に対し敬意を表す勧めがあります。
 そして、どんな人も生きている限り一日一日、年をとります。ですから「老い」の問題は、人間の生き方全体の問題であると言えます。
 預言者ヨエルは、「……終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。」(使徒二章十七節)と預言しました。そこでペテロは、来るべき終わりの時には、すべての人に聖霊が注がれ、誰もが幻や夢をもって、歩めると、説教したのです。そしてそれがペンテコステの日に成就したのです。
 聖霊が注がれると「老人は夢を見る」とあります。これは現実を越えた世界を見るようになる、という事でしょう。
 今朝は、敬老の日を記念して「夢に生きる老人」について学びたい。(伊藤)

「サウル王の最後」 サムエル記上29:1〜3 市川副牧師 

2002年9月22日
 イスラエル国内では依然として、サウルによるダビデの追跡が続いていました。
 ダビデは六百人の人々を連れてペリシテに赴き、ペリシテのガテの王アキシの下で表向きは協力者として、実情はイスラエルに侵入する諸族を攻撃して一年四ヶ月を過ごしました。敵国で疑われないように王に取り入って過ごすのは、容易ではありませんでした。
 イスラエル国内が、長年のダビデ追跡で弱体化しているのを機に、ペリシテの町々の王たちは連合軍隊を結成して、イスラエルに攻撃を仕掛けてきました。アキシも出陣し、多くの兵士が続きました。今ダビデは敵国の強力な一員として自国イスラエルを攻撃しなければならない、という進退窮まった立場に立たされたのです。
一方イスラエルでは、サウル王を先頭に全部隊で戦いましたが、戦況は厳しく、ペリシテの激しい攻撃の中、ギルボア山で、多くの兵士と共にサウル王も、ヨナタンを含む三人の息子たちもまた戦死したのです。  (市川)

「夢に生きる」 マタイによる福音書11:28〜30 伊藤 牧師 

2002年9月29日
 今朝の礼拝では、平山透さんが説教のご奉仕に当たってださいます。だいたい二年半に一回位まわってくる説教のご奉仕ですが、早いうちから準備をして下さっているのは本当に感謝です。
 平山さんは、忙しい仕事の中、館林キリスト教会の役員としてご奉仕をし、日曜学校、建築委員としても労されています。しかし何といっても平山さんのご奉仕で目立つのは、何かを作ることです。教会には平山さんの作品展ができる位、作品があちこちにあります。
 さて今朝は、平山さんが有名なマタイによる福音書十一章二十八節から三十節を通して、「信仰生活」についてお話してくださいます。
 このみことばは、今までに多くの人を大変慰めてきましたが、実は弟子たちに語られたものです。そして、信仰生活を生き生きとしていくためには、どうすればよいか、その原則をイエス様が教えられたみことばだと思います。
 コルネリオ家の人々のように(使徒十章参照)私たちも平山さんを通して語られる主のみ言を聞きましょう。(伊藤)