館林キリスト教会

Contents

礼拝のメッセージ 2002年5月

「礼拝への招き」 詩篇100:1、2 伊藤 牧師 

2002年5月5日
 今日は、礼拝に引き続いて臨時教会総会が開かれ、2001年度の決算審議及び会堂新築実施設計報告等があります。また2001年度の活動内容として総会報告書が配布されます。どうぞこれをお読みになって、感謝と祈りの課題にして下さいますようお願い致します。
 さて、今朝は詩篇100篇を通して「礼拝への招き」について学びたいと思います。
 感謝と喜びは、詩篇の多くの部分の主題をなしており、ことに詩篇100篇においてそれがきわだって見られます。
 この詩篇は、礼拝のために神殿に行く際、歌うために作られたものだと思います。神様を礼拝するために家々から礼拝所に集う信仰者に対し、神様が招きの声をかけられているようです。
 昔、江戸の太平の眠りを覚ましたのは、ペリー提督の率いる四隻の艦隊の来朝でした。その彼が、浦賀沖に停泊して最初の日曜日に、一切の政治外交等の交渉を避けて、この詩篇100篇を読んで神様に感謝し、礼拝をささげたと言われます。ハレルヤ!(伊藤)

「いなくなった羊」 ルカによる福音書15:1〜7 伊藤 牧師 

2002年5月12日
  ルカによる福音書十五章には「いなくなった羊」「なくした銀貨」「放蕩息子」のたとえ話が記されています。
 ある時イエス様の所に、取税人や罪人と呼ばれる人たちが、お話を聞こうとして近寄ってきました。
 同様に、パリサイ人や律法学者たちもイエス様の所にやってきました。しかし、イエス様の話を聞こうとしてではなく、イエス様の言葉じりをとらえ、イエス様を訴えようとして近寄ってきたのです。そして彼らは「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」とつぶやいて、イエス様を非難したのです。
 これに対して、イエス様は神様がどんなに罪人の彼らを愛し、彼らが悔改めて神様のみもとに来たことを喜んでいるかということを教え諭したのです。それがこのたとえ話を語られた動機です。
 そこで最初に、イエス様の話されたのが「いなくなった羊」のたとえです。
 一匹の羊が迷子になりました。すると羊飼いは様々な危険を顧みず、この一匹を探しに行くのです。なぜでしょうか。  今朝は、それを考えましょう。(伊藤)

「聖霊の証印の約束と祝福」 エペソ人への手紙1:13、14 伊藤 牧師 

2002年5月19日
  教会歴では、イエス・キリストが復活してから五十日目をペンテコステと呼んでいます。
 ペンテコステは教会の誕生日で、この時、三位一体の神の第三位格である聖霊様が降臨されたのです。だからペンテコステの出来事は、聖霊のクリスマスとも言われます。
 イエス様は、繰り返し助け主聖霊を私たちに送ることを約束されました。助け主が来て、自分が去って行くことは益であると言いました。よってペンテコステは、主の約束の成就と言えるのです。
 パウロは、エペソ人への手紙で、最初に父なる神様の選びについて述べ、続いて御子イエス・キリストによる十字架の贖いについて述べたのち、聖霊の証印による御国の保証を述べています。
 では、聖霊の証印はどのようにして与えられるのでしょうか。パウロは、「救いの福音を聞き、信じた結果、約束された聖霊の証印ををおされたのである」と記しています。
 そこで今朝は、「聖霊の証印の約束と祝福」を学びたいと思います。(伊藤)

「ダビデとヨナタン」 サムエル記上19:1〜3 市川副牧師 

2002年5月26日
 ダビデとヨナタンは立場は違っても、堅い友情で結ばれ、生涯その友情は続きました。
さて、サウル王は、ダビデに強い嫉妬を抱き、ダビデの命を公然と狙うようになりました。王子ヨナタンは、父サウルにはダビデを執り成し、ダビデには、彼が危険から守られるため状況に応じて対応しました。
 サムエル記上20章には、いよいよサウルがダビデのことで、怒りに任せて息子ヨナタンにまで槍を投げつけ、ヨナタンさえ身に危険を覚える事態になりました。
 ヨナタンはかねてから相談していたようにダビデが隠れている野原に向かいました。ダビデに、すぐに逃げなければならない、と知らせるためでした。これがダビデとヨナタンとの地上での最後の別れとなりました。
後に、サウルもヨナタンも戦死し、ダビデがイスラエルの王となったとき、足の不自由なヨナタンの息子メピボセテを家族のように愛しました。 (市川)